仏教のお話

Rの会:無量義経 / 6

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ダルマ太郎 2024/03/20 (水) 20:35:14 修正 >> 2

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仏教はただ一仏乗
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○ ただ一筋しかない仏の教えの大道に目を向けさせようという、やむにやまれぬ熱意から書かれたのが、ほかならぬ≪妙法蓮華経≫だったのです。
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紀元前後に般若経の一派が起こり、自らを大乗仏教だと称しました。それまでの仏教は、自分たちの修行しか考えていない劣ったものだといい小乗仏教だと蔑称で呼びました。ただし、ここで小乗仏教と呼ばれたのは、説一切有部(せついっさいうぶ)です。説一切有部は托鉢(たくはつ)をせず、精舎(しょうじゃ)にこもって経典の研究ばかりしていたため、劣っているといわれました。
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やがて説一切有部と大乗仏教徒の間で対立が起こり、説一切有部は大乗を伝統のないでっちあげの仏教だと非難し、大乗は説一切有部を成仏できない仏教徒だと非難しました。そのことを哀れだと思った法華経の一派が、小乗(説一切有部)も大乗も同じく釈尊の弟子であり、誰もが修行次第で成仏できるとして「一仏乗(いちぶつじょう)」を著しました。それが法華経です。
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中国に〈理〉の花開く
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大乗仏教は、インドから中央アジアを経て、中国に渡りました。法華経も同様です。紀元前後から編纂(へんさん)され始め、2世紀頃に成立し、中国に伝わって、数人の訳経僧(やっきょうそう)によって中国語に訳されました。その中でも鳩摩羅什(くまらじゅう)による『妙法蓮華経』が有名であり、中国・日本において法華経というと妙法蓮華経だといわれています。
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鳩摩羅什は、龍樹(りゅうじゅ)の思想に傾倒しており、妙法蓮華経を訳す前に、龍樹の『中論(ちゅうろん)』『大智度論(だいちどろん)』などを訳しています。いわゆる中観派(ちゅうがんは)です。中観派は、般若経を支持しますので、鳩摩羅什は法華経よりも般若経の布教を進めていたようです。龍樹も法華経よりも般若経を支持しています。大智度論は、『二万五千頌般若経』について論じたものです。
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7世紀頃、中国に智顗(ちぎ)が生まれ、実質的に天台宗の開祖となりました。智顗以前、天台では龍樹を支持しており、『中論』『大智度論』を拠り所にしていました。智顗は、それに加えて、法華経を取り入れています。よって智顗は、中観派と法華派だったのです。特に法華経については、「法華第一」と言って特別視し、仏教経典中最高の経典であると位置づけました。智顗は、法華経を徹底的に研究し、龍樹の論を参考にして、『法華玄義(ほっけげんぎ)』『法華文句(ほっけもんぐ)』『摩訶止観(まかしかん)』などの書を著し、中国や日本の多くの僧侶・仏教者に読まれました。『摩訶止観』にある「一念三千」は有名です。こうして、智顗によって法華経の「理」の花が開きました。
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仏教はただ一仏乗
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    ダルマ太郎 2024/03/29 (金) 22:05:43 修正 >> 6

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    日本で〈事〉が完成
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    法華経は日本文明の基礎
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    聖徳太子は法華経の精神を基にして、有名な《十七条憲法》をつくられ、はじめて日本に〈国の法〉と〈人間のふみ行なうべき法〉を打ち立てられました。わが日本の文明の夜明けが、ほかならぬ法華経の精神によってなしとげられたという大事実を、われわれは忘れてはならないのです。
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    聖徳太子(厩戸皇子(うまやどのみこ))は、仏教を篤く信仰しており、『法華義疏(ほっけぎしょ)』『勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)』『維摩経義疏(ゆいまぎょうぎしょ)』という三経の解釈本を著しています。
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    伝教大師最澄
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    平安朝時代の堕落
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    念仏の教え
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    禅宗が起こる
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    日蓮聖人の出世
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    法華経は実践の教え
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    ○ 真の救いは法華経の教えの〈実践〉にあるということです。
    ○ 理解から信仰へ、信仰から実践へ、ということです。
    ○ 天台大師の解き明かされた〈理(理論)〉を徹底して実践。

