誰にでも書き込める様に こんなお部屋を作っちゃいましたW😜
簡単な「料理のレシピ」・「こんなもの 食べました」や、「趣味」の事でもいいですよ。
すっかりSNS化してしまった今日この頃です。(笑)
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島田荘司先生の肖像と作品他
島田先生、ダンディですね。
島田先生と「傘を折る女」で御手洗潔を演じた玉木宏さん
ちなみにこの作品で使われたトリックが、「金田一少年の事件簿」で流用された事は有名です。
坂口安吾先生と「不連続殺人事件」
泡坂妻夫氏の作品
「しあわせの書」は、ちょっとした手品にも使えます。
便利です。(笑)
「11枚のとらんぷ」
「奇術探偵 曾我佳城全集」
「しあわせの書〜迷探偵ヨギ ガンジーの心霊術」
「乱れからくり」
「亜愛一郎の狼狽」
( ウィキペディア より)
泡坂 妻夫(あわさか つまお、1933年5月9日 - 2009年2月3日)は日本の推理作家、小説家。東京都千代田区(当時東京市神田区)出身。東京都立九段高等学校卒。筆名の"泡"の旁は正しくは"己"ではなく"巳"。本名は厚川 昌男(あつかわ まさお)。筆名は本名のアナグラムである。
東京・神田で「松葉屋」の屋号を持つ紋章上絵師(もんしょううわえし・和服に家紋を描き入れる専門の絵師)の家に生まれる。定時制で高校に通いながら約5年の会社勤めを経て、家業を継いで上絵師として働く。家業の傍ら幻影城新人賞に応募した短篇『DL2号機事件』が佳作入選して1976年に43歳で作家デビューした[1]。
その逆説を多用する作風から「日本のチェスタトン」と呼ばれた。また、劇中で用いられているトリックのタネを書籍自体に施した『しあわせの書』や、袋綴じされているページを切り開くと内容が変化する『生者と死者』など、紙媒体でしか成立しない仕掛けを施した[2]、遊び心と技巧が一体となった作品がある。 文章中に繰り返し符号「々」を使用しないことが知られている[3]。
作中で活躍する探偵役としては、亜愛一郎、曾我佳城、ヨギガンジー等。作品世界はすべて繋がっているらしく、ある作品の登場人物が別シリーズの作品にチラリと登場したり、時代小説にも先祖らしき人物が現れたりする。シリーズを終了させる際にパーティ場面を設定して、これまでの全主要人物が一堂に会する恒例のパターンなど、こまかな遊びがファンを喜ばせている。
また、泉鏡花文学賞を受賞した『折鶴』、直木賞を受賞した『蔭桔梗』などは、職人の世界を舞台にした「人情もの」小説である。
奇術愛好家兼奇術師としても有名であり、1968年に第2回石田天海賞を受賞している。また、自身の名を冠した奇術の賞に厚川昌男賞がある。
作家活動と並行して家業の紋章上絵師の仕事も続け、その経験・知識から、家紋についての本も著している。
2009年2月3日、急性大動脈解離のため東京都内の病院で75歳で他界した。15年ぶりのシリーズ再開で、死の前日まで執筆した『ヨギガンジー、最後の妖術』が絶筆となった
まさに天才ですね。
歌野晶午 「密室殺人ゲーム王手飛車取り」
松本清張や、横溝正史さん、高木彬光さんを忘れるところでした。(^_^;)
お勧めビデオの紹介になります。😄
『 アデライン 、100年目の恋 』(2015年 米国作品 主演:ブレイク・ライヴリー)
あらすじ:
アデラインは交通事故による偶然が重なり不老の体となってしまった。その事実を知られないようにするために、アデラインはたびたび名前を変える必要があった。当然のごとく、アデラインの恋は長続きすることがなかった。そんなある日、ニューイヤーパーティでエリスという青年と出会うアデライン。
