■■■■■■■■■脱線注意■■■■■■■■■■
感情の解像度を高めるための分析ターンをスキップしてすぐさまアクションターンに移行するのって、いわゆるステレオタイプと呼ばれるやつなんだろーけど、生き物としてはけっこう重要かつ合理的な機能でもあるらしい。
特に即応性が求められるシチュエーションではそれが顕著化する。
コロラド大学の心理神経科学および社会心理学の准教授を務めるJosh Correll(ジョシュア・コレル)が主体となり、以下のような実験を行っています。参考までにどうぞ。
対象
・特殊な射撃訓練の経験があるアメリカの警察官 様々な人種から270名
・学生を含む様々な人種の一般人 245名
実験内容
被験者は、スクリーンに向かって空砲が装填された実銃を構える。撃つ感触は実弾と同じ。
スクリーンには様々な場所や時間帯の無人の風景がランダムに次々と映し出されるが、とつぜん以下の4つが紛れ込む。
①スマホを持った白人
②スマホを持ったアフリカ系アメリカ人
③拳銃を持った白人
④拳銃を持ったアフリカ系アメリカ人
武装した人物が映し出されたら可能な限り早く引き金を引いてください。映し出された人物が非武装だったら、銃を撃たないでください。
実験結果
人物が映ってから引き金を引くまでの所要時間は警察官のほうが早く、誤射率も少なかった(警官あるある)
一般人はより多くの黒人を誤射し、警察官は少しだけ多くの黒人を誤射した。(黒人あるある、銃で撃たれがち)
「世界が危険な場所かどうか」に関する事前アンケートで、世界は危険な場所だという認識が強かった人のほうが判断時間が短く、誤射率も高かった。
詳しくは"shooter task"で調べよう。
ジョシュアは、75年にニューヨークで起こったディアロ事件などの黒人に対する誤射事件をキッカケにして人種偏見に関する研究の道に進んだと語っています。
続いて、ニューヨーク大学で心理学および神経科学の准教授を務めているJon Freeman(ジョン・フリーマン)は各種バイアスについて、第一印象はどのように形成されるのかという視点から分析している。
・・・まぁ英語なのでワケワカランかもしれんけど
ざっくり言うと、誰かの顔を「一瞬だけ」見たとき、脳みそのうち2か所がそれぞれ別々に情報を処理するそうだ。
脳内オフィスで働いてるAチームは、事務員の視神経ちゃんから封筒を受け取る。中には顔写真が入っていた。
Aチームの面々はその写真を見ながら、人種は?性別は?だいたい何歳くらい?口角が上がってる?笑ってる?嬉しそう?
みたいに情報を集めて「30代後半の黒人男性が少しだけ微笑んでる、幸せそう」って感じの報告書を上司に提出する。
それに対して、Bチームには「過去の様々な資料が収納されている棚」がある。
Bチームの面々は写真を受け取ると
「これは黒人だな」
"黒人"と書かれた引き出しに手を入れて、中の資料を無作為にグワシッと掴んでそのまま提出。
その後の脳内オフィス会議では「不敵な笑みを浮かべ、悪いことを企んでそうな30代の黒人男性」って結論が下されがち(脳内オフィスあるある)
ステレオタイプ(偏見やバイアス、色眼鏡などとも呼ばれる現象)は、判断を鈍らせる負の作用として認識されがち(心理学の素人あるある)だけど、撃たなければ自分が撃たれるかもしれないといったような、判断の正確性より早急性が重視される場面で発揮される合理的機能という一面も併せ持っている。
人種に限らず、国籍や宗教、果ては応援しているスポーツチームが違うというだけで対立が起こったりもするけど
逆に言えば、人種も国籍も宗教も違うけど同じスポーツチームを応援してるという共通点でブラザーになることもある。
実験紹介ばかりするのもあれなので割愛するけど、同種の仲間しか助けない白いネズミを黒いネズミと少しだけ同居させたら、その個体以外の全ての黒いネズミを助けるようになったって実験もある。
ジョシュアの実験からは「人間が生まれつき偏見を持ってる生き物(大海を知らないメジナ?)なのかどうかはともかく、後天的な訓練でバイアスを克服することが可能」ってことが分かるし、ジョンの実験を踏まえるなら、Bチームの書類棚を仕訳けすることがバイアスの緩和に繋がるといえるだろう。
というわけで、途方もない脱線から強引な原点回帰をしていくんだけど
ネットに悪口を書くという行為ひとつとっても、その根底にはきっと「生きるために必要なステレオタイプ的機能」およびそれに伴う偏見ってのは必ず潜んでいると思う
