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1人が好きだけど、1人ぼっちは寂しい。

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私は生まれてこの方、誰にも自分の内面をさらけ出したことがありません。
友人であっても家族であっても、趣味趣向を人に知られるのは恥ずかしく、感情もなるべく外に出さないようにしてしまいます。

このような性格ですから、友人はごく少数です。しかも、そのごくわずかな友人とも情緒的な交流はほとんどありません。どんなに信頼している友人であっても、深い交流(または頻繁な交流)は心身の負担となり、心から楽しむことができないのです。

基本的に他人に心を開かず壁を作っているため、学校や職場で集団に馴染めたことがほぼありません。
人と関わって煩わしい人間関係に心を悩ますくらいなら、1人でいた方が楽です。

ですが、一方で、1人ぼっちで誰とも心を通わせることのできない自分に酷く落ち込むこともあるのです。寂しいと思うことがあるのです。

輪に入ることができない自分を恥じたり、輪に入れる人たちのことを羨ましく思ったりします。「友達がほしい」「周りの人と仲良くしたい」という願望もあります。

でも出来ません。能力的に出来ないんです。頑張って背伸びして輪の中に入ろうと努力するより、やっぱり1人でいることの方が楽なんですね。

「1人が好きなのに1人は寂しい」という矛盾した気持ちにいつも悩まされています。

私はスキゾイド気質と言えるのでしょうか?
スキゾイドの人も「1人は寂しい」という感情に襲われることがあるんでしょうか。

ぐるみん
作成: 2018/10/27 (土) 21:57:09
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1

「寂しさ」について面白い体験をしたことがあるので、こちらに投下させていただきます。

私はスキゾイド気質を自認していますが、普段孤独でいることに寂しさは全く感じませんし、後ろめたさも社会的な疎外感も感じません。生涯変わらず孤独でいられる予感には安心感すら感じています。

しかし子供の頃は異常な程の寂しがりやだったのを覚えています。成長して気がついたら今のような状態になっていました。
寂しさを感じなくなって久しく、それがどんな感覚だったかも記憶に知識として存在するくらいの状態になっていたのですが、
数年前事故に遭い、それを誰にも周囲に知らせてはいけない状況にあったとき、突如激しい寂しさに襲われました。
明日の朝からだが動かなかったらどうしようと一人で動揺混乱しまくると同時に、数十年ぶりに実感として極彩色に感じた「寂しさ」に圧倒され、その一方でそれを他人事のように観察し感動すら覚える自分がいました。
これよこれ!これが「寂しさ」だった!と。
ヘレン・ケラーのwater!ってこんな感じだったのかなとも思いました。

その出来事から5年以上は経ちますが、それ以来ふたたび寂しさを感じることはありません。
私の場合、寂しさを感じる機能は無くなったのではなく、生きるのに不要と判断され無意識下に抑圧されているのだと上記の体験から推測されます。

スキゾイド気質の方で、寂しさを感じないという意見をよく目にしますが、寂しさがどんな感情か全く知らないとそれを自分が感じていないかどうかを判断することは出来ないと思うのですが、その辺皆さんがどう認識されているのか興味がありますね。

2
sophia_N4T 2018/10/28 (日) 12:28:40

ふーとさんのブログにも書いてありますが完璧に人付き合いを嫌うスキゾイドはいないと思われます。
ただ交流欲求は非スキゾイドに比べたら著しく低いでしょう、【人付き合いによる疲れ>交流欲求】だからです。
しかしスキゾイドも一応人間ですから、寂しいという感情があるのも当然です。ただスキゾイドは人と触れ合うと疲れるし、体調を崩したりするので、一人でいたいと思うのは生物としての防衛機能なのではないかと私は考えてます。
だからスキゾイドにとってこの矛盾は往々にして陥るものではないでしょうか。
なのでこの矛盾を気にする必要はないでしょう、少なくとも私はそう思ってます。
もし寂しさをどうにかしたいのであれば信頼できる一人二人に自分のことを話して丁度いい距離を保ってもらうのがいいと思います。

