みなさんこんにちは
12月も半ばを過ぎました。
いつものシーズンならば「完全終了」で且つ、「冬眠生活」の真っ最中なんでありますが、今年は兎に角シーズンが長かったですよね。
一度「完全に終わった」とほぼほぼ思ったのですが、そこからもう一度完全回復で、根雪だったそれが雲散霧消となってしまうとは・・・。
それによって2週ほども愉しめることになるとはねー。
当該シーズンを振り返ってみると、本当に色んなことがありました。
管理人的に大きかったのは、「昨年度止む無く中断してしまった放流事業を今年は復活できたこと」、このことは大変に意義深い出来事として捉えております。
確かに、北光公園沼への放流を「直前のクマ出没情報による市役所さんからの中止要請」に伴って、池の前への放流に急遽変更したことは、同沼をホームレイクにされている方にはお詫びしかありませんので、全面的に成功したとは言い難かったのではありますが・・・。
「クマには勝てないしー」、のではありますからね、センナキコトではありますかー。
閑話休題、一方では「終わりは始まり」でもあります。
来年の活動の第一歩は、今まさに始まったと捉えることもできます。
日研北海道地区は会員数が落ちてきております、それはこの地区独特の現象ではなく、全国的にみてもかなりの落ち込みです、何せ分母たる「釣り場に釣り人がいなくなってきていている」ことは間違いのない事実でありますれば、比例配分といった作業を経ずとも、さもありなんではあります。
バーチャルゲームの繁栄など、趣味は多様化してきております。
へら鮒釣は所詮は趣味の世界なので、その世界で選択の主流から洩れてきていることは、言い換えれば趣味の淘汰に晒された結果ともいえるかもしれません。
曰く、ネットやSNSなどで、「今時日研」や「アンチ日研」など、いろんな意見があるので、その存在意義を含めた諸説紛々は「ご随意に」と申し上げるほかありませんが、以下縷々日研に所属している人間の一人たる管理人はこう考えていることをこの機会に以下書き進めます。
そもそも、日研とはへら鮒釣が『異常』に好きなやつらの集合であります。
で、『異常なやつらの集団』たる日研とは、「へら鮒釣のためなら無償で何なら持ち出しでも尽くしたいと思って居る集合」とも言い換えることができます。
「へら鮒釣のために」だと、「何を偉そうに俺だって」とのご意見は少なくないと思います。
ただ、一人でできることには、やはり限界があることも動かしようのない事実であります。
数を大きく落として1万2千名から約2千名になった『日研』が、皮肉ながら生き証人そのものでもありますね。
人は、『大義』がなくば動きません、それはあの裏切りが横行した戦国時代にあってさえ、領民が付いていかないなどによらずとも、数多の歴史が証明してくれています。
さすれば「日研の大義」とは如何に、と問われると思いますが、それは「へら鮒釣愛好者の平等快適を計る」ことなのであります。
そうした「大義」を、わかり易く具体化したものの一つが、全国各地で執り行われている『放流事業』なのです。
このことは、『金・人・モノ』が掛かります、先ずは「先立つモノ」『金』ですが、「『放流バッチ』を販売してそれを愛好者に購入していただき、それを原資に」といったことで、得ています。
このことは、「薄く広く」といった性格の資金集めであります。
誰かに多額の出資をしてもらえば簡単そうですが、実はそうした性格の『金』は、「出した人の意向が出る」それとなります。
有態にいえば「金も出すけど口も出す」ことがまかり通ることになります。
なので、そこには平等や快適が両立しがたく、日研を建立し全国の放流事業を確立していった偉大なる先達は、そうした選択を忌み嫌いなんとも手間のかかる「薄く広く」の資金を求めたのです。
