今日は線維筋痛症、または一度でもそれと判断された経験を持つ人全員に向けて、自分の気持ちを書きたいと思います。まず、私はASという病名が先にあてがわれ、医療機関を放浪し続けてスッカラカンの貯金とすり減った体をもてあまし、とりあえずASという指定難病を申請して福祉を受けています。そのあたりは「指定難病医療助成」というスレッドに詳しく書いてあります。
未成年時に取り返しのつかない怪我をして大人になっても影響がある場合、申請すれば、障害年金か障害基礎年金も受けられます。私は基礎年金で審査通過いたしました。そしてベッドに貼り付けられたみたいに動けなくて、市の相談員さんに代筆してもらい、手帳もいただきました。
私の場合他にも併発した特定疾患を発症していて、それは大学教授のおっしゃるところ、手術しなければらないほどに悪化する前に寿命が終わるので治療しなくて良い」と言われて、そのまま何の治療もしていません。
子供時代に交通事故にまきこまれはね飛ばされ、その後いろいろな症状が出ても放置しました。当時としては普通のことです。おなかも三回切っているし、妊娠中に感染症で数ヶ月入院もした、あたしってよわすぎじゃん、っと自己嫌悪しています。それでも元気な時代も長くあり、十分に恵まれて生きてきました。
それでも、線維筋痛症はつらい! 病気と認められず精神科通院して悪化するばかり。保険も出ず。向精神薬と抗うつ剤の服用がなければ気が狂っていたかもしれん、と思います。線維筋痛症は「シンドローム」として受け止められ病として受け入れてもらえません。
いつも心苦しく思うのは、単独で線維筋痛症に悩んでいる人に申し訳ないこと。似たような症状で毎日のたうち回っているのに、私は助成を受けていて、それだけでもかなり気持ちが楽になるんです。相反して、見た目が健康そうなので、車椅子を咎められたり、杖も咎められたり、冷房の待合室で関節保護のために付けていた日よけカバーが、スタッフの目にとまり、たまたまレース編みがついていたので「痛いのはレースのちくちくじゃないのぉ~」などと皮肉られると傷つきます。いまどき、百円で花柄のニットが買えるのに、そんなつまんないことで反感を買う。
私の目に見えない苦しみは、もともと何も知らないひとからの反感と同時に、申請して通れば助成を受けられるという中途半端な状態になりました。ターニングポイントは、抗うつ剤と痛み止めの合成薬トラムセットを飲み始めたことと、リウマチ系難病の人が使っている自己注射でした。同病の方々のブログなどを拝見すると、「ものすごく効いた」という意見もあるのですが、私は最初、全然効果が無いと思っていました。
でも、何年も掛けて少しずつ寝たきりの頃より良くなったというか、苦しいことに自分の方で「慣れ」をつくっただけなのか、高い薬なのだから効果が出たと自己暗示を掛けてしまったのか、いまだはっきりしません。今の通院先では私の「線維筋痛症」を否定しています。地元だとどこへ行ってもこれにされるんですけど・・・
私が著しく悪化したとき、偶然にも、同県の若い女の子が線維筋痛症と闘う美少女として地元のテレビに出演していました。彼女は慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)+線維筋痛症でした。モデル、歌、ミスユニバース、と活躍されていて、癌で髪を失った人のために髪の毛を寄付していました。私も見習おうと思い、ひたすら髪を伸ばして32センチ寄付しました。先日その証明所が送られてきて、自己満足なのだろうけれど、純粋に自分のためでないことをひとつ出来た!と、ちょっと気分上昇しました。
同県ご当地タレントになった彼女を知らなければ、私は今もひねくれていた。もちろん親子ほどの年の差なので、彼女のご家族の努力も見逃せません。結婚して子供がいる、夫の家族と同居して「家事をしない」と責められる。難病になったので離婚したという人も多々あるようです。人それぞれの人生ですが、家族が理解してくれるかくれないかは病気の本人にとっては大変な差異です。そこでまたひとつ私は、「ウチの嫁がご飯を作らない」という姑を抱えている人に対し、私ばかり甘えていてゴメン、と感じます。
薬を多めに飲んでいるし、自分の愛車はもう売られて、今在る車は運転の仕方もわからない。高齢者の交通事故報道などが盛んで、こういうとき、強い薬を使っている人が運転して事故を起こしたら問題になる、と思うと外出できなくなりました。バスも電車もない田舎で、送り迎えしてくれる家族がいないと、行動範囲は著しく狭い。つまり自分のベッドと、私の愛する樹木に触れられる庭の往復です。自分の家の敷地から出ないわけです。それでも、「歩ける」「座れる」「家がある」「庭がある」「しかも薔薇を育てている」というのは、それを持たない人にはつらいことのようです。
家族が寄り添い、それなりに努力してお手軽な中古の家を、都会とは比較にならない土地の安さで、すこし年の差のある夫が定年退職して次の職について、収入が激減する前にローンも支払って、今、直しても直してもどこか壊れる家ですが、なんだか比べられやすい。それも私にはつらいことです。
都会の便利さをすべて擲って、閉鎖的な田舎に住む。私は近所づきあいしないし、顔も名前も覚えていません。それどころじや無かったんだもの。十年くらい寝たきりしていたと思うのですが、それがとにかく短く感じられて、そんなに長く寝ていたのか・・・と呆然としています。ただ、体を動かすためと、心の豊かさを維持するためだけに、丁寧に樹木を世話してきました。庭に在ることで、風、光、小鳥の声で天気の変化を察知したり、日照不足で弱った木々に感じるところがあったり。落ち葉、枝ばかりの木々、長く「しみる」冬、ゆっくりすぎる春を楽しむ・・・
私は私なりの楽しみ方でこの十年を乗り切った。一年、一日が、午前午後が、一分一秒が、「祐、あんたは今どう生きているの」と問いかけてきます。
とりあえず減薬が課題ですが、減薬すると症状が出る。薬を飲まないで痛みを我慢する日を作ったとして、気持ちが後ろ向きになるばかり。私は自分に、人様に対して「前向き」を押しつけません。今少しでもさっきより楽しければ良い、みたいな感じです。
病気になると、或いは難病、レア病で福祉を受けると、どこか遠慮する気持ちになってしまいます。他の方の気持ちはわからないけれど、私はそうです。私も元気なときは働いてホームワーカーを長くこなしてきたのです。私も納税者で、消費者で、直接税を大量に支払っている、経済の輪にたよりなくも参加しているのです。
気になってしまうのは、患う人がおしゃれできないこと。なぜか、髪を伸ばして化粧して、レースの服を着て、おしゃれにする、家の中もおしゃれに飾る、庭も可愛くしたいし、自分の心もおしゃれな人になりたいの。容姿や年齢は関係ない。私は綺麗なものが好きです。ときどき医療スタッフに「土岐川さんはおしゃれだからぁ~」と皮肉られる。どうして・・・
しわもしみもある普通のおばんなのに、どうして、と悩みます。この十年で定住したので同級生と会うこともあったのですが、私だけがどこか友だちと違うらしい、でも私の何が友だちと違うのかわかんない! 読書好きだからか、若作りな服のせいか、私の持っている空気感なのか、考えていても仕方ない。
病める女性達よ、もっともっとおしゃれしませんか?