Ob.150(KV-150)
Ob.219(T-80)
Ob.220(KV-220)
Ob.223(KV-3)
Ob.225(KV-5)
Ob.227(KV-7)
Ob.228(KV-8)
Ob.229(KV-9)
Ob.232(KV-12)
Ob.233(KV-13)
Ob.236(SU-152)
Ob.237(IS-1)
Ob.239(KV-85)
Ob.240(IS-2)
Ob.241(ISU-152)
Ob.242(ISU-122)
Ob.243(ISU-122-1)
Ob.244(IS-3 (D-5T-85BM 85mm))
Ob.245(IS-4 (D-10T 100mm))
Ob.246(ISU-152-1)
Ob.247(ISU-152-2)
Ob.248(IS-5 (S-34 100mm))
Ob.249(ISU-122S)
Ob.250(ISU-130)
Ob.252(IS-6)
Ob.253(IS-6)
Ob.260(IS-7)
Ob.271(2A3)
Ob.273(2B1)
Ob.701(IS-4)
Ob.703(IS-3)
Ob.730(IS-5 → IS-8 → T-10)
通報 ...
具体的な経緯は調べても出てこなかったけど、意外とあり得るかもね。objナンバーを100毎に設計局へ割り振る規則になったのが1959年らしく、その後の年代に開発された試作車は全体的に若い数字使う傾向があるように思う。(T-80開発のキーロフ設計局も規則改正前後からしばらく試作車が無くT-80が久々の試作車)
T-72の試作なんてObj.172だぞ
ウラル製の車輛の話なら、SU-100Pの設計を流用した車輛が140、150番台に振られる訳でなく、100~130に振られた理由の方が気になるかな。
先にT-54が137で振られてたから、将来性考えてSU-100Pシリーズは前の番号振られたんじゃないかな。