寂しいという感情を私はまず感じないですね。自分の中に複数の自分がいるのでそれと会話するような形で一人でも問題なく過ごせてます。あと最近は一人だけ、他の人と同様に疲れるけれどそれ以上に人間的に面白く、気が合う人を見つけられたので、その人とだけ少し交流しています。

3

私は今まで寂しさという感情を自覚した記憶はありません。
幼少期から両親が共働きで家に誰もおらず、友達と遊ぶこともなく一人で部屋にいるという状況が割と頻繁にありましたが、それを寂しいと感じたことはありませんし、それが異常だとも思いませんでした。
また、一人暮らしを始めるまでは重度のうつ状態にあったため、今以上に極端に他人と交流することを避け続け、とにかく一人でいることを徹底していました。
誰かと一緒にいることに苦痛を感じるのは、これをご覧になっている方たちの共通事項ではあると思いますが、その度合いが心身に異常を来すほどなのか、我慢すれば他人とそれなりに関われるほどなのかは個人差が大きいのでしょう。
私は現在進行形で慢性疲労があり、常に全身倦怠感や肩こり、筋肉痛などがある状態ですが、他人と長く一緒に居すぎると、相手が誰であれ確実にそれらの症状が悪化するので、体調が悪いときにはとにかく一切家から出ずにじっとしていないと、最悪寝たきりになりかねません。
そんなわけで、私の場合は誰かと一緒にいてもつまらないとか楽しくないということはそんなに感じませんが、とにかく身体的に苦痛が生じるため、極力他人といることは避けたいですし、それを悲しいとか残念だと思うことはありません。
まぁ、もし体調が悪化しなかったとしても、誰かと一緒にいたいと思えることはないでしょうけど・・・(笑)
話が少しそれましたが、私のように寂しいという感情がわからない、あるいは欠損している人間というのも少なからずいるのではないかと思っています。
ただ、それは自分で認識できていないだけで、無意識に他人との交流を欲していると捉えられそうな行動を起こしている可能性は否定できません。
少なくとも自分から誰かを遊びや飲みに誘ったり、出会いを目的としたイベントに参加することはまずあり得ないんですけどね・・・

長々と駄文失礼しましたm(__)m

4

もう10分遅くアクセスしていればこっちに書き込んだかも。

一人でいて寂しいとは思わないですね。
LINEも付き合いでやりましたがメール感覚(日に2~3回チェックすればいいだろ)でやってたら途絶えましたね。
一応は通知設定もしてたんですけど非常にわかりにくかったです。気づいたら通知が来てた感じですね。
自分を外に表現することは苦手なのでSNSみたいのは一切やってないですね。
Twitterも、もの珍しさでアカウントを取りましたけど結局は他のコンテンツのログイン用で残してただけだったりします。

>私はスキゾイド気質と言えるのでしょうか?
これは専門家に聞くしかないんじゃないかな?
なぜなら、スキゾイドの定義に「賞賛にも批判に対しても無関心にみえる」という項目はあっても
「寂しいという感情が希薄である」という項目は無いからです。
しかし、自分を振り返ると
「家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない 」
「一貫して孤立した行動を好む 」
これが数か月みたいな一時的なものではなく、常態化するとなると寂しいという感情は
何らかの形で処理されないといけないんじゃないかと強く想像してたりします。
なのでインターネットは非常に便利な道具ではるけれど、使い方を誤れば人を変えてしまう危険な道具でもあるという
考えに至るわけですね。

これだけじゃあれなので、経験則からの助言を一つ
スキゾイドに限らず一人でいる事が多い人は、声が小さくなる傾向が強くあると思います。
ぼそぼそっとしゃべる状態ですね。これは相手さんにしてみれば、声が小さい、ただそれだけでイライラするんですね。
なので、最初はともかく段々疎遠になるみたいになるかも知れません。
沸点が低い人ならこちらが一生懸命にしゃべったあと
「何、言ってるか理解できねぇよ。」
みたいに返されたりするかもしれません。
なので、ボッチ気質の人は人としゃべるときは「声を大きく」を心掛けることを強くお勧めします。
これだけで、無用なトラブルの何割かは回避できるんじゃないかな?
ぐるみんさんは人付き合いがうまくないとの事ですが、その複数の原因の一つは案外こんなことかも知れません。

