そう、チハは九四式の弾を900〜1000mで弾く事を基準に前部を25mmの浸炭処理装甲に設定したのですが 設計年が1936年なので、それより前に生産され輸出されていた対戦車砲は37mm Tak29(Pak36の輸出型で九四式よりやや優る)とオチキス25mm(九四式の方がやや優る)ないしボフォース37mm(九四式の方が優る)の3つとなります。しかし、これらには日本が輸入した記録が見つけられない為日本への輸出を危険と判断し輸出しなかった・存在を知らされていなかった、あるいは九四式の方が勝ると判断し輸入しなかったという事になります
(37mm Tak29の場合は国民党との戦闘で初めて入手し、その後サンプルにしているのを見る限り日本には輸出しなかった線が濃厚)。
そうなると日本が参考にできたのはプトーM1916 37mm歩兵砲やその派生の十一年式平射歩兵砲ないし”狙撃砲”となり自国の九四式三七粍速射砲を防げてかつ歩兵砲を弾く設計であればよいという事になったので”歩兵砲”という紛らわしい書き方をしてしまいました。八九式と混同していた訳ではありませんが、誤解させてしまい申し訳ありませんでした。修正しておきます。
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