いじめられる側の山田涼介(霧雨)です。
今からお前らにいじめ問題について投下するから盛大に笑えクズ共
そもそもね、いじめというのは「いかにもいじめそうな人」がするものではない。
生徒会長だったり、野球部のキャプテンだったり、明るくて社交的な人だったり、果てには「いじめを根絶する方法」とかいうテーマの作文で金賞とっちゃうような人間がいじめをする
この点についてお前らどう思いますか。殺すぞ
いじめられる側の山田涼介(霧雨)です。
今からお前らにいじめ問題について投下するから盛大に笑えクズ共
そもそもね、いじめというのは「いかにもいじめそうな人」がするものではない。
生徒会長だったり、野球部のキャプテンだったり、明るくて社交的な人だったり、果てには「いじめを根絶する方法」とかいうテーマの作文で金賞とっちゃうような人間がいじめをする
この点についてお前らどう思いますか。殺すぞ
いかにもいじめられそうな陰キャが、逆にネットで他人をいじめるのと同じ。誰にだって裏表はアルカイダ
俺は幼少期、いじめたことも、いじめられたこともある。
その経験から言わせてもらうと、いじめってのはやはり気に入らない人物に対して行われるもの。
外見や素行など、他人とは違うという部分が運悪くピックアップされて複数人でそれが共有されてしまうと、どうしてもその点についていじりたくなる。
そして、いつしかそれがいじめとなる。
逆に、いじめから抜け出す方法は、その環境から逃げ出すか、大人に庇ってもらうしかない。
いじめという強烈な集団意識は、ちょっとやそっとの対抗では反発できない。
ところが、大人の世界でもいじめは存在する。
俗に言うパワハラやモラハラ、セクハラその他。
「キミ、高学歴なのにそんなこともわからないのかネ?」
「◯◯くんって常識ないよね。わかる?ジョウシキ」
「要領悪いし他の人に任せるからもういい」
「同期で入ったアイツはこれだけできてるのに、どうしてお前はできないんだ?帰って仕事の勉強してるか?」
「自分はこんなとこで終わる人間じゃないって顔してるが、能書きばかり垂れ流して行動しないのがお前の悪いとこだぞ。だから後輩に舐められるんだ。悔しくないのか?」
などなどいろんな圧力をかけてくるかもしれないが、言い方はともかくとして糧にすることはできるんじゃないかな?
ここで子供の話に戻そう。
俺は小学生のとき、競泳でそこそこ早かったので特待生コースにいたが、そこは選りすぐりのエリートが集う環境で、当時の俺は一番タイムが遅かった。
つまり能力的に劣っている、というのが理由でいじめられ始めた。
誰にも認められた気がしなかった。
他の子の素っ気無い態度、練習中に足を引っ張られるイタズラ、遅いのを理由に笑われたりもした。
今思うと、まったく大したことではない。
それでも俺は練習に行くのが嫌になったし、最初は負けじと頑張ってたけど、最後は耐えかねて辞めたよ。
とても辛かったし、涙も流した。
が、子供たちがいくら悪意に満ちて当時の俺をいじめていたとしても、彼らは何も間違ってなかった。
そう、俺は能力的に劣っていたからだ。
競泳においては泳ぐのが早ければいい。
それ以外は必要ない。
泳ぐのが遅い、そんな奴は競泳をやるべきではない。
もちろん並の小学生よりはずっと早かったよ、それでもそいつらには勝てなかった。事実だ。
劣っている、負けている奴に発言権はない。
幼くして俺はそれを学んだ。
とてもいい経験だ。
他人をいじめようと粗探しから放たれた鋭利な言葉、それは場合によっては正確な批判ポイント、つまり自分に不足している部分を教えてくれる貴重な意見となる。
よっていじめかどうかはさほど関係なく、そこから何を学ぶか、プラスにできるかということが重要じゃないかな?と思います。
ちなみに学校でいじめていた子とは途中で和解した。
そのせいで俺もハブられたりしたこともあったがまったく気にしなかった。
俺はいじめ反対など言うつもりは毛頭ない。
どんどんいじめられて、どんどんいじめればいいと思ってるよ。
わたしは、イジメというのはしかたのないことだと考えます
なぜなら、そういう人もいるからです
十人十色という言葉をご存知でしょう
考えや好み、性質などが人それぞれ異なることを意味します
たとえば、テレビなどでダイエットがしたいと言いながら、食べている人を見かけませんか?