なんとロマンティックで、贅沢な作品でしょう。
おまけに脇をハリソン・フォードが固めているとは・・・。
個人的には好きな作品です。
この作品が好きな人は、きっと『 ジョー・ブラックによろしく 』も気に入る筈。
『 アデライン、100年目の恋 』
相当 ロマンティックな2連発です。
『 ハンドレッド 』( The 100 )
( あらすじ )
シリーズは、地球上のほとんどの生命を絶滅させた核戦争の97年後に始まる。戦争前に軌道上に置かれた12の宇宙ステーションの居住者だけが生き残る。宇宙ステーションは連結して居住ステーション"アーク"を構成し、ジャハ議長の指導のもとに2400人が生き残る[1]。資源は不足し、18歳以上の犯罪は軽重を問わず宇宙空間への放出の刑となる。アークの生命維持装置に重大な障害が見つかり、100人の18歳未満の囚人たちは"使い捨て"だと宣言され、"ハンドレッド"計画の名のもとに地球が居住可能かどうか確認するためワシントンD.C.近くの地表に送りこまれる[7]。地表に着いた後は、マウント・ウェザーにある軍事基地に避難場所と食料を頼ることになっていたが、目的地から離れたところに着陸してしまう。若者たちは新世界の驚異と危険に直面しながら共同体を作る。やがて彼らは、グラウンダーと呼ばれる生き残りや、人喰いのリーパー、そしてマウンテン・マンらが核戦争を生き延びたことを知る。
( 感 想 )
女性が限りなく強い。
ある意味、レスビアンを中心とした愛憎劇かも。。。
とにかく面白い。
『悪魔くん』と『魔太郎が来る』を、並べてみる。
ついでに「きりひと」と「笑うセールスマン」も並べてみます。
も一つ おまけに故 古賀新一先生の「エコエコアザラク」です。
ひぃ 怖ぇえよ
~。
楳図かずお先生の『 漂流教室 』です。
こうやって並べてみると、どれも独特の空気感を纏っていますね。(・_・;)
2011年 お亡くなりになられた和田慎二先生の作品群。
「花とゆめ」を、読んでた気がします。(笑)
「スケ番刑事」は、言わずもがな。
「銀色の髪の亜里沙」は、今 TVでやってる「モンテクリスト伯」のマンガ版です。
「ピグマリオ」は、ちょっと泣けました。
(「海のトリトン」と「ピグマリオ」に着想を得たのかな)
「怪盗アマリリス」が声で建物を破壊するというのは、色んな意味で凄いと思いました。
本当に惜しい方を、亡くしました。😢
「推理小説とミステリーの系譜」(その5) 京大ミステリー研究会
「新本格」について考える時、京大ミステリー研究会の存在を忘れる訳にはいかない。
実際、綾辻行人、我孫子武丸、麻耶雄嵩、法月輪太郎、清涼院流水、小野不由美と京大ミステリー研究会出身の作家は多い。
例会での犯人あてや、合宿、「十角館の殺人」でデビューした綾辻行人が「新本格」ムーブメントを牽引したこと、島田荘司・竹本健治との交流もあって、京大ミステリー研究会は日本推理小説界の「虎の穴」となった。
新本格派推理小説とは・・・(ニコニコ大百科)
戦時中、執筆を禁じられていた本格推理小説は、戦後、横溝正史や高木彬光、鮎川哲也などの登場で復興を見せた。しかし1958年、松本清張の『点と線』がベストセラーとなったことをきっかけに、リアリズムを重視した社会派推理小説が台頭し、「嵐の山荘」「絶海の孤島」「謎の屋敷と胡散臭い住人」「暗躍する殺人犯」「名探偵」のような人工的な舞台・モチーフを用いた古典的な本格推理小説は古臭いものとして退けられるようになっていった。
