仏教用語の空と混ざっちゃうからじゃない?この無は釈迦が到達した悟りによる無我であって、固定的な実態がないことを表す空とは違うと思う。
正しく、この幻想体が至ったと主張しているのが「無」ではなく、仏教用語の「空」だとすれば、元ネタが仏像である事も踏まえて違和感がないと言っているのですよ。
仏教用語の「空」を敢えて使ってないと思うので「無」でいいと思いますね この幻想体が至ったのは「空」ではなかったということだと思ったので、そこを踏まえると素晴らしい翻訳だと思います
『空』の悟り至った奴がすることが「[敵味方識別不可]業報押し付けデスゲームの主催」とか仏教に対する底なしの侮辱になってしまうし、幻想体の性質上こいつは「自分を悟りに至ったと思い込んでるだけのバケモノ」でしかないと思うから「我、無に至れり」が一番しっくりくると思う。 ていうかやってることがLoRの審判鳥とほとんど同じという...(幻想体がトドメを刺しに行くか、勝手に爆散するかの違いなだけで)
なるほど、ポリコレ的で一理あるとは思う。だけど、第3章で差別表現を行なっているから今更感があるね。
ポリコレ関係あるか…? 「仏を騙る偽物に本物の因果応報が下る」という一種の勧善懲悪のギミックが趣旨の戦闘であって、政治思想信条の是非がどうのこうのってモノじゃないと思いますよ
「空」を騙ることが底なしの侮辱=ポリコレ的に正しくないゆえ「無」に置き換えた、と解釈したと私は推測しました。 無とか空とかよくわかんないのでどっちがいいのかは知らない
なんか>> 29で書いた内容を曲解されてそうだから重ねて言うけど、「我、無に至れり」はあくまで「自分を悟りに至ったと思い込んでるだけのバケモノ」であって、仏教的に正しい意味での「悟りの境地(空)」には決して至っていない存在。 だからモチーフの仏教表現的に本来正しい名称であろう「我、空に至れり」からズレた命名をしていることはしっくりくる。という話をしてる
つまり、本当の意味で悟りに至ってないということ?だからこそ、煩悩まみれ=色欲が弱点…?
しかし、この幻想体が実際には空に至っていない、という事だけでは「我、空に至れり」に対する反論としては不適切です。 幻想体自身が至ったものを”主張“するなら「空」だろうが、「無」であろうがその幻想体の自由でしょう。しかし、原語や英語では訳では「空」となっている所に対して日本語においてのみ「無」と翻訳されているのが、誤訳だと言っているわけです。 あなたの解釈で反論する以前に、原語や英語訳の内容を理解していらっしゃいますか?
あーそうですね。空が合ってますね
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 管理チームへ匿名通報が送信されます。あなたが誰であるかを管理チームに特定されることはありません。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
正しく、この幻想体が至ったと主張しているのが「無」ではなく、仏教用語の「空」だとすれば、元ネタが仏像である事も踏まえて違和感がないと言っているのですよ。
仏教用語の「空」を敢えて使ってないと思うので「無」でいいと思いますね
この幻想体が至ったのは「空」ではなかったということだと思ったので、そこを踏まえると素晴らしい翻訳だと思います
『空』の悟り至った奴がすることが「[敵味方識別不可]業報押し付けデスゲームの主催」とか仏教に対する底なしの侮辱になってしまうし、幻想体の性質上こいつは「自分を悟りに至ったと思い込んでるだけのバケモノ」でしかないと思うから「我、無に至れり」が一番しっくりくると思う。
ていうかやってることがLoRの審判鳥とほとんど同じという...(幻想体がトドメを刺しに行くか、勝手に爆散するかの違いなだけで)なるほど、ポリコレ的で一理あるとは思う。だけど、第3章で差別表現を行なっているから今更感があるね。
ポリコレ関係あるか…?
「仏を騙る偽物に本物の因果応報が下る」という一種の勧善懲悪のギミックが趣旨の戦闘であって、政治思想信条の是非がどうのこうのってモノじゃないと思いますよ
「空」を騙ることが底なしの侮辱=ポリコレ的に正しくないゆえ「無」に置き換えた、と解釈したと私は推測しました。
無とか空とかよくわかんないのでどっちがいいのかは知らない
なんか>> 29で書いた内容を曲解されてそうだから重ねて言うけど、「我、無に至れり」はあくまで「自分を悟りに至ったと思い込んでるだけのバケモノ」であって、仏教的に正しい意味での「悟りの境地(空)」には決して至っていない存在。
だからモチーフの仏教表現的に本来正しい名称であろう「我、空に至れり」からズレた命名をしていることはしっくりくる。という話をしてる
つまり、本当の意味で悟りに至ってないということ?だからこそ、煩悩まみれ=色欲が弱点…?
しかし、この幻想体が実際には空に至っていない、という事だけでは「我、空に至れり」に対する反論としては不適切です。
幻想体自身が至ったものを”主張“するなら「空」だろうが、「無」であろうがその幻想体の自由でしょう。しかし、原語や英語では訳では「空」となっている所に対して日本語においてのみ「無」と翻訳されているのが、誤訳だと言っているわけです。
あなたの解釈で反論する以前に、原語や英語訳の内容を理解していらっしゃいますか?
あーそうですね。空が合ってますね