名もない管理人
2024/11/14 (木) 12:49:47
b7336@bc0ba
言われて考えて見た(長くなったのでラベリング)
人格牌は「本人の可能性」から引き出しているけど。ネームド人格は「なるべく性質が近い別人」という本来の鏡技術に近いモノなのよね。
本来の鏡技術は「他人の人格を被せる」ため元の人格と競合して人格崩壊して卵のようになってしまうという問題がある。(レヴィタンでそういう人出ているし、ヒースクリフの章で出た「生地」もこの対策の一つ)
通常人格は何処まで行っても「自分」であり、ネームド人格は「近しい性質の誰か」であるため競合が起きにくい。また同時に夢うつつにさせることで、別の誰かという違和感を限りなく抑えている
これらを前提に考察すると記憶を失った=何者でもなくなったドンキはネームド人格が被れない(近しい性質の人が居ない)ということでもあり、同時に誰にでもなれる「生地」に近い状態だったとも考えられるね。
極端な例ではあるが、黒沈さんとか赤霧さんを被ることも出来た可能性があって。それをやらなかった理由は人格牌システムがそうできてなかったのと、「誰かの複製」ではなく「確立した新しい自分(新しいEGO)」が黒幕の目的であることの示唆?
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硝子窓と鏡を混同してる気がするな