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「あの本 読んだよW」・「こんな映画を、観てきました!」etc. / 73

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grffin01 2018/05/31 (木) 00:24:51

新本格派推理小説とは・・・(ニコニコ大百科)

戦時中、執筆を禁じられていた本格推理小説は、戦後、横溝正史や高木彬光、鮎川哲也などの登場で復興を見せた。しかし1958年、松本清張の『点と線』がベストセラーとなったことをきっかけに、リアリズムを重視した社会派推理小説が台頭し、「嵐の山荘」「絶海の孤島」「謎の屋敷と胡散臭い住人」「暗躍する殺人犯」「名探偵」のような人工的な舞台・モチーフを用いた古典的な本格推理小説は古臭いものとして退けられるようになっていった。

しかし社会派推理小説も、推理味の希薄な作品の濫発により、60年代半ばには勢いを失う。70年代に入ると、角川映画の仕掛けた横溝正史ブームが巻き起こり、短命に終わったが探偵小説専門誌「幻影城」が登場して泡坂妻夫や連城三紀彦がデビューするなど、推理小説にかつてのロマンの復権を求める動きが生じていた。

そんな中、1981年に島田荘司が『占星術殺人事件』でデビューし、数少ない本格推理小説の書き手として名声を得る。その島田の肝いりで、1987年に綾辻行人が『十角館の殺人』で講談社ノベルスからデビューする。また同時期に東京創元社も国内ミステリの新刊の刊行に乗り出して新人発掘を開始。その結果、講談社ノベルスからは歌野晶午、法月綸太郎、我孫子武丸など、東京創元社からは折原一、有栖川有栖、北村薫、山口雅也などの作家が綾辻の後を追うように続々とデビューを果たし、上の世代から顔をしかめられながらも、若い読者の熱狂的な支持を得て、本格推理小説の人気が復興した。

そんな流れの中で、綾辻のデビューを仕掛けた講談社ノベルスが発明した、これらの本格推理小説を総称するレッテルが「新本格」である。

大雑把に言えば、綾辻行人以降にデビューした本格ミステリ指向の作家、およびそれらの作品が新本格。ただし、それ以前から活動していて新本格ムーヴメントに大きな貢献を果たしている島田荘司や笠井潔も新本格に含まれる場合がある。

第一世代(綾辻、法月、有栖川など)の頃は「古典的な本格ミステリのルネッサンス」的な意味合いに近かったが、麻耶雄嵩の登場とその後の京極夏彦を経てのメフィスト賞系への流れから、「本格ミステリのお約束を意識しつつそれを外していく」ような作品へ徐々にイメージが変遷していった。
そのせいか、綾辻以前の「本格」と綾辻以降の「新本格」を別のジャンルのように思っている人も多いようだが、新本格にはある程度固有の特徴(後述)があるものの、基本的には「新本格」とは「新世代の作家によるそれまでの本格ミステリの歴史を踏まえた本格ミステリ」ぐらいの意味である。今じゃ新本格初期の作品が古典になっちゃったけど。

現在では発祥から四半世紀以上が経ち、新本格以降の本格ミステリというジャンルの拡散、総本山であった講談社ノベルスの(というかノベルスという媒体そのものの)衰退などにより、現在の本格というジャンルをひとつの潮流と見なすこと自体が難しく、「新本格」という言葉自体、ほぼ歴史用語と化した感がある。じゃあいつ頃までが「新本格」なのか、というのはまた難しい問題で(有栖川有栖によれば京極夏彦のデビューまで、笠井潔によれば東野圭吾『容疑者Xの献身』までということになるが)、そのへんは後世の評価を待つべきかもしれない。

評論界隈では(「新本格」は講談社の宣伝文句であるということから)笠井潔の命名した「第三の波」という表現を使うことが多い。90年代には「ニューウェイヴ・ミステリ」とか呼ばれていたこともあるが既に死語。

前述の通り、代表的な新本格作家はほとんどが講談社(講談社ノベルス)か東京創元社からデビューしている。仕掛け人である講談社ノベルスが新本格の総本山であり、東京創元社デビューの作家も大抵の場合は講談社ノベルスで作品を発表したことがある。新本格後期には光文社が「Kappa-One登竜門」というメフィスト賞の後追い的な賞を創設し、石持浅海、東川篤哉などを送り出した。

ちなみに「新本格」という言葉自体は、綾辻以前にも1960年代半ばに読売新聞社の刊行した叢書《新本格推理小説全集》などで使われていたことがある。社会派推理小説の代表格として本格の敵のように扱われがちな松本清張はこの叢書の序文で、社会派推理小説の推理要素の形骸化を嘆いて「本格は本格に還れ」と述べている。

そういえば新伝綺って何だったんだろう?

新本格バッシング
今現在ではなかなか信じられないが、新本格ムーブメントの初期においては、当時のミステリ評論界隈では新本格に対して批判的な評論家が多く、新本格作品はかなりバッシングを受けていた。

新本格が叩かれた理由は、英米で既に古典的な本格がほぼ絶滅し犯罪小説や冒険小説が主流であることから、ミステリーはそういう方向へ進化するものであり、古臭い本格ものへ先祖返りするのは退化である、とする考え方が中心にあったようだが、他にも「単純に小説としてヘタだったから」説や「若い世代の書く同世代向け青春小説っぽさがオッサン評論家にはついていけなかったから」説などがある。

しかしそんな上の世代の拒否反応とは無関係に若い世代は新本格を支持し、評論界にも新本格を肯定する若い世代が登場していった。

新本格初期の代表的な作品に、明らかに褒めてなかったり、なんかピントのずれた文庫解説がついているのが散見されるのはだいたいこの世代間ギャップのせいである。

特徴
前述の通り新本格はもともと「新世代作家による本格」ぐらいの意味なので、旧来の(綾辻以前の)本格ミステリと本質的に違うもの、というわけではない。ただ、「新本格っぽい」という形容があるように、新本格によく見られる特徴的な作風というものはいくつかある。大雑把に挙げれば、

作品が「これまでの本格ミステリの歴史」を踏まえている(ミステリマニアの登場人物による、過去の名作に対するメタ的な言及など)
奇天烈な館や名探偵など、リアリズムを度外視した本格ミステリ的な道具立てを多用する
小説としての完成度よりも、トリックやロジックの面白さ、意外性などを第一に追及している
叙述トリックが多い
といったところだろうか。もちろん全ての作品がこれに当てはまるわけではないが、綾辻・有栖川・法月・我孫子といった第一世代から現代に至るまで、「本格ミステリというジャンルの様式やお約束に自覚的であること」が新本格の新本格らしさ、であるとは言えるだろう[要出典]。

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