まおさんの方ですけど
>寂しいという感情を判断することは出来ないと思うのですが
実は、気づきませんでした。
気づいたのは20代後半か30代かその辺ですかね。
各種の創作物や人との会話の中でどうも自分は何か人と違うらしいということは感じてましたが。
ある時ふと、寂しいという気持ちが無いんだと唐突に気付いたという感じです。
自分の心の中はわからないもので、心の奥深くしまい込んでいるかも知れないといわれればそうかも知れません。
ただ、日常的には湧き起らない感情ですね。

5

自分の場合は生活の中で、寂しいと思うことはほとんどないですね。一人暮らしなので、風邪を引いたりした時には、身体を動かすのも辛いとかそういう時に頼れる人がいたら良いなぁと思うことはありますが…コレは寂しさなのですかね?誰かいたら便利って感覚が寂しさなら、たまには有りますね。お手伝いロボットとかいたらいらないですが。

自分は、一応友だちもいてだいたい半年から1年に一回くらい会って飲んだり遊んだりするのですが、それで十分だと感じています。相手もスキゾイドまではいかずとも、その傾向があるので楽です。1人の方が好きですが、人が嫌いではないのです。ただ、その割合が極端なだけで。

友だちが欲しい、周りと仲良くしたい思いはないですが、嫌われないようにしようとは心がけています。別に嫌われる事自体はどうでもいいですが、嫌がらせを受けたり迫害されるのは避けたいですからね。特に、性質上周りと上手くやる事が疲れてしまうのもわかっていますから。
なので、大抵の集団に入るときにそれとなく一人でいる方が気楽って事を伝えています。周りと上手に「仲良く」している人を見たときにはすごいなぁと思う反面、大変そうだなと思ってしまいます。

6
NCKT2188 2018/10/28 (日) 17:03:12

私も日常で寂しいと感じることはほとんどありません。

sophia_N4Tさんがお書きになったような、自分の中のもう一人の自分と常に対峙している感覚があるからかもしれません。
寂しいとは違うけれど、集団になじめる人を見て、「ああ、自分は人と違うんだな、やっぱり何か人として欠落してるんじゃないか、だめなんじゃないか」、と自己嫌悪のような感情で落ち込むことはたまにあります。
それでも、最終的には「自分はどうしたいのか」というところに結論が出ます。私は他人といて疲れることより一人で心穏やかでいるほうを選択している感じです。

7

ぐるみん氏の書き込みから、どちらかといえばスキゾイドというよりも回避性パーソナリティ障害に近いような印象を受けました。
某掲示板の回避性スレの書き込みと雰囲気(強い劣等感と人並みの対人欲求とのジレンマに苛まれている感じ)がとても似ていたので。
そちらの方面で調べてみるといいのではないかと思います。

8
ふーと 2018/11/01 (木) 21:27:32

僕は寂しさを全く感じないですね。寂しさを感じたことがないかもしれません。

子供の頃、よく誰かと一緒に居たいと思ってましたが、寂しいというよりお化けが怖いからでした。
今も、友達が集まって楽しく遊んでたり、カップルがいちゃいちゃするのを見ると「いいなー」と思いますが、寂しいからというより、人と交流できるスキルが羨ましいからです。

9
ふーと 2018/11/01 (木) 21:40:30

このトピックがきっかけとなって、ツイッターで「スキゾイドは寂しさを感じるのか」のアンケートを取ってみました。

こちらのコメントでは、寂しさを感じない人が多かったので、「たまにある」と答えた人が半数以上いたのは意外でした。「よくある」と答えた人も、少数ながら確実にいますね。

スキゾイドがどんな時に寂しさを感じるのか気になりました。具体的なエピソードを交えてくれると、イメージが湧きやすいのでありがたいです

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普段寂しいと思うことはなく、寧ろ1人の空間になると解放感に満ち溢れます。
ただ、極度に疲れている、特に精神的にやられてるときに外部からネガティブな感情を受け取りやすく、それが憎悪などの特定の人間を否定するものだと何故か、寂しく、悲しくなってしまう……
憶測ですが、周囲の感情から日頃守っていたガードが崩れ、周囲のネガティブな感情に感化されて寂しく思うのかもしれません。
因みに寂しいときは1人でいようが大人数でいようが変わりません。
そうなってしまったときはなるたけ1人で好きなことをして忘れるようにしています。