しかし社会派推理小説も、推理味の希薄な作品の濫発により、60年代半ばには勢いを失う。70年代に入ると、角川映画の仕掛けた横溝正史ブームが巻き起こり、短命に終わったが探偵小説専門誌「幻影城」が登場して泡坂妻夫や連城三紀彦がデビューするなど、推理小説にかつてのロマンの復権を求める動きが生じていた。
そんな中、1981年に島田荘司が『占星術殺人事件』でデビューし、数少ない本格推理小説の書き手として名声を得る。その島田の肝いりで、1987年に綾辻行人が『十角館の殺人』で講談社ノベルスからデビューする。また同時期に東京創元社も国内ミステリの新刊の刊行に乗り出して新人発掘を開始。その結果、講談社ノベルスからは歌野晶午、法月綸太郎、我孫子武丸など、東京創元社からは折原一、有栖川有栖、北村薫、山口雅也などの作家が綾辻の後を追うように続々とデビューを果たし、上の世代から顔をしかめられながらも、若い読者の熱狂的な支持を得て、本格推理小説の人気が復興した。
そんな流れの中で、綾辻のデビューを仕掛けた講談社ノベルスが発明した、これらの本格推理小説を総称するレッテルが「新本格」である。
大雑把に言えば、綾辻行人以降にデビューした本格ミステリ指向の作家、およびそれらの作品が新本格。ただし、それ以前から活動していて新本格ムーヴメントに大きな貢献を果たしている島田荘司や笠井潔も新本格に含まれる場合がある。
第一世代(綾辻、法月、有栖川など)の頃は「古典的な本格ミステリのルネッサンス」的な意味合いに近かったが、麻耶雄嵩の登場とその後の京極夏彦を経てのメフィスト賞系への流れから、「本格ミステリのお約束を意識しつつそれを外していく」ような作品へ徐々にイメージが変遷していった。
そのせいか、綾辻以前の「本格」と綾辻以降の「新本格」を別のジャンルのように思っている人も多いようだが、新本格にはある程度固有の特徴(後述)があるものの、基本的には「新本格」とは「新世代の作家によるそれまでの本格ミステリの歴史を踏まえた本格ミステリ」ぐらいの意味である。今じゃ新本格初期の作品が古典になっちゃったけど。
現在では発祥から四半世紀以上が経ち、新本格以降の本格ミステリというジャンルの拡散、総本山であった講談社ノベルスの(というかノベルスという媒体そのものの)衰退などにより、現在の本格というジャンルをひとつの潮流と見なすこと自体が難しく、「新本格」という言葉自体、ほぼ歴史用語と化した感がある。じゃあいつ頃までが「新本格」なのか、というのはまた難しい問題で(有栖川有栖によれば京極夏彦のデビューまで、笠井潔によれば東野圭吾『容疑者Xの献身』までということになるが)、そのへんは後世の評価を待つべきかもしれない。
評論界隈では(「新本格」は講談社の宣伝文句であるということから)笠井潔の命名した「第三の波」という表現を使うことが多い。90年代には「ニューウェイヴ・ミステリ」とか呼ばれていたこともあるが既に死語。
前述の通り、代表的な新本格作家はほとんどが講談社(講談社ノベルス)か東京創元社からデビューしている。仕掛け人である講談社ノベルスが新本格の総本山であり、東京創元社デビューの作家も大抵の場合は講談社ノベルスで作品を発表したことがある。新本格後期には光文社が「Kappa-One登竜門」というメフィスト賞の後追い的な賞を創設し、石持浅海、東川篤哉などを送り出した。
ちなみに「新本格」という言葉自体は、綾辻以前にも1960年代半ばに読売新聞社の刊行した叢書《新本格推理小説全集》などで使われていたことがある。社会派推理小説の代表格として本格の敵のように扱われがちな松本清張はこの叢書の序文で、社会派推理小説の推理要素の形骸化を嘆いて「本格は本格に還れ」と述べている。
そういえば新伝綺って何だったんだろう?
