ペナトピ・Deracine版

雑記帳 / 169

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晩御飯 2023/07/06 (木) 16:03:26

野球との関わり(小学5年)

またクラス替え。
卒業までの2年間を過ごした「我が5組」の草チームは異様に強かった。
他クラスのチームに負けた記憶がない。
対戦こそ無かったが、もし5年生時に6年生チームと対戦しても勝てたと思う。
そのくらい充実したメンバーがひとつのクラスに集結していた。
(詳しくは次回「6年生編」で触れようと思う)

さて、正規の少年野球チームのほうだが、
5年生に進級したタイミングで僕の背番号が「32」から「17」に変更となった。
本来であれば4年生になるときに20番台になるはずだったが、
「32のままでいい」と僕が主張したため据え置きとなっていた。
5年生になるときも同様に「32のままで」と主張したが、今度は却下されたので、
仕方なくたまたま空いてた「17」を背負うこととなった。

背番号も変わったが、チーム内での立場も変わった。
いよいよ「戦力」として見なされるようになり、セカンドのレギュラーの座を「ほぼほぼゲット」した。
「ほぼほぼ」というのは、スタメン起用はされるものの、
試合終盤に僕の打席が回ってくると代打を送られ、ベンチに引っ込められるケースが多かったから。
ちなみに打順は7番あたりで、たま~に2番といった感じだった。

相変わらず非力で打つほうはパッとしなかったものの、
新6年生チームの中にあって、5年生でスタメン出場していたのは僕とK君だけだったので、
ほんの少しだけ誇らしく感じていたのは覚えてる。

ただ、僕とK君は同列ではなく、明らかにレベルが違った。

K君。
3年生から同じ正規チームに入団し、4年生からはクラスメートにもなり草チームも一緒。
その後のクラス替えでもまた同じクラスになり、5~6年生時の草チームも一緒。
とにかくK君のプレーを「これでもか!」っていうほど見せつけられたが、彼は本当にスゴかった。
もちろん運動神経そのものが抜群なんだけど、こと野球に関しては天才的。
学区内の同学年の中では明らかに一番野球が上手く、とにかくセンスの塊みたいな奴だった。
(今でもたまに坂本勇人のプレーなんかを見て「おぉ~、K君みたいだ」と思うことがあるw)

6年生チームの中にあって、K君はすでに中心選手だった。
どこでも守れたが基本的にはサード兼ピッチャー。
打ってはクリーンナップを任されていた(主に3番)。
だから「5年でレギュラーは俺とK君だけ」みたいなことは、恥ずかしくてとても口に出せなかった。

また、この年から我がチームは「少し強いチーム」へと成長した。
というより前年までの6年生が下手だった?
前年までは40チームほどが参加する地区大会に出ても、大抵1~2回戦で姿を消すようなチームだった。
それがこの年からは、ベスト4には残れるくらいの戦力が整っていた。

野球は勝っても負けても楽しいが、やはり勝ったほうが何倍も楽しい。
クラスの草チームも学内では最強だったし、いよいよ野球にのめり込んでいった。

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