感情をそのまま吐き出してしまうダムのない人のことを、僕は昔から心の中で「オート下痢野郎」と呼んでいますが、それが「公衆の面前で晒すべきではない汚物である」という自覚は備わっていると思います。
だから人を選び、場を選び、時を選ぶ。
これ自体は正論だと思うんだけど、読んでいて少し違和感があった。正論だけどもうチョイ掘れそうだ。
というのも、TPOをわきまえている「つもり」の人を、今まで数多く見てきたからだ。嫌でも目に付くからね。
例えば、KANAMEが黒い砂漠のメンツ募集してたけど、MMOなんて究極に分かりやすいモデルだね。
全体チャットで下ネタが飛び交ってたりする。
下ネタ野郎はTPOをわきまえていないのではなくて、黒い砂漠の全体チャットは下ネタが許容されるという性質のTPO(PとO)が形成されて、根付いちゃってるんだよ。
「様々な人がいる場所で、大きな声で下ネタトークできますか?」って聞いたら、ほぼ全員がNOって答えるだろう。
俺を含めてゲーマーなんて内弁慶のチキンハートばかりだからな(バイアス)
砂漠プレイヤーの男女比とか知らんけど、電車の車内やファミレスの店内なんかで、全員に聞こえる声(全体チャット)で下ネタ話したりしますか?って話なわけ。NOなんだよ。
でも、MMOの全体チャットだとドフラミンゴがアクメするコピペとか連呼しちゃうやつが大量発生しがち(MMOあるある)
それ見てて、クソガキおるな~とは思うけど「そういう場所だしな」って感じで違和感は特に沸いてこないんだよな。
「既に形成されているTPOに沿って行動する」ってのは、そのTPOを維持・継続させる一因でもあるわけで
時と所と場合をわきまえてる・・・というとあたかも完全な受け身であるかのように思いがちだけど
実際にはそのTPOの性質に対して賛成票を投じている、燃料補給係を担当してるというアクティブな見方もできると思うんだよな。
特定のMMOのチャット、そのゲームのギルド内、仲のいいパーティメンバーとのチャット、とか範囲が狭くなればなるほどコアでマニアックでカルトな言動ってのも許容されやすくなる。TPOのうちPとOのブレ幅が少なくなって傾向も固まってくるからな。共学より男子校のほうが服も脱ぎやすかろう。
女子高に通ってるJKが授業中にあぐらかいて屁ぶっ放してるのとか信じたくなかったりもするけど、俺たちが意識してるTPOってのも一つ外側の枠から見れば単なるローカルルールに過ぎないし、そのTPOという大義に身を任せてステレオタイプな判断を下しながら偏見とバイアスまみれの生活を送るのも、ある意味仕方のないことだと思う。
ステレオタイプを全廃したら、ありとあらゆる物事がケースバイケースの要審査になっちゃうからな。
ステレオタイプってのも時と場合によって変わる代物だと思うけど、別に俺はそれを否定したいわけじゃない。
確かにバカだと思うことはあるし、同情することもあるけど、結局は本人がそれでいいと思ってるならそれでいいんじゃないか?って考え方だ。
まさにここもそのひとつ。
俺たちがここで何を話しているのかわからない、興味もないって人はたくさん存在していると思う。
コアでマニアックでカルト的な思想を共有しているのかもしれないし、仮にそれが共有できなくても各々に別の友達や所属してるコミュニティは存在するだろう。
特定の環境下で全廃したらそれまでだと思う。
そんなことより、ケースバイケースの要審査、ローカルルールがいかにまかり通る道理があるか説明するのがこの話の行き着く先なのでは、と思う。
それがうまく説明できない舌足らずは、「空気が読めない」とか「浮いてる」とか言われがちだけど、せいぜい自分を特別視することで自分以外の何かを批判するふわっとした自己主張しかできないだろう。
うん、スマン、正直言うとイジめられっ子トピックに投下するため準備してた素材(バイアス云々)を急遽こっちに転用した経緯があるため、バランス悪いな!重心どこやねん!って仕上がりになっちゃってるのは自分でも気づいてます😅
あるあるテンプレート風に言うなら『1つのTPOを満たした途端に視野狭窄しがち』ってのが>> 19の重心です。グラグラですんません、アンカー降ろしときます。
オート下痢野郎について、コッチの角度から覗くとまた別の新たな問題点が見えてこねぇ?って挿し木してる感じ。