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ふーと 2018/11/03 (土) 10:48:53 >> 10

なるほど、ネガティブな感情に感化されると寂しさを覚える・・・いわゆる飲み込まれ不安ですね。

それは自分の中から湧き上がってくる感覚というより、他人の感情が反映された感覚なんでしょうか?
それとも、他人の感情に感化されて、自分の心中に隠されていた寂しさが湧き上がってくる感じでしょうか?

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twitterのアンケートに、「たまにある」と回答しました。
私もDさんと似たような感じで、精神的にやられている時に寂しさを感じます。
私は外部からのネガティブな感情に感化されるというよりは、自分の中でいつもは滅多に出てこない感情が少し顔を出すような感じです。
自分のことを理解してくれる人なんて誰もいないということに寂しさを覚え、もしもこういう時に恋人や親友がいれば何かが満たされるんだろうか…と思います。
でも、分かってもいないのに「その気持ち分かるよ」などと言われたら余計ストレスが溜まりそうですし、結局家で1人でゆっくり休めば精神的ダメージから回復するので寂しさもなくなります。

あと、私は今25歳の女性で、友達にはだいたい彼氏がいて結婚なども考えている時期なので、それに対しては寂しさというか、結婚を考えられるような人と出会い、長い時間をかけて信頼関係を築き上げていることへの憧れを感じます。

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ふーと 2018/11/03 (土) 20:10:46 >> 12

自分を理解してくれる人が誰もいないことに寂しさを感じるんですね。

普段は隠されているのか、寂しさを埋める機能が働いているのか…多分後者な気がします。

Dさんも晴さんも、寂しさを感じるのに人と会おうとせず、一人を選択するのは興味深いですね

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初めてこのような場所に書き込ませていただきます。
数十年感じてきた周りとの違和感が「スキゾイド」という名前を持つことにより、今まで感じていたいくつかの疑問が解けたように思います。このような場を設けていただき感謝しています。

表題にある「寂しさ」についてですが、皆様の経験を拝読させて頂いたところで、ひとつ気になる感覚を思い起こしました。
私自身、寂しさを感じることをほとんどなく生きてきましたが、その中でも「寂しさを感じない」ことを悲観したことが全くありませんでした。というのも、とんでもなく傲慢な考えではありますが、皆が寂しいと口々に言うのは「自己に満足していないからだ」と私が思い込んでいたためです。
寂しいというのは、何かが足りていない状態でそれを他者によって補いたいという思いで、自分が寂しさを感じないのは自己の中で満ち足りているからだ。なんとも自己愛が強く他者を見下した酷い考えですが、私の中では「寂しい」の対義語は「満ち足りている」ことになるのです。 
私個人の性格の問題かもしれませんが、スキゾイドについて少しづつ調べていく中で知った、分裂気質にみられる根拠のない自信と無敵感というのはこれか、とも今では思います(笑)

それでも、寂しいという感情に憧れはあります。
寂しさを原動力にした働きにはすさまじい勢いがあると傍から見てて思うので、あれがあったら生きやすそうだな〜という欲ですが…

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ふーと 2018/11/03 (土) 21:31:09 >> 13

僕も、他者から認められることで自己肯定感を満たしたいという欲求が「寂しさ」なのかなと思っています。
その理屈だと、スキゾイド特有の「根拠のない万能感」によって自己肯定感が満たされていれば、寂しさを感じませんしね。

寂しさへの憧れという視点は気が付きませんでした。僕が今なんでこんなに「寂しさ」にこだわっているのか疑問だったのですが、「寂しさという原動力」が羨ましいのかもしれませんね。面白い気付きを与えてくださってありがとうございます!

