ペナトピ・Deracine版

遠くの顕微鏡 近くの望遠鏡 (仮) / 76

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USA 2023/06/09 (金) 09:45:15 修正

ここは、すこし「浮世離れ」した話題を追求する場所のように見える。
野球から遠く離れて、何千里。

一昨日、フィンランドの作曲家Saariaho=サァリアホが逝去した。

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女性作曲家で、ここ30年ほど、「Contemporary Music=同時代音楽、何故これを現代音楽と訳するのか日本の七不思議のひとつ、笑)」の最先端を行く人だった。1990年代ごろまでは、電子音楽を使い、かなりAvant-Garde=前衛だったのが、最近は、同時代音楽が、昔風に回帰するという、風潮を創っていた人だった。
まだ70歳という若さだった。例によって悪性腫瘍(ガン)である。

同時代音楽の風潮など言い出すとこれまたきりがないが、一言で言って、19世紀までの音楽を支配していた、Tonality=「調性」「協和音」の発想からの離脱、Atonal=無調という言葉で形容される動きだった。

簡単にいえば、それまでの古典音楽(そして、Jazzやロック、いろいろ言われるジャンルの音楽すべて)は、基音例えばハとすると、それと物理的に共鳴する音、ホ、ヘ、トで和声(つまり協和する音)を用意し、それを基本に音楽を進めてゆく、ハから他の調への「転調」で、次の基音を基に、また和声を構築するという進行をするが、無調は、こういう物理的共鳴をしない、音同志を重ねる。

また、協和音を基礎にすれば、当然共鳴しない音の出現頻度が少なくなるが、これを「民主主義的(笑)」に、平等に音が出現するように割り振るなんて言う手法(12音といわれる、何故12がマジックナンバーかというと、オクターヴの間に存在する音は半音をいれて12あるから)も生まれた。

協和音を少なくすると、耳に「とげとげしい」音の重なりを創ることが増えるから、それまでの音楽の「円満」で「親しみやすい」雰囲気、感情発現から、「よそよそしさ」「とげとげしさ」といった負の感情を表すようにもなる。これはどちらがニワトリでどちらがタマゴかは、そう明確ではない。負の感情をより現るために、協和であっても、大音響を使ったりする手法は昔からあったが、それを音の組み合わせにも適応したのが、20世紀初頭の発見・発達だった。

したがって同時代音楽とされる作品は押しなべて「無調」「不協和音」で書かれる。これも面白く不思議なのだが、その時代トレンドに従わない、「前世紀」的な温和な作品は「書かれない」。何故か?それは、芸術の「気取り」かもしれない。

さて、音楽のそういった「前衛」の一環として、協和音の「破壊」以外にも、既存の楽器から今までと違った音を出す方法も模索されている。
例えば、弦楽器を普通に弓で弾く代わりに、爪ではじくことをピッツイカートというば、これはかなり昔から使われていた手法。だが、その後、弓を当てる場所を通常と全く変えることで、普通は出せないような音を出す手法がいろいろ追及された。目的は、「それまでに存在しなかった新しい音」で作曲をするというためだ。

さて、ようやくSaariaho女史に戻る。
彼女は、ことのほか管楽器であるフルートを愛好し、それまでの作曲家と違ったこの楽器の用法を発見した。これが、彼女が、音楽歴史に残した「独自の発見」の一つだ。

説明したように、これは同時代音楽で、「協和」する和声による進行はない。「よそよそしい」「猟奇」的な印象を時に感じたとしたらそれは間違っていない。
だが、Saariaho女史がここで見つけた新しい奏法とは、「言葉をしゃべりながらフルートを吹く」ということだ。言葉は、当然呼吸を使って発声されるから、その呼気を楽器にぶつければ音が鳴る。これは、確かに彼女の前に誰も使ったことのない手法だった。

こういうのを「アイディア倒れ」と無視したり軽視せず、「ふ~ん」と心を開いて聞いてみる姿勢は大事じゃないかな?
ちなみに、管楽器でこれができるのはフルートだけだ。他の楽器は、唇で、振動を創る必要があるから、言葉と同時に音を出すことはできない。トランペットなどでこういうことを想像すれば無理だとわかるだろう。

だが、他の楽器なら可能だ。例えば鍵盤であるピアノ。言葉とピアノを合わせれば弾き語り。弦でこれをやっている人は少ないが、ギターならよくあること。
つまり前例がないわけではない。それをフルートという楽器に適応できることを発見したのが、Saariaho女史の功績の一つだった。彼女が、逝去したので、その「Rason d'etre=存在意義」の一つとして書いてみた。

そもそも、何故人間は、こんなに「言葉」と「音」とを組み合わせ得るのが好きなのか?という疑問が生じる。

例えば将来、地球外生命体をコンタクトすることがあったとして、彼らの中には、コミュニケイションの手段である言葉と「音」を組み合わせる「歌う」という行為を「不思議だ」「面白い」と感じる種族があっても不思議ではないのでは?

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