仏教のお話

Rの会:無量義経 / 76

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ダルマ太郎 2024/04/20 (土) 22:32:36 修正 >> 4

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法華三部経
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無量義経
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R論:釈尊は、いままでの四十余年間、こういう目的で、このように法を説いてきた、じつはまだ真実をすっかりうち明けていないのだ。しかし、今まで説いてきた教えもすべて真実であり、すべて大切なものである、なぜなら、すべての教えはただ一つの真理から出ているからである。
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太郎論:日本の法華経信者の多くは、無量義経の「四十余年未顕真実(しじゅうよねんみけんしんじつ)」という言葉を切り取って、無量義経以前の教えでは、真実は説かれていないと主張し、法華経の方便品第二の「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん) 但説無上道(たんぜつむじょうどう)」(正直に方便を捨てて 但無上道を説く)を切り取って、法華経においては方便を捨てて無上の道を説くのだ、と主張します。
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太郎論:「真実」は仏教用語では、「絶対の真理」「仮ではないこと」「究極のもの」「真如」を意味します。古代インドでは、真理は言葉では表せないといわれました。それは客体ではありませんから、客観的表現では表せません。言葉は人が作ったものなので、究極的な真理を言葉で表すことはできません。そのことを知っていれば、仏教経典にある教えはすべて真理ではなく、真理へと導く方便なのだと分かります。もちろん、法華経も言葉によって説かれていますから、方便です。
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序分・正宗分・流通分
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R論:序分(じゅぶん)〉とは、そのお経は、いつ、どこで、どんな人びとを相手として、なぜお説きになったのかという大要などが書かれてある部分。正宗分の糸口。

正宗分(しょうしゅうぶん)〉とは、そのお経の本論。中心となる意味をもった部分。

流通分(るずうぶん)〉とは、正宗分に説いてあることをよく理解し、信じ、身に行えば、どんな功徳があるかということを説き、だからこれを大切にして、あまねく世に広めよ、そういう努力をする者にはこんな加護があるのだよ、ということを説かれた部分。
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法華経 迹門(しゃくもん)本門(ほんもん) 迹仏(しゃくぶつ)本仏(ほんぶつ)
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R論:迹門の教えは迹仏の教え。迹仏とは、実際にこの世にお生まれになった釈迦牟尼世尊のことです。ですから、迹門の教えは一口にいって、宇宙の万物万象はこのようになっている、人間とはこのようなものだ、だから人間はこう生きねばならぬ、人間どうしの関係はこうあらねばならぬ、ということを教えられたものです。いいかえれば、智慧の教えです。
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R論:本門では、「本来仏というのは、宇宙のありとあらゆるものを生かしている宇宙の大真理〈大生命〉である」ということを明らかにされます。したがって本門の教えは、自分は宇宙の大真理である〈本仏〉に生かされているのだ。という大事実にめざめよ、というもので、智慧を一歩超えた素晴らしい魂の感動、本仏の〈大慈悲〉を生き生きと感じる教えです。〈慈悲〉の教えです。
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太郎論:法華経には、「真理と現象」のことが説かれています。真理によって現象は起こり、住し、異変し、滅します。現象は真理によって起こります。また、真理は目に見えませんから、真理を覚るには現象を観察する必要があります。現象は真理によって起こりますから、現象を通して真理を観ることができる、という理屈です。ただし、そのことを理解するのは難しいので、法華経前半では、「言葉によって真理を知る」、ということが説かれています。真理へと導くものを方便といいますので、前半では、言葉を方便だとして説いています。後半では、「現象を通して真理を知る」、ということが説かれています。
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仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうぎょう)
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R論:わたしどもが法華経の精神を身に行うための具体的な方法として、(釈尊は)懺悔(さんげ)するということを教えられてあるのです。
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R論:修行次第で自分も仏になれるのだとわかっても、日常生活では悩みや苦しみ、いろいろな欲や悪念が次から次へと湧いてきます。それで、せっかく自分も仏になれるという勇気もくじけがちになります。つい迷いの黒雲に押し流されそうになるのです。その黒雲を払いのけるのが懺悔であり、その懺悔の方法を教えられたのが《観普賢経》なのであります。
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懴悔(さんげ)とは
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R論:第一に、「誤りを自覚する」
第二に、「それを改めることを心に誓う」
第三に、「正しい道に向かう努力をする」

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法華三部経
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