twitterでここ面白いよって紹介されたのでテストも兼ねてトピック建てさせていただきます
主につぶやきメインになりそうですが、よかったら絡んでもらえると嬉しいです
なお、twitterは別名義でやってるので、誘ってくれた人ともそうでない人とも、twitterとは違う関係づくりができたらなと思います
twitterでここ面白いよって紹介されたのでテストも兼ねてトピック建てさせていただきます
主につぶやきメインになりそうですが、よかったら絡んでもらえると嬉しいです
なお、twitterは別名義でやってるので、誘ってくれた人ともそうでない人とも、twitterとは違う関係づくりができたらなと思います
初っ端からtwitterの悪口になるんですけど、最近のtwitterって過激的なこと言ったりやったりしてバズるっていうのが多すぎてアレですよね、見てて気分悪い
ミュートすればいいって意見もちらほらよく見るんですけど、突然現れるからいちいち心抉られるしめんどくさい
正直、ネットやめたいですが、昔から関わってくれる人もいるし、今やネットがなかったら話もできないのでなかなかやめられない現実
こういうのってやっぱりどうにもならないものなんでしょうか?
生きにくい世の中になったものです
我がいばりのせせらぎが、汝のなづきに響かせる
え、、、
どうも、、、、、
こんにち、、、、、、、は、、、ところで、、、、あな
たのそのや
り取り返
答は、、、、おも
しろいのでしょうか…??とてもとても気に
なりま
し
た
ま
る
世の中が変わるよりお前が変わる方が早い
心の雑魚は自然と心を殺されるようにできている
Twitterごときで心を抉られない強靭性を持ち合わせればいい
さもなくばインターネットの用途を制限するしかない
俺は変な人じゃないし変なことなんて全然言ってないんだが
どうにもならないんですかって聞いてんだろ?この雑魚カス
どうにもならねえよ
はい解散
Twitterに帰れ
抉られてろ
ホントきっしょいのう
やば、なんかキレられてるんだけどw
どうにもならないならどうにもならないで終わりでしょ、マジでなんなんだw
こっちは、生きにくい世の中になったって共感してもらえたらいいくらいにしか思ってない
あわよくばどうにかなるかもしれない良い方法が知りたいってくらいだぞ
誤解されそうだから付け加えておくけど、どうにもならないってのは最初から大方想定済みだし
「世の中が変わるよりお前が変わる方が早い」なんて、そんなの当たり前ですやんw
たぶん最初のは身内ネタだと思うけど、ネタがわかりにくすぎて滑ってるんだよな
せめて説明くらいしてほしかったね
もっというと、別にそのことだけを話にきたわけじゃないぞw
>> 1
あんまり共感できない。
言ってることはわからなくもないけどね。
ミュートってよりも、自分にいい影響を与えてくれる情報とか人物だけフォローしてればいいんじゃない?って思うけど。
あとは意識の持ちようじゃない?
自分と違う価値観の人のつぶやきが目に入ったとしても、「そういう考え方もあるんだなぁ」くらいでひとまず肯定できる長所だけをありがたく頂戴するとか。
一見くだらないことでもユーモアを与えておもしろくしてみるとか。
結構自分次第でどうとでもなる問題な気がするけど、ネット社会において、一方的に与えられる膨大な情報量に対して取捨選択すれば解決するんじゃなかろうか。
>> 3
根本的に、そういう人ばかりフォローしてるからじゃない?
んじゃそれ実行しろよ、変わる気ないだろ。この調子じゃ共感してくれるやつなんて見つからなくないか
さすが抉られ体質せせらぎ
自分がカスであることを認めろよ
>> 25ってなんでキレてんのw
身に覚えないんやけどwこわw
>> 24
原因わかってるなら話が早い。
要するに「いろんな人をフォローすることで見たくない情報もタイムラインに流れてくる」というだけの話では。
じゃあ「いろんな人をフォローする」ことと「見たくない情報をシャットダウンする」ことを天秤にかけて傾いたほうを優先すれば秒で解決するよね。
悩むまでもない。
答えはすでに自分の中で出てる気すらするよ。
フタを開ければ「いろんな人もフォローしたいし見たい情報だけ流れてきてほしいんだ」っていう欲張りさんなだけ。
自分の周囲を「バカみたいなつぶやきで幸せになれる人たち」だけで固めればいいんじゃないの。
結局そういうセルフブランディングを怠ってるから見境のない変な人が寄ってくるだけでしょう。
真面目にヤバい人が多くなっていたとしても平和にSNSをうまく運用して楽しんでる人はごまんといるので結局せせらぎくんのSNSの使い方がヘタクソなだけじゃないかって思っちゃうね。
何がバズろうが興味ない人にとったらどうでもいいことだ。
自分が求めていないものや関心のないもの、嫌なものに時間を割く方向に意識が向いてしまうならその行動を変えない限り結果って変わらないと思うよ。
>> 28
どうにもならないことはわかってるんだってばw
ミュートするなりフォロー整理するなりLINEで絡むなり心強く持つなり、そういうことをすればいいってのはわかるよ
気にせず上手くやる方がいいのもわかる
でもなんでしなきゃいけないの?
本来してもしなくてもいいなら、誰も傷つかない方がいいのは誰でもわかるはずだし
実際、そういうことをしなくても面白かった時代もあったわけじゃん
だったら、その人たちがそういうことやらなきゃいい話じゃね?
なんてことも思ったりするわけだよ
もちろん、これが間違った考えだっていうのもわかってるよ
でもなんか、気にならない人だけずるくね?