新本格バッシング
今現在ではなかなか信じられないが、新本格ムーブメントの初期においては、当時のミステリ評論界隈では新本格に対して批判的な評論家が多く、新本格作品はかなりバッシングを受けていた。
新本格が叩かれた理由は、英米で既に古典的な本格がほぼ絶滅し犯罪小説や冒険小説が主流であることから、ミステリーはそういう方向へ進化するものであり、古臭い本格ものへ先祖返りするのは退化である、とする考え方が中心にあったようだが、他にも「単純に小説としてヘタだったから」説や「若い世代の書く同世代向け青春小説っぽさがオッサン評論家にはついていけなかったから」説などがある。
しかしそんな上の世代の拒否反応とは無関係に若い世代は新本格を支持し、評論界にも新本格を肯定する若い世代が登場していった。
新本格初期の代表的な作品に、明らかに褒めてなかったり、なんかピントのずれた文庫解説がついているのが散見されるのはだいたいこの世代間ギャップのせいである。
特徴
前述の通り新本格はもともと「新世代作家による本格」ぐらいの意味なので、旧来の(綾辻以前の)本格ミステリと本質的に違うもの、というわけではない。ただ、「新本格っぽい」という形容があるように、新本格によく見られる特徴的な作風というものはいくつかある。大雑把に挙げれば、
作品が「これまでの本格ミステリの歴史」を踏まえている(ミステリマニアの登場人物による、過去の名作に対するメタ的な言及など)
奇天烈な館や名探偵など、リアリズムを度外視した本格ミステリ的な道具立てを多用する
小説としての完成度よりも、トリックやロジックの面白さ、意外性などを第一に追及している
叙述トリックが多い
といったところだろうか。もちろん全ての作品がこれに当てはまるわけではないが、綾辻・有栖川・法月・我孫子といった第一世代から現代に至るまで、「本格ミステリというジャンルの様式やお約束に自覚的であること」が新本格の新本格らしさ、であるとは言えるだろう[要出典]。
【 歌野晶午さんの作品を読んで 】
歌野晶午さんの「葉桜の季節に君を想うということ」・「密室殺人ゲーム三部作」・「そして名探偵は生まれた」・「絶望ノート」を、読みました。(「長い家の殺人」や、「白い家の殺人」、「動く家の殺人」も読んだのですが・・・。ずいぶん前のことなので、残念ですが内容を忘れてしまいました。)
そして私はこれらの趣向の異なる作品群が、同じ人物によって著された事に驚きました。
当然 読み手によって作品の好き・嫌いはあると思います。
特に「密室殺人ゲーム3部作」の登場人物や、殺人に対する「割り切り」には馴染めない方もいるのではないでしょうか。
しかし、それを読ませるのが、歌野晶午の筆力です。
まず私は「葉桜の季節に君を想うということ」を読み終えて、切なくなりました。
そしてタイトルの意味を、正しく理解しました。
また「密室殺人ゲーム3部作」に私は今の「時代」を感じました。
そしてこのシリーズほど ミステリーを純粋な「知的エンターテイメント」に昇華させた作品は無いだろうと思いました。
そして「絶望ノート」です。
これでもか これでもか と読者は、翻弄されていきます。
一つ一つの作品は勿論 素晴らしいのですが、歌野作品の変遷を楽しむのも面白いと思いました。
「葉桜の季節に君を想うということ」
「密室殺人ゲーム」三部作
「絶望ノート」
口で言うのは簡単だが、実は「一人の作家(とその変遷)」を正しく理解するのは、相当 難しい事なのではなかろうか。
ミステリーといっても、警察ものや、ハードボイルド、ホラー、法廷もの、医療もの、金融もの、といろいろあります。
最後は、作家と読み手の趣味(フィーリング)が合うかどうかなのかな。
「殺戮にいたる病」
東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるシリアルキラーが出現した。くり返される凌辱の果ての惨殺。冒頭から身も凍るラストシーンまで恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇、平凡な中流家庭の孕む病理を鮮烈無比に抉る問題作!