あなたがどうかは知りませんが、ある人はそれをばかだと評価するでしょう
だって、食べなければ痩せるんですから
今日、いまだ犯罪が絶えません
人を殺してはいけないなんてことは、千年も前から言われていることなのに、まだ殺人事件が起こっています
イジメも同じです
ダメだとわかっていても、やってしまう人はいる
…しかたのないことなのです
よって、問題は、イジメそのものやいじめる側ではなく、いじめられる側の考え方だとわたしは感じます
いじめる側というのは、力を持っています
それは、人数だったり、暴力だったり様々です
そしてその力というのは、見方を変えれば世界をも動かすのです
革命というのも、いわば、イジメのようなものです
つまり、世の中を牛耳っているのは、基本的にはいじめる側の人間です
悲しいかな、人の認識を変えようとする力もまた、いじめる側によってしか生み出せないのです…
…ですが、安心してください
革命というのは、虐げられていた人達が力を持った結果です
つまり、がんばれば、いじめられる側もいじめる側に回ることができるのです
最後に、この言葉を贈ります
同じ海のメジナ 大海を知らず
妄言多謝
総括すると、いじめで退学になったり裁判になったりすることがそもそもおかしいわけだ。あるべきものを無くそうとするなんて愚かだし、そもそも無くなりようがないんだから、いじめの根絶なんて絶対にしてはいけないし、むしろ助長して日本いや世界のあるべき姿を維持せねばならない…。
いじめを日々進化させ、世界をよりよくしよう。いじめを文化化し、笑顔と自殺の両立をはかる…!
うーん、さすがっっ!!!いじめという楽しみがなくなったらお前らの人生どうなるんだって話だもんな…。楽しみを取り上げるなんて、そんなのいじめだもんね!
なんてひねくれていないで、勉強なり人望を得るなりすればどうでしょう…?
勉強をして、イジメを根絶する方法を模索すればいいじゃないですか
人望を得て、イジメを根絶する法案でも可決していこうじゃないですか
今、ここで何を言ってもイジメはなくなりません
イジメ批判論で論破したとしても、イジメで自殺したニュースは世間を賑わせるでしょう
でも、あなたが総理大臣にでもなればどうでしょうか?
もしかしたら、イジメを根絶することができるかもしれない
わたしは先ほど、人の認識を変えようとする力は、いじめる側によってしか生み出せないと言いました
なら、その力をイジメをなくすことに使えばいいのです
ところで、
というのは、恥ずかしながらわたしの造語です
リンク先の文章を、拙いながらたとえたものです
いじめられる側がいじめる側に回るというのは、同じ穴の狢にほかなりません
メジナと一緒です
でも、人は、メジナとはちがって、同じ穴の狢という言葉を理解できます
つまりこれは、それ自体を変えることもできるということです
小さいカゴの中でいじけてないで、外にでましょう
大海を知らないともったいないですよ
生物とは遺伝子の選択や自然淘汰によって少しずつ、一歩一歩、しかし確実に進化し続けてきた。
いじめを無くす、ということは劣等遺伝子の存続にもつながりかねない。みんなで1列に並んで手をつなぐのは、保育園で十分なのだ。そこから先はおのが道。険しき道を歩んでいくのだ。
自殺とはいわば自然淘汰。残る必要のない遺伝子だっただけのこと。
(・ ∀ ・)
いじめをなくして人類が退化するくらいなら、いじめ続けて進化していった方がマシ。そういうことなんです。
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で、お前って実際イヂメられてたんか?
どんな悲惨なイヂメうけた?
小6の時に、俺を馬鹿にした罰としてそいつの机と椅子を3階の窓から落としたら、担任の先生が俺ばっかり責めてきた。
親まで呼ばれててびっくりした。理解に苦しんだ。
生徒同士以上に大人からいじめられてたのかもしれんな
「俺を馬鹿にした」ってところが絶妙に隠されてるな。
そこはあまり語りたくないのか。
何をしたかよりも何をされて机と椅子を3階の窓から落とすという大人を巻き込む事件に至ったのかというほうがずっと重要じゃないか。
多分、些細なことだったんだろう。
詳しいことはあまり覚えてない。
顔を見て笑われたのか、変なあだ名を付けられたのか、そんな感じだろう。
ちなみに当時のあだ名はヤミラミで、ポケモンを知らない俺からしたら机を落とすほどではなかった。
サツマイモと言われたら落としてたかもな。
中一の頃に枕草子を習った。
ぬるくゆるびもていけば、ひおけのひも、しろきはいがちになりて、わろし。
この一節は未だに俺の記憶に根深く残っている。
中一の頃のあだ名はわろしだった。
覚えてない(ということにしておきたい)。
だけど覚えてる。
そしてどれくらいのことをされれば机と椅子を3階から落とすかもしれないということがわかっているが、かもしれない、ではなく、現に机と椅子を3階から落としているとされている。
ここまできて未だに濁されている部分は、やはり現に何をされてそのような行為に及んだのかという点。
>> 8からまるで進展がない。
いじめって言うのはコミュニケーション手段であると言っておこう。
ただ一人の犠牲で他の人たちが団結できるのだから。