この文章の「つまり」で同値変形されている前者と後者が同値ではなく、尚且つこの文章全体が「自我を搭載するなら自我が必要」みたいなあたり前田のクラッカー構文になっているかもしれないと思いました。
分かります。俺もそういうクオリアを胸に抱きながらその部分を書いてました。
ただ、赤ん坊をはじめ霊長類やイルカ、像などに施されたミラーテスト(別名ルージュテスト)についてやんわり調べていたところ、「いや・・・でも直感的にそうだわ、たぶん正しいわ」みたいな感じの強烈な確信が稲妻のように迸り、そのまま書くに至った次第です。
生後間もないバブちゃんは自分を母親の一部分だと思ってるわけです。いや厳密にいえば「思ってすらない」どころか「肉で出来た地蔵のようにただ物質としてそこに有る」って状態なんでしょうけど。
で、野良さんが言うように、外界との接触を継続的に繰り返すことで「アクセス意識を得られる範囲(自己)の外輪」を指でなぞるように少しずつインプットしていくのだと思うわけです。
ムカデの赤ちゃん場合は、ここで50本の足に適応した鋳型が作られる感じでしょうか。
- 近くの肉を触ったときと遠くの肉を触ったときでクオリアが発生したりしなかったりしますね。
ほう、これが“自我”ですか…
ここに書かれているような「クオリアを知覚する機能」も、元々は備わってないんじゃないかな?と考えてます。
ユイブニストとして語弊を恐れず極論並べ奉らせていただくのであれば
結局のところ、赤ちゃんってある意味では母体の子宮の中にできたオデキ・・・物理的にメチャクチャ精巧で複雑な構造のオデキだと思うんですよね。
近くの肉と遠くの肉を触ったときの物理的な刺激の差異を元に、最初期は機械的なディープラーニングを行っているが、持ち前の高度な物理的機能によってより一層複雑な学習をこなせるようになっていき、やがて自分を客観視できる次元(自分じゃない存在を自己流で定義づけ、自分からそぎ落とす次元)に到達する・・・というのが俺のイメージに近いです。
そのために必要となる物理的な複雑さこそが その現象が「現象そのもの」を認識するために必要な物理的条件(量や規模など)をxとしたとき のxにあたります。
また、人工知能の自我についてもう少し言及するならば、自由意思の有無についても語られたりしています。
いわく、機械は他者によって入力されたタスクを目標に設定するが、人間は目標そのものを自発的に設定できる・・・だとか何とか。
でも、俺たち人間においても「真に純粋な自発的選択」なんて無くないですか?
バタフライエフェクトじゃないですけど、物理的な因果の連鎖って受精をまたいでると思うんですよ。
意識がどうのこうの~というよりもまず「物理的な"自分"はどこからどこまでなのか」ってのも謎めいてくるわけです。
子供のころ、タイム風呂敷をかぶったジャイアンが赤ちゃんになるのを見て「こいつのデカい図体って元々は肉や野菜だったはずでは?どこに消えたんだ?」と揚げ足をとるようなキショいガキが厚かましくも大人になってしまったのがこの俺という存在なわけですが、タイム風呂敷に包まれて無限の時間を過ごしたら、世界に初めて出現した原始の物質まで遡及することになると思うんです。
そう考えると、少なくとも「ほぼほぼ形而下の現象とみて間違いないであろう現象的意識」に関しては、ブラフマンとアートマンってまさに同値だと思うんですよね。
そしてアクセス意識や自我やクオリアに関する認識においても「どこからどこまでが自分なのか?」という目線で考えるのではなく、「ブラフマン的全体像のうち、物理的な複雑さが濃い部分と薄い部分があり、濃い部分はアートマンの濃度も濃くなる」みたいな認識もできるのではないでしょうか。