MMOの例で言うならギルドチャットや個人チャット
twitterに当てはめるならDMや鍵付きアカウント
このサイトで言うなら、喧嘩OKなトピック全般(運営トピックや質問トピックなどは除く)
そういう「客観的に明瞭な枠があるコミュニティ」の内側でローカルルール的TPOにのっとりステレオタイプな立ち回りを見せる・・・のはまだ分別があるほうで、その場合は枠の外側から「あの~うんち漏れてますよ?」って言われても「あ、ここ広大な便器なんスよ^^;」でまかり通る場面は多々ある。
誰だってうんち我慢するのには限界があるしな。
でも、MMOの全体チャットや有名人へのリプライ欄、喧嘩NGなトピックとかで脱糞しちゃった場合、そこはもう人様の家の玄関だったり駅前の広場だったりレジ前だったりするわけじゃん。
宅飲みで盛り上がって服脱いだまではいいけど、そのまま大路に飛び出しちゃうみたいな。シンゴー!みたいな。
うろ覚えだけど、大会の判定トピックで管理斬りされた狼藉者もいたはず。
例えばこの部分
この「自覚」というのがまさに視野狭窄のトリガーになってると思うんだよな。
有名人にクソリプ送る下痢特戦隊なんてネット上にごまんと溢れかえっていて、赤信号みんなで渡れば怖くない~てな感じで「有象無象のうちの1人としてクソリプ送っても許されそうな流れ(TPO)」に身をゆだね、大通りで脱糞しちゃってる。そしてお巡りさんが近くにいたら即死。その通りだと思う。
彼らもある意味では時と場合を選んでるとも言えるんだろうけど、コミュニティの内外を区切る枠が客観的に不明瞭な場所においては、ローカルルール的なGOサインって他所がたから見れば所詮ただの自己都合なんだよな。
浦賀沖に係留してるペリーの黒船艦隊に対して、ご老公の紋所が通用しないのと同じだ。
ローカルルールという名のハードルを達成したことにより虚報のGOサインをビビッと受信しちゃって
GOサインを受信したことにより視野狭窄して、自覚が足りないままステレオ脱糞ブリブリ
・・・なんてのもオート下痢野郎の生態かと思うわけです。
最後に、これは余計なお節介ですが
「周り」に対する認識も、コミュニティの枠と同様に客観的な基準線が不明瞭なものだと思うので
ローカルルールの外側にいる人から「KANAMEとその周りのクソ野郎」みたいに一緒くたに扱われることがないよう枠線の可視化に気を配ることを進言しておきます。
この批判は見当違い。
俺は自分が絶対的に正しいとは思ってないし、「コアでマニアックでカルト的な思想を共有しているのかもしれないし」とわざわざ断言をしなかったのはここが他の便所と違って便器をひっくり返せるから。
俺が緻密な論理に基づいた常識という名のレンガで頭ぶっ叩けば泣き寝入りする奴もいれば逃げ出す奴もいるし反発する奴もいるだろう。
そして俺は一応「発言の機会」は与えてるつもり。
そこで俺が「無視できない発言」をしてくれば当然取り合う気ではいる。
そんなことをしてきたのは今まででジョニーくらいだよ。
やってることはクズだと思うが、言ってることは無視できなかった。
自己都合の押し付け合いが喧嘩だろ。
綺麗事なのか屁理屈なのか知らんが、それが通じずに管理斬りされてピーピー喚いてる奴がどうして俺にマウント取れないかっつったら「言葉が弱い」からじゃね?
ペリー相手に政所が効力を発揮するようにしなかった、いやできなかったわけだろ。
俺たちにとってこの「普通の喧嘩」が見様によっては「敷居が高い」と感じてる奴もいるだろう。
中には「あんなものはレベルが低い」と判断してる者もいるかもしれない。
でもそれを説得させた奴がどれだけいるんだ?
ブリブリするだけしたことが功を奏してるなら管理斬りした瞬間にそれを以て俺を失墜させることもできたはずなのに、それができなかった理由は?って話になってくる。
あるいはそういった現状を「同調圧力」と非難する者もいるだろう。
同調圧力とは
らしいけど、暗黙のうちに了解されるようになった多数意見に埋れてしまう程度の言葉しか書けないってことでしょ。
そんなことを思う奴がいるとすれば他の喧嘩界隈の連中だろ。
「クソ野郎」と思ってるとしてそれがなんだ?直接言ってこなかったりヒヨって名前変えたりしてる時点で察しだろ。
まあそれとは別に詠み人以外にも王宮制度は近日中に設定する予定だからシクヨロ。
>> 30
「俺は~だ」みたいな話はひとまず置いとかない?