『人』は愛好者を含めた日研会員でありまた放流に限ればバッチの協力者(馴染みのスナックのおねいさんが買ってくれるならばそれもやはり協力者の一人であり、へら鮒釣をするかどうかは大事なことではないのです)、また『モノ』は放流べらであり、釣り場であり放流べらを供給してくれる業者さんなどでありましょうか。
こうした放流に関する大義は実は、建立後、後年に出来上がるのですが、そうした放流に関する素晴らしいシステムを生み出したほどの純粋な志が往時のへら鮒釣人の胸を打ったことで、『人』は集まったのでしょう(勿論のこと往時からアンチもいたようです)。
さらには先後転倒ですが、そうした「志を次代に残すため、『組織』が必要」と考えて『日研』を建立したのです。
如何な賢人にも天命には限りがあります。
しかして、「『組織』であるならば、天命を繋いで一番大事な『志』を次代に残せる」と考えて・・・、時は昭和25年1950年は「先見の明」如きの有態の言葉では失礼を禁じえないほどの圧倒的な情熱と使命感が、集まった先達たる日研の功労者のそれを、愚者の管理人とて理解でき得ます。
話が少しばかりうろうろしているように感じるやもですが、今この掲示板をお読みくださっている方にこうした日研の活動の「あたりまえ体操」の裏側を理解いただきたく筆を進めています。
うろうろついでにキーボードを撫で進めば、日研主催の大会や、子供釣り教室、沼の整備なども「あたりまえ体操」として、放流事業と並んで活動しております。
「日研主催の大会」、「子供釣り教室」はわかるけど、「沼の整備」なんてやってねーべや、いやいや例えば苫小牧の地蔵沼、いつ行っても桟橋から釣りが出来ます。
駐車場も舗装こそされてはいませんが、スペースはふんだんに用意されています。
誰の努力もなければ、3年で駐車場は草茫々、桟橋は朽ち果て、沼の存在さえ地図を見なければ確認できなくなります。
「日研苫小牧釣遊会支部」が、数年ごと桟橋を架け替え、駐車場や周辺を草刈し、放流バッチを購入して放流し・・・etc、そしてこのことによる見返りを求めず(放流バッチへの協力依頼は少なからず有ると思いますが)に、また「苫小牧支部以外は釣させません」なんてことが全くないことが、一般愛好者を含めた平等快適な釣りにつながっています。
ただねーこのことは、伝わりにくいんですよねー、「あたりまえ体操」だからです。
設置されている桟橋に、「もう少し頑丈に作れよ」とか「駐車場ぐらい舗装しろよ」なんて声まで聴くとのことは風に乗って耳に入ったことはありますが、いつも整備をしていただき感謝ですとか、毎年放流してくれて感謝ですなんて声は耳に入ったことは無いんですよねー。
沼の整備で行くと、今年はレンギョ沼の水草の除去をしました。
手漕ぎのゴムボート(新べらクラブ所有)や、藻刈り道具などを使って、同沼を中心に活動されている愛好者の皆さんとしました。
また、5~6年ほど前には、鉄板沼への冷蔵庫やテレビなどの不法投棄があった時に、岩見沢市に協力をいただき撤去したこともありました。
1997年建立の新べらクラブの設立当初は、毎例会終了後にその沼で参加会員全員での例会終了後のゴミ拾いもしていました。
そうした活動は、中津湖にごみが無くなっていった頃とシンクロするように各釣り場で殆ど目立ったゴミが無くなったことを潮に、今では数年に一度「目立つなー拾うか」との、嬉しい活動の縮小になってきております。
「日研はなーーーーんにもしてくれない」と、思っておられる方、結構陰では頑張っちゃってるんですよー。
管理人を含めて、日研(北海道地区)の会員はこうしたボランティア精神(無償の行為)を胸に日々活動をしているんです。
批判をする方は自由ですが、こうした活動の一端でも「あたりまえ体操」と捉えずに理解しょうとすれば、枝葉末節を排して大きなくくりで、来るべく目の前の難事に立ち向かえるようなへら鮒釣愛好者の集合が大事になると思うところです。
如何でしょうかねーのココロダー