ドンラン、ほとんどねじれてたのに土壇場で「……うーん、なんかちげーな…」って冷静になる余地があったの興味深い。大概の場合人間がねじれる場合激しい感情を伴い、振り回されて暴れるだけになってしまうような印象ばかりがあるが、考え直す事ができたのは彼が研究者を生業にしていた故か、それともねじれる切っ掛けがどうしようもない悲しみとはまた少し違った諦観、自分にはなにもないという虚無の感情からくるものであったからか…。ねじれている本人の精神状態が描写されたのはヒースが初めてだからこそ、キムサッガッやドンランの場合を知れなかったのが全く以て、惜しいよな。ねじれ現象とは全く持って不思議なことばかりだ。
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