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私はスキゾイドではありません 2018/11/03 (土) 23:25:14

唯の孤独好きです。
寂しいという感情は知ってます。
一人でいることは全く寂しくありません。
疎外された状況に置かれば孤立感は感じます。
もう慣れてしまったので、今ではそれも何という事もありません。
自身で対処できない事態に陥れば不安から他人を求めたくなるかもしれませんが、それ以外の事で誰かを必要としません。
誰から何か受け取れる場合は、そのメリットの為に誰かをを必要とすることはあります。

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完全にスキゾイドと言い切って良いのかは微妙ですが、その傾向がかなり強い者です。
ずっと生き辛さのようなものが自分の中にあったのですが、最近スキゾイドという言葉を知ってある程度その生き辛さの理由が分かってすっきりしました。

人と関わるのが基本的に好きでないというのを親という一番近い存在に中々理解されないので、そこは寂しいかなと感じます。信じられない、みたいな反応をされたこともありました。
私も晴さんが仰った通り、理解ある友人や恋人がいたらどこか楽になる部分もあるのかなと思ったりもしますが、自分にとっての最適な距離感と相手にとってのそれにかなり差があることが殆どなので気付くと結局疲れてしまっています…

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>> 11
返信遅くなり申し訳ありません。
ブログを拝見しました。
私も、特に一人だからとか自己肯定感が、などで寂しいと思った事はほぼないので自発的な寂しさはないのだと思います。
ただ、心身共に辛いとき、誰かの人格を否定してしまうような感情を目の当たりにすると感化され、辛く寂しくなることがあります。
もっと言えば、否定され寂しく思っている人のことを想うと、寂しさを擬似共有してしまう感じでしょうか。(分かりにくいですね)
こんな答えで申し訳ないですが、参考になれば幸いです。
ブログ、結構楽しみにしています。今後も是非更新頑張ってください。応援してます。長文失礼しました。

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私は小さい時から人付き合いが避けられない家庭で育った為か「考えない、気づかない、覚えていない」といった回避行動を多様していました。なのでふとした瞬間にストレスが爆発して散々な目に合いました。

20

私も寂しいと思うことがありませんが、寂しさを心細さと混同することはあります。
子供の頃具合が悪いときに留守番していたあの感じです。
一人でいることより、理解されないことが寂しい。よくわかりますが、理解されたいとか理解してあげたいとか
人間特有のエゴですね。自分のことも他人のことも、理解できるわけないのに。
上記で「寂しさへの憧れ」を拝見しましたが、なるほど~と思いました。
「寂しい」って綺麗で素敵な響きだし、美化して見えます。でも冷静になって見直すと、キモチワルイ感情にも見えます。
誰かを必要とし、誰かに必要とされたい承認欲求にまみれた感情に振り回されなくてよかったと思ってます。

21
透明 2019/03/11 (月) 00:15:18

私はスキゾイドという言葉を見かけるまで、普通の人間みたいに友達がいる人間にならなくちゃいけないんだと思っていました。ならスキゾイドではないのではないかと思われるかもしれませんが、物心ついた子供時代は寂しさとは無縁で、学校でも一人でいて平気でした。ただ、仲間に入れてもらえたとき、人と一緒にいると居場所があるみたいで楽だなと感じて、それからは友達を求めるようになったのですけれど、話すことを求められると安心感をもって一緒に居られないみたいで、ずっと黙っていても置いてくれるわけではないなら一緒にいなくていいなと思い、寂しさを感じなくなり、友達をつくりたい欲もなくなりました。寂しさというのは、仲間をつくりたい欲なのかなと思います。あとはぬいぐるみなど思い出深い品物などでも、喪失すると部屋の温度が下がったように寂しさを感じます。あとは思いの丈を人にぶつけられないから他の人の様に情緒を共有できる友達ができないのかなと思いなるたけ人真似をして感情を込めて話してみたら、みんな怖がって逃げてしまって、やっぱり他の人間のようにはなれないなと諦められたという経緯もあります。友達をつくって普通の人間になりたいという思いも、結局は社会に出ても普通の人のようでなければ生きていけないんだという思い込みからだったので、意外と生きていけることがわかれば、なにもかもわかる友達はいらないような気がします。本当になにもかも理解されたいなら、ネットに本当の気持ちを書いてしまえば良いと思います。誰にも理解されなくても、努力はしたのだと思えますし、もしかしたら理解者が現れるかもしれません。