名前なし
2024/08/07 (水) 18:10:13
d35fe@7825f
史実では羽黒のみマリアナ沖海戦後の魚雷発射管2基撤去は行われてないはずなのになんで妙高と同じ2基になってるの?考証不足なのか意図的なナーフなのか…
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レポート1/レポート2/レポート3 これに関しては何度かバグレポが書かれているけど、Gaijin側が参照している文献には1944年で魚雷発射管が撤去されているとあって、レポーター側は1945年に撤去されたという明確なソースを2つ以上出せていないのが実情 RUフォーラムだからこういう対応という訳ではなく、EN勢でも同じ回答をしているので単純にもっと強いソースが必要という訳
即レスありがとうございます。すでに報告済なんですね。私の知ってる限りではレイテ沖海戦時の羽黒の戦闘詳報で片舷8本の魚雷を発射した旨の記載のみで他のソースは心当たりがないです。
妙高の方で昔書いたんですが、レイテ沖海戦の戦闘詳報や証言なんかを見ると妙高型の全艦は発射管4基のままで2基減らした形跡がないですね。
逆に開発者に1944年に発射管が撤去された複数の根拠を提示してほしいですね
日本だと現在ではほぼ否定されていますが古めの書籍だと(おそらく)「Japanese Naval Vessels at the End of War」にある妙高の図(発射管が2基撤去済)を根拠に、44年の電探や機銃増備の代償重量として発射管が撤去されたと言う話があったりします。その辺りの研究がその当時の海外書籍に取り入れられたものの、そこからおそらく更新されていないと思われます。そういう感じで新しい話と古い話をそれぞれが根拠にしていて話が噛み合っていないので、双方が「おかしいだろ」と言う状況になっている気がします。
ありがとうございます。そういう経緯だったのですね。なにか戦闘詳報以外で装備状況がわかるソースがあればいいのですが。
レイテ沖海戦辺りから後の資料はあまり無いようなので、一次資料はレイテ沖海戦の妙高型各艦の記録と礼号作戦での足柄の魚雷8本投棄を根拠にするか、大和ミュージアムの所蔵資料に図面がある事を祈るくらいですね。二次資料なら比較的新しい歴史群像の「真実の艦艇史3」辺りを軸に数を出していく感じになるかなと思います。