日本だと現在ではほぼ否定されていますが古めの書籍だと(おそらく)「Japanese Naval Vessels at the End of War」にある妙高の図(発射管が2基撤去済)を根拠に、44年の電探や機銃増備の代償重量として発射管が撤去されたと言う話があったりします。その辺りの研究がその当時の海外書籍に取り入れられたものの、そこからおそらく更新されていないと思われます。そういう感じで新しい話と古い話をそれぞれが根拠にしていて話が噛み合っていないので、双方が「おかしいだろ」と言う状況になっている気がします。
逆に開発者に1944年に発射管が撤去された複数の根拠を提示してほしいですね
日本だと現在ではほぼ否定されていますが古めの書籍だと(おそらく)「Japanese Naval Vessels at the End of War」にある妙高の図(発射管が2基撤去済)を根拠に、44年の電探や機銃増備の代償重量として発射管が撤去されたと言う話があったりします。その辺りの研究がその当時の海外書籍に取り入れられたものの、そこからおそらく更新されていないと思われます。そういう感じで新しい話と古い話をそれぞれが根拠にしていて話が噛み合っていないので、双方が「おかしいだろ」と言う状況になっている気がします。
ありがとうございます。そういう経緯だったのですね。なにか戦闘詳報以外で装備状況がわかるソースがあればいいのですが。
レイテ沖海戦辺りから後の資料はあまり無いようなので、一次資料はレイテ沖海戦の妙高型各艦の記録と礼号作戦での足柄の魚雷8本投棄を根拠にするか、大和ミュージアムの所蔵資料に図面がある事を祈るくらいですね。二次資料なら比較的新しい歴史群像の「真実の艦艇史3」辺りを軸に数を出していく感じになるかなと思います。