>> 29
これも同様に「わざわざしなきゃいけないこと」と捉えるか「自分がしたいことを実現するためのひとつの手段にすぎない」と考えるかの差だと思うけど。
ティシカニな〜🦀
本来ネットなんてしなくてもいいし。
あーでも時代変わっちゃったし。
嫌ならネットやめれば?
生まれつき目が見えない人や事故って歩けなくなった人からするとお前は五体満足で「ずるい」と思われてるかもしれないね。
でもそんなこと一切漏らさず理不尽を受け入れて現実と向き合い着実に今を生きてる人が「幸せ者」なんだと思うよ。
お前は過去の話ばかり。
心が貧しくて仕方がない。
>> 30
どうにもならないことだと私も思ってるけど
同時にどうにかなるかもしれないとも思ってるわけです
それを真っ向から「それはどうにもならないことだ」「理不尽を受け入れるほうが幸せだ」
みたいなこと言われても、いまいち納得できないですね
挙句、「お前は心が貧しい」ってなんなんですかw
確かに管理人さんのおっしゃることは正論だと思います
だけど、そういうことが知りたいわけではないのです(別の人にも言ったけど)
これも、受け入れなきゃ仕様がないから受け入れてるだけじゃないの?って思いますね
五体満足で生きられる方が幸せでしょうよ
たしかに受け入れた先で幸せを見つけることができるかもしれないけど
それが幸せだと見るのは間違ってると思います
そう生きるのが賢明だとは思いますけどね
どうにもならないことだと思ってるならどうにかなるかもしれないとは思うはずがないんだけど
>> 31
何の努力もせず「ずるい」とか僻み妬み嫉みをぶちまけた先にあるのは今のお前のような「どうしようもない現状」だけじゃないの。
愚痴る暇があったらトライ&エラー繰り返して改善しろよ。
「どうにかなるかもしれない」という淡い期待のためにお前は何をしたんだ。
まさか自分からは何もせず都合のいい状況が降ってくるとでも思ってるのか。
じゃあ逆に聞くが、白馬の王子がパカラッパカラッと幸せを運んでくるための自分磨きはしたのか?
いやその様子だと何もしてねーなたぶん。
ないものねだりばっかで自分が悪くない言い訳を探してる間に貴重な時間は過ぎ去り地に足つけて地道に努力してる奴と大差をつけられるのが関の山だろ。
>> 1
「怖いもの見たさ」ってあるじゃないですか。
以前とあるサイエンス雑誌か何かで見かけたのですが
怖いと感じながらも対象をまじまじと観察したくなる習性は生き物に元から備わってる本能で
その生き物の知能が高ければ高いほど「見たがる度合い」も増えるらしい。
例えばネズミのような小動物は、ちょっとした物音を聞くと振り返りもせず一目散に逃げ出すけれど
犬や猫くらいの知能がある生き物の場合、物音の正体が何なのかを探ろうと見たり嗅いだり触ったりするようになる。
怖いもの見たさってのは「自分がどのくらい安全であるか(あるいは、どのくらい危険であるか)」をできるだけ正確に認識するための生存ツールとして、本能のかなり深い部分(生存欲求)に刻み込まれており
人間の行動に置き換えるなら、高いところに登ったらつい足元を見てしまう(見たくなってしまう)などが該当します。
落下したらどれくらい危険なのかが分からないまま「何となくヤバイ状態で居続ける」よりも、高さを確認して危険度にビビって恐怖でガクブルすることを本能的に選ぶようにできているということです。
また、そういったケースでは補助的に「心理的リアクタンス」という作用が働いていることも多い。
簡単に言うと「自分で選んで自分で決めたい」という欲求です。
自分の意志が介入していない状態でものごとが進んでいくと何となく不安や恐怖を感じてしまい、自分の意志による選択を紛れ込ませたくなる・・・といった内容です。
有名な寓話「つるの恩返し」なんかはこの心理的リアクタンスの典型例です。
というわけで、以上の内容をtwitterの件につなげてみると
『見たら不快になるだろうな・・・と事前に分かっているツイートやリプ欄をつい見てしまう』
というのは、もう本能レベルで仕方のないことだと言わざるをえません。
だって知りたいんですから。人間には知りたがる本能が備わってるんですから。
「その中身がどのくらい不快なのか確認できていない状態」であるとき、「どのくらい不快なのか確認できている状態」に持っていきたいと感じるのは、人間の本能なのですから。
家の中にツボが置かれているだけなら不安や恐怖とは無縁の生活を送れるかもしれませんが
あのツボの中に・・・何か得体のしれないものが潜んでんじゃね?と一度でも思ってしまったら
ふたを開けて中を確認したくなるのは仕方のないことで、本能で、どうしようもないことです。
「ミュートすればいい」なんてのは根本的な解決になっていないわけです。
じゃあどうすればいいんだ、本能にまかせて不快なツイートを直視し傷心するしかないのか?って話ですが
そこで思い出してほしいのが、お化け屋敷やジェットコースター、ホラー映画などのコンテンツです。
先ほども言ったように、人間には「自分が安全かどうか」を確認したがる本能が備わっているわけですが
それをうまく応用しているのが上記のコンテンツです。
恐怖や不安などのストレスを意図的に与えたあとでそこから解放されることで、人間はそのギャップにより生じる安心感から一種のカタルシスを覚えるのですが、トピ主さんが「見てて気分悪い」という結論に行き付いてしまっているのは、上記の「解放」に該当するステップが無いからだと思います。
具体的にどのようなツイートを目撃して気分が害されているのかが分からないので具体的な解決法は提案しづらいですが
「いやぁ~怖い映画だったなぁ~」みたいに胸をなでおろすステップを踏めば精神的な負担は蓄積しづらくなるかと思います。