あるいは、話を展開させるにしても、別件として扱おうぜ?
ポジショントークに発展してグダグダになる未来が俺には見える。
もしかしたら>> 11は特定の誰かを想起しながら書かれたエッセイなのかもしれないけど、俺はエスパーじゃないから分からない。
なので、ひとまずは『他人への悪口や有名人へのクソリプなど感情をそのまま吐き出してしまうオート下痢野郎』というペルソナを対象にしたうえで意見投下させてもらってる感じだ。
MMOのキッズや喧嘩界で管理斬りされた狼藉者なんかは参考用の一例であって、俺の意見のフォーカスはあくまで下痢ペルソナに宛ててます、ご了承ヨロ。
オート下痢野郎はオート下痢野郎なりに時と場を選んだうえで他人の悪口を言ったりクソリプ送ったりしてる・・・ってのはその通りだと思うけど、『時と場を選んだ!好機!いざ脱糞!』って判断がそもそも視野狭窄の結果下されてると俺は思うわけよ。
例えばこの「公衆の面前で晒すべきではない汚物であるという自覚」について考察するとき
「自分は有象無象なので相手にされないだろうという自覚」ってのも勿論あるだろうけど、公衆の面前であるという自覚が弱まってしまった結果としてのステレオ脱糞って側面も備わってる気がするんだよな。
で、その自覚が弱まる原因ってのが『ある1つのTPOを満たしたことによる誤報GOサインの受信』だと俺は思うわけ。
客観的に明確な枠で区切られた内側にある喧嘩OKなコミュニティ・・・に限って言うならその通りだよ。
けれども、内外を区切る境界線が不明瞭な、twitterのような場所でおこなわれる「ローカルルール的TPOに則った言動」やそれに付随する「管制された下痢」って、外から見れば制御を放棄された下痢と同じじゃね?
twitterで日常的なつぶやきを書いている人のリプ欄にロンパ狙いのやつが舞い込んできて
「1発殴ったらすぐ認めて謝りやがったw雑魚オツw」みたいなのって、「喧嘩とは自己都合の押し付け合いだ」で解決する出来事じゃないよな。
「喧嘩とは自己都合の押し付け合い」ってのがそもそも喧嘩師的なローカルルールであって、コミュニティの内外を区切る境界が曖昧な場所においてその価値観は機能しないんだよ。
ペリーと紋所の話もそういう内容です。
ライセンスやレギュレーションにより客観的に線引きされているからボクシングやサーキットレースは興行になるのであって、いくら当事者間でローカルルールがあったとしても、河川敷での果し合いや首都高バトルは、有名人へのクソリプと同様、制御を放棄された下痢と見なされるわけで。
喧嘩界隈の人だけをフォローしてる鍵アカウントならそうなのかもしれんけど
>> 28でも言ったように、それは「境界線が明瞭なタイプ(制御された下痢)」に区分してるんで、話がちょっともつれてるな。
KANAMEがtwitterでやってる精神分析的な批判とやらを直に見たことがないので具体的なことは言えないけど
コミュニティを区切る境界線が曖昧な場所においては
【自覚】クソ野郎ではない人しか周りにいなくなる
【他覚】クソ野郎と同じコミュニティに属する、批判する側の人
みたいな不一致は十分に起こり得るってことだ。
ライセンスやレギュレーション(ボクシングやサーキットレース)の例と同じことが言えるんだけど
境界線が明確な場であれば、外側から「あの~うんち漏れてますよ?」って言われても「あ、この線から内側は広大な便器なんスよ^^;」と説明すれば、それがオート下痢ではなく計画的脱糞であることを対外的に示せるわけだけど、境界線が曖昧な場合それ難しくね?
枠のない場所で喧嘩チックなことやってると、いま俺たちが「有名人にクソリプ送るやつ、あるある~」とか外側から他人を小バカにしてる行為が、そのまま自分に刺さりかねない(より刺さりやすくなる)ので気をつけようね、っていう助言だよ。
まぁ自覚と覚悟持ったうえでやってるならそれこそ余計なお節介なんだろうけどな。
よく分からんけどOK