( 感 想 )
エロにしてグロ。
そのトリックの見事さには、言葉もない。
他人に薦められるかどうかは別問題だが、間違いなく徹夜本である。
とはいえ、我孫子さんの作品は怖いのだけではありません。
有名なゲームノベル『かまいたちの夜』や、ほのぼの系推理小説 腹話術探偵 鞠夫シリーズもあります。
楽に読めるのでお勧めです。w
「綾辻行人」大先生 タイトルを書くのを忘れてたので、追加しましたw
「Another」
いわくに満ちた舞台設定と怪しい状況の中、繰り返される殺人。
そしてそれぞれの館には、共通点があった。・・・
「わが心の師」として梅図かずおの名前を挙げるだけあって、推理小説のみならずホラーや、マンガ、アニメも手がけている。「一体 何冊 出版されているんですか?」というくらい多作の人。
小説とはいえ、ちょっと人を殺し過ぎでしょう。(笑)
【 舘シリーズ 】ウィキペディアより
寺の三男坊(後に推理作家)の素人探偵・島田潔が、今は亡き建築家・中村青司が建築に関わった奇怪な建物に魅せられ、訪ねていく。すると、そこでは決まって凄惨な殺人事件が起こる。
あえて用いる「秘密の抜け道」「隠し部屋」という本格ミステリの禁じ手、単なる謎解きだけではない、幻想怪奇趣味満載の、綾辻行人特有の世界観、そして叙述トリックを駆使したストーリーによる終盤での大胆などんでん返しが特徴である。特に、第1作『十角館の殺人』は新本格ムーブメントの嚆矢となった、日本ミステリ史上の傑作の一つとされる。第5作『時計館の殺人』は、第45回日本推理作家協会賞を受賞した。
綾辻本人は、エラリー・クイーンの『国名シリーズ』のひそみに倣って、最新作『奇面館の殺人』の次の作品をもって本シリーズは完結するとしている。
2012年2月時点でシリーズ累計409万部を突破している。
私個人は、『時計館の殺人』が一番 好きです。
『十角館の殺人』
『十角館の殺人』は、推理作家・綾辻行人のデビュー作品である長編推理小説。1987年に出版され、「館シリーズ」の第1作となる。日本のミステリー界に大きな影響を与え、新本格ブームを巻き起こしたとされる。この小説の登場を期に、本格ミステリ界では「綾辻以降」という言葉が使われるようになった。 ウィキペディア
(あらすじ)
1986年3月26日、大分県K**大学・推理小説研究会の一行は、角島(つのじま)と呼ばれる無人の孤島を訪れた。彼らの目当ては半年前に凄惨な四重殺人事件が発生した通称・青屋敷跡と、島に唯一残る「十角館」と呼ばれる建物である。彼らはそんな島で1週間を過ごそうというのだ。
一方その頃、本土では、研究会のメンバーに宛てて、かつて会員であった中村千織の事故死について告発する怪文書が送りつけられていた。怪文書を受け取った1人である江南孝明は、中村千織の唯一の肉親である中村紅次郎を訪ねる。
「時計館の殺人」
『時計館の殺人』(とけいかんのさつじん)は、推理作家綾辻行人による長編推理小説。綾辻の代表シリーズである館シリーズの第五作である。
(あらすじ)
大手出版社・稀譚社の新米編集者である江南孝明は、友人であり駆け出しの推理作家でもある鹿谷門実を訪ねる。そこで彼は担当している超常現象を取り扱うオカルト雑誌『CHAOS』の取材のため、2人と因縁のある中村青司の建築した通称「時計館」に行くことを伝える。その館には10年前に死亡した少女の霊が出るという。江南はその霊について取材するため、3日間泊まり込みで霊との交信を行うこととなった。『CHAOS』の副編集長、稀譚社のカメラマン、霊能者、W**大学の超常現象研究会のメンバーらとチームを組み、彼らは「時計館」を訪れる。しかしそこで凄惨な殺人事件が幕を開ける。
「時計館の殺人」のラストは、幻想的で美しかった。
竹本健治は恐るべきミステリー作家である。
彼はなんと『ウロボロスの基礎論』の中でK大推理小説研究会の部室においてあった本の上にうんこが置かれていたという事件を描いたのだ。
それは実際にあった事件で残念ながら迷宮入りしたらしい。
しかしそれを堂々と小説に盛り込み、あまつさえ販売するという度胸と根性はグレートだと思う。
その件は置いておくにしても、彼は『匣の中の失楽』や、ゲーム三部作、最近だと『涙香迷宮』等の作品により押しも押されもせぬミステリー界の重鎮である。
ただ一言・・・言わせていただけるならば、いささか趣味に走り過ぎるところが私には苦手だ。
『ウロボロスの基礎論』