名前なし
2023/04/19 (水) 12:22:57
e3d3d@0fbbd
詳しく調査したわけじゃないんだが、なんでこの時期、紫電のはドラムマガジンタイプなんだろ?ベルトになっても可笑しくはないはずだが。
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同じく詳しくはわからないけど、強風が紫電への改装を受けて飛行を行ったのが昭和17年、同じく99式二号銃のドラムが60発から100発への切り替えが進められたのも昭和17年(ベルト給弾式の二号銃が存在していない)からじゃないかな?それとコイツ開発順序的に翼下のガンポが先につけられてからその後に翼内20ミリが追加されたのも関係してるかもしれない。
昭和18年~19年頭辺りまでの構想だと紫電への4型銃(ベルト給弾)の装備は紫電改から予定していた節があります。
Wikipediaさん辺りだと数少ない11型無印の写真から逆算したのか、無印の20mmは主翼下2門のみと言う事が書いてますが事実誤認的な部分があって、実際は最初から4門で進めていた節があります。
元々、強風から紫電への早期戦力化を目指したためだと思われる。紫電11型は早期の戦力化を図るために発動機変更と陸上機化にかかる部位を除き最低限の改造で済ませている。主翼に関しては主脚周り以外はほぼ強風と同一。ベルト給弾にするためには更なる主翼の改造が必要になるが、状況的に優先順位は低かったのは想像できる。後に乙型では翼内4丁になる。
主脚部が長すぎて、強風の元からあった20ミリは除けられてガンポッドに装着する羽目になったんだろうね。にしても、ガンポッドと主翼のあの位置だとドラムマガジン装填作業が大変だな。絶対どこか、お互いに干渉するだろうし
碇義郎の最後の戦闘機紫電改の本では、試作機一号にはガンポッドなし、六号からはガンポッド付で、生産51号からはガンポッド付の四門となり、ベルト後に主翼四問収まるようになったとか