は掛かるよぉーー、けどなーおまいには手間を惜しまない才があるんでぃこんちくしょうってなもんだ、職人にとって、へら鮒釣り師にとって、『天歩の才』っていのは何も手先が器用だなんていことじゃねーんだよぉー、最後に道を究める奴ッていのはだなぁー、最後に道をって、四之介いいかあきらめずにしつこくやり続ける奴だけが辿り着けるんでぃ、ってこれもおいらがご隠居に言われたことだけどよ、と来たもんだぁー
三太:熊の兄貴っ、あーあっ寝ちまったよ、どうも兄貴が酔いつぶれるなんてなぁ、めずらしいや、四之介見ろよ熊の兄貴をよ寝顔で笑ってるよ、余程嬉しいんだねぇよよっと
四之介:三太兄貴、それにしても「おみつにゃ子ができねー」ってあの話はどうなったんでやすかねー
三太:いいじゃねーかー、おみつ姉さんの手前だが、世の中には、『おみつ』って名が二つと無い訳じゃなし、医者の診立て違いなんていこともままっ無い訳でもないんだ、っと、それにしてもこの鹿肉の炊いたのは柔らかくって旨いなー
四之介:さ、三太兄貴、診立て違いか、はたまたおみつ違いっていことなんですやかね、三太兄貴、おいらにも鹿の肉をこっちに放って下さいよ、なんかやっとつっかえが取れて腹が減ってきやした、ねー兄貴―こっちに回してっと、こりゃーたまんないですねー
とまあ、硬く始まった祝い酒も蝦夷鹿の肉のごときに柔らかく納まってカラスカーとなりました。
熊:おうおういつまで寝てやがんだよ、お前たちはよ
三太・四之介:あっと、寝過ごしたー、って熊兄貴まだ外は暗いじゃありませんかー
熊:おうよ、だからいいんじゃねーか、暗いうちっから段取りして、ご来光をいただいて清き身の前に浮きを立てる、今までの内緒事、隠し事をだ「もう一件ご報告をお忘れじゃーありませんかって」ことだぁーな、『隠し事すりゃ、つれないあなた、ツンとされても、首ったけ』ってなー、ささっほうら手拭いだよ、早いとこ顔を撫でてきやがれ、さっさと用意をするんだよおまいらは
三太:っていと今日も遊水境でやんすね
四之介:なら早速
東の空が白んできた時分に到着した三人は、馴染みの席に陣取りまして次々と仕立てを済ませていきます。
熊:おっと先生昨日はお世話になりやした
医者い:ああ熊さん昨日の今日で河岸は変わりましたが奇遇ですね、どうですおみつさんの具合は
熊:はいおかげさまでと言いたいところですが、実のところは昨日はこいつらと一緒に祝杯を挙げたんで今朝はまだ顔を見ちゃいねんですがね、あ先生こっちが三太で、こっちが四之介でやんす、ほら、こちらがお世話になってる隣町のお医者さまだおめいたちだってゆくゆくはお世話になるっていもんだご挨拶をしえいかい
三太・四之介:お世話になりやす
医者い:おやそちらの方は先だっての土瓶の、あなたいいことをなすったぁー、あたしはそちらの若衆を挟んで隣に座った二人組の内の一人でね、いやー若いのに随分と粋なことをなさると遠目に見て感心していたんですよ、そうでしたか熊さん所の若衆だったんですね
三太:恐れ入りやす
四之介:三太兄貴あの人はこの間の「おみつにゃこっ」ってて、兄貴なにすんだよ
三太:四之介おめいはぼーーーとしてんじゃねい、こんちくしょう、おみつ姉さんの主治医でらっしゃる先生だ頭を下げねぃかてんだよ
四之介:だって、「こがねい」の片割れなんだよ、って、い、いってぇなー
熊:おうおう、兎に角ここは釣り座だおとなしっくしやがれてぇんだ、じゃ先生あっしらはお隣で遊ばせていただきやすんで
三太:四之介って、いい加減にしねいか、いつまで口をとんがらせてるんだよ、早いところ釣り支度をするんだよ
四之介:判ったよ三太兄貴―
熊:先生ご相棒の方はここで良くお見掛けいたしやすが同じお医者仲間っていことでやんすか
医者い:そうですね
医者ろ:あなたが凄腕の熊さんですか、大層釣るんだそうですね今日はお手柔らかにお願いしますよ、まあ医者といってもあたしゃー獣辺でこの人とは違って人は見ないんです、獣医ですからね
熊:獣医さんていと、失礼ながら平たく言えば犬猫のお医者様っていことになりやすね
医者ろ:ご名答です
四之介:三太兄い獣医って
三太:しいー、やっぱりおみつは猫っていことなんだろうな
四之介:ね、猫、ああ合点だ、ああ良かったねー、これですっきりだ
三太:よし、そうとなりゃー気持ちが晴れた今日は釣り勝負だ
四之介:合点だ、兄貴握りでやんすね
三太:おうよ、あたぼうでい
熊:おう、って、なんだなんだお前らと来た日にゃ、カラスカーで日が明けたとたんなのか、釣り座に着いたからなのか、妙に元気付きやぁがって、まあおいらの所為もあるが昨日まではまるで狐が憑いたみていに元気がなかったじゃねいか
三太・四之介:へい兄貴、狐じゃなくって、さっきまでは猫が憑いてやした
浜野矩随(はまの・のりゆき):実在の人物で江戸時代中期の名工とうたわれた装剣金工家である。同名は同人をモデルとした落語(講談がもとになっていると言われている)の一席、先代の名工浜野矩康(のりやす・実在はするが血縁関係にはない)を、父に持ったのりゆきはと始まる人情噺で、人一倍の母親孝行ではあったが、如何せん父の名を汚すような手が上がらない細工で凡作を次々と出しては先代のひいきにお情けをいただいて食いつなぐ日々であったのりゆきが、ひいきから最後通牒を突き付けられて自死を決意するが、母親が命と引き換えの一世一代の仕掛けをして、のりゆきの眠っていた才能を永きから目覚めさせる。
その後は、一旦溢れ出た才能をして、名工の父をも淩ぐとして名を残すことになる、大器晩成のお話である。
古今亭志ん朝(1938~2001)が先代の名人志ん生をのりやすに見立てて、「名人の子が下手では、なんともまずい」となして客の笑いを誘うのはつとに有名である。
勿論のこと、志ん朝の前に志ん朝なし志ん朝の後に志ん朝なしであり、63歳の早世がなんとも悔やまれる。
東の志ん朝西の米朝(桂米朝)は定評であり、両人共に没後(米朝2015・89歳没)となった令和にあってなお、この定評には一切の揺るぎはない。
二升の切手:江戸時代のビール券に相当、酒屋が発行した日本酒二升分の券