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    法華経は救い第一の教え
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    ○ 法華経は〈人間尊重〉の教えであり、〈人間完成〉の教えであり、その上に立つ〈人類平和〉の教えです。
    ○《法華経》はその内容が尊いのです。その精神が尊いのです。そして、その教えを実践することが尊いのです。

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    庭野開祖は、人間尊重・人間完成・人類平和を願っていたのでしょう。そして、その答えが法華経にあるとして、法華経の解釈をしたのでしょう。法華経をそのように読めば、そのように解釈できますので、それはそれでいいのかも知れません。しかし、法華経が説かれた目的は、衆生の仏知見(ぶっちけん)を開かせ、仏知見を示し、仏知見を悟らしめ、仏知見の道に入らしめることです。このことは、方便品第二に書かれています。これを一大事因縁といいます。
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    諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
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    仏知見とは、「仏のものの見方」です。諸仏世尊は、衆生に仏のものの見方を開き、示し、悟らせ、道に入れるために教化します。その点でいえば、人間尊重・人間完成という目的は合っているのでしょうが、人類平和につながるのかどうかは分かりません。一切衆生を成仏させれば平和になるのでしょうが、それを目標とするには、あまりに道のりは遠いように思えます。
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    法華経は、この世に浄土(平和世界)を築く教えだといいます。凡夫にとっては、貧富の差があり、病があり、争いがあって、地獄・餓鬼・畜生・修羅の境地にあるように思えますが、仏の見方は、常に涅槃の状態であって浄土です。そのような見方を手に入れるのが法華経ではないでしょうか? 現象世界は無常ですから、自由自在に自分の思い通りにはコントロールできません。思い通りにしようとすれば、抵抗され、否定され、無視され、攻撃を受け、心身共に苦に堕ちます。夫婦・兄弟・親子でさえも、争いがあり対立するのが現実です。それなのに、世界平和を実現できるとは思えません。
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    日本で〈事〉が完成
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    ダルマ太郎 2024/04/17 (水) 16:44:06 修正 >> 6

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    南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)
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    ○ 「ああ、ありがたい妙法蓮華経! わたくしはこのお経の真実の教えに全生命をお任せします!」
    ○ 尊いのは、あくまでも法華経の教えなのです。そして、その教えを実践することなのです。
    ○ 〈南無妙法蓮華経〉と唱えるのは、その受持と実践との信念をいよいよ心に固く植え付けるためにするのです。

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    妙法蓮華経とは、鳩摩羅什(くまらじゅう)の訳した法華経のタイトルですから、南無妙法蓮華経というのは、法華経という経典への帰依だと受け取る方が多いようです。そのような解釈が間違いだとは言いませんが、帰依の対象は経典ではなく、「真理と現象」であることを知らなければなりません。妙法とは、「正しい真理」。蓮華とは、「蓮の花」のことです。蓮の花は現象であり、妙法は真理です。よって、妙法蓮華とは、「真理と現象」「現象を通して真理を観る」ということです。南無妙法蓮華経とは、「真理と現象に依る教え」に帰依するのです。このことは、法華経前半では書かれていませんが、如来寿量品第十六にて明らかになります。
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    南無妙法蓮華経は、日蓮が使い始めたのではなく、天台宗ですでに唱えられていました。「朝題目。夕念仏」というように、朝には、「南無妙法蓮華経」を唱え、夕には、「南無阿弥陀仏」を唱えていたのでしょう。インドでも題目は唱えられていたようです。もちろん、サンスクリット語でです。
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    ナマス・サッダルマ・プンダリーカ・スートラ
    Namas Saddharma-puṇḍarīka-sūtra

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    もともとインドで唱えられていたのかは不明です。日本の題目をサンスクリット語にして唱えているだけなのかも知れません。
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    南無妙法蓮華経
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