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19435
名もない管理人 2024/05/11 (土) 05:45:49 ce9eb@15aa5

あなたはどの拒否コメントが好き?
「お前の話は最後まで気に入らないな。」
「今この会話は無意味だ」
「カルメンさん…どうにも違う気がします。」
「そうはなりません、カルメンさん。」
「不確実な人生の中で、誰よりも確実なものを持っている私が道を作ってやったんだ!」

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  • 19436
    名もない管理人 2024/05/11 (土) 05:51:16 302b0@9a361 >> 19435

    三番目のドンラン、ねじれに身を任せていたところから脱して発現するのもあってか感慨が違う
    最後のエイハブはアイツが時計頭一行に負けそうになってねじれるorE.G.Oを発現するほど絶望するようなタマに思えないし白鯨に呑み込まれてピークォドタウンを作るまでの段階で対話終えてたんじゃ無いかなって勝手に思ってる

    19453
    名もない管理人 2024/05/11 (土) 12:00:11 ab1a6@13cd2 >> 19436

    個人的考察だけど、エイハブはあくまでもあの瞬間にEGO発現したと思ってる
    機を見るに敏な船長がEGO出し惜しみして負けるとも思えないし、カートリッジにする船員なら道中の犠牲でたくさんいたし、道中の突破にもEGOを使わない理由がない
    何より、自身の延長として自在に操れるEGOの性質って、エイハブにとっては船員がまさにそれだからね
    手元に船員がいる間は必要なくて、全員死んで初めて船員の代替としてEGOが必要になったんじゃないかなって

  • 19440
    名もない管理人 2024/05/11 (土) 09:09:25 382fa@ce55e >> 19435

    ドンラン、ほとんどねじれてたのに土壇場で「……うーん、なんかちげーな…」って冷静になる余地があったの興味深い。大概の場合人間がねじれる場合激しい感情を伴い、振り回されて暴れるだけになってしまうような印象ばかりがあるが、考え直す事ができたのは彼が研究者を生業にしていた故か、それともねじれる切っ掛けがどうしようもない悲しみとはまた少し違った諦観、自分にはなにもないという虚無の感情からくるものであったからか…。ねじれている本人の精神状態が描写されたのはヒースが初めてだからこそ、キムサッガッやドンランの場合を知れなかったのが全く以て、惜しいよな。ねじれ現象とは全く持って不思議なことばかりだ。