2ヶ月前にTada氏の存在が確認された…されていた模様(ソース元小ネタに記載)
thx。2/23戦死ならカービィ大尉の3/5戦死とも噛み合わないし、相変わらず疑問符は取れないね。
多田さんに失礼な話だけど目立つエースパイロットではなかったみたいなのに何でロシア語の資料に名前が載ってたんだろう?というかどう考えても竹一をチューイチとは読まないだろ…
カービィ大佐の戦死は44年で多田氏の死亡は45年の話なので噛み合いはしますよ
葉1 竹一→なんて読むの?チクイチ?→そこから訛ってチューイチ って感じとか?
まあそれしかないよな。ネットで検索する程度でも怪しさが見えるような資料ベースにして機体実装するとか🐌の劣化酷くない?まさか第14飛行団部隊史誌を読んだなんて事はありえんだろうし。
翔鶴が間違い間違ってカデクルになったような話かなぁ?キツーカって前例が既にあるしなぁ
大変失礼な話だけど葉1氏の言うように有名な(ピックアップする)パイロットではないので勘違い説が有力だろうね。[37]にもあるようにこの迷彩を使うことも無いようだし整合性に欠ける部分は目立つ。ただおそらくは、78戦隊の多田竹一氏という存在は把握していた(タダ~イチの一致、飛燕の一致、78戦隊の一致)ものの、勘違いでエース扱いになってしまったのだと思う。そう考えると、マイナーな一パイロットの情報がどこ経由で伝わったのかというところがちょっと興味深いね(全くの偶然でこの一致が起きていればもっと凄い)
葉2 小ネタの中でカービィ大佐の戦死を翌日としているから勘違いしてたけど、翌年なのね。ホーランヂヤに78戦隊が移動して77戦隊と合流(手持ちの情報では「3月に移動」までしか分からず、詳細な日程は不詳)。カービィ大佐は3/5に隼に被撃墜とのことで、本当にカービィ大佐を撃墜したのが多田さんであれば、転進後わずか数日で隼に機種転換して交戦しているということになりそう。いずれにしろ、第二次侵攻になるからマーキングの間違いはほぼ確定で、何なら全体が黄緑7号である場合、機種上面の防眩塗装もプロペラも黄緑7号だと思う。やっぱ本読みに行くしかないかな。
というか、元ネタと思われる塗装図には「1944年4月6日にP-38の大群と交戦して戦死した78戦隊のTada Chuichi軍曹(4機撃墜)」とあるらしく、日付が全然違うのがかなり謎。やっぱりどこかで取り違えが起きてるね。
そもそも普通の丙型が78戦隊の奴なのにまた78戦隊の機体を実装しようとしたのも分からない。被るなあとか思わなかったのか?
多分乙型の無塗装スキンを加工してるだけのローコストテクスチャだから、単色塗装っていう一点だけで適当に選んだんだと思う。
不適切なコンテンツとして通報するには以下の「送信」ボタンを押して下さい。 現在このグループでは通報を匿名で受け付けていません。 管理者グループにはあなたが誰であるかがわかります。
どのように不適切か説明したい場合、メッセージをご記入下さい。空白のままでも通報は送信されます。
通報履歴 で、あなたの通報と対応時のメッセージを確認できます。
thx。2/23戦死ならカービィ大尉の3/5戦死とも噛み合わないし、相変わらず疑問符は取れないね。
多田さんに失礼な話だけど目立つエースパイロットではなかったみたいなのに何でロシア語の資料に名前が載ってたんだろう?というかどう考えても竹一をチューイチとは読まないだろ…
カービィ大佐の戦死は44年で多田氏の死亡は45年の話なので噛み合いはしますよ
葉1 竹一→なんて読むの?チクイチ?→そこから訛ってチューイチ って感じとか?
まあそれしかないよな。ネットで検索する程度でも怪しさが見えるような資料ベースにして機体実装するとか🐌の劣化酷くない?まさか第14飛行団部隊史誌を読んだなんて事はありえんだろうし。
翔鶴が間違い間違ってカデクルになったような話かなぁ?キツーカって前例が既にあるしなぁ
大変失礼な話だけど葉1氏の言うように有名な(ピックアップする)パイロットではないので勘違い説が有力だろうね。[37]にもあるようにこの迷彩を使うことも無いようだし整合性に欠ける部分は目立つ。ただおそらくは、78戦隊の多田竹一氏という存在は把握していた(タダ~イチの一致、飛燕の一致、78戦隊の一致)ものの、勘違いでエース扱いになってしまったのだと思う。そう考えると、マイナーな一パイロットの情報がどこ経由で伝わったのかというところがちょっと興味深いね(全くの偶然でこの一致が起きていればもっと凄い)
葉2 小ネタの中でカービィ大佐の戦死を翌日としているから勘違いしてたけど、翌年なのね。ホーランヂヤに78戦隊が移動して77戦隊と合流(手持ちの情報では「3月に移動」までしか分からず、詳細な日程は不詳)。カービィ大佐は3/5に隼に被撃墜とのことで、本当にカービィ大佐を撃墜したのが多田さんであれば、転進後わずか数日で隼に機種転換して交戦しているということになりそう。いずれにしろ、第二次侵攻になるからマーキングの間違いはほぼ確定で、何なら全体が黄緑7号である場合、機種上面の防眩塗装もプロペラも黄緑7号だと思う。やっぱ本読みに行くしかないかな。
というか、元ネタと思われる塗装図には「1944年4月6日にP-38の大群と交戦して戦死した78戦隊のTada Chuichi軍曹(4機撃墜)」とあるらしく、日付が全然違うのがかなり謎。やっぱりどこかで取り違えが起きてるね。
そもそも普通の丙型が78戦隊の奴なのにまた78戦隊の機体を実装しようとしたのも分からない。被るなあとか思わなかったのか?
多分乙型の無塗装スキンを加工してるだけのローコストテクスチャだから、単色塗装っていう一点だけで適当に選んだんだと思う。