最弱を名乗りたいです。譲りたくありません。
文句がある人はかかってきてください。
考えてかかってきてください。
いや、まって。そもそも考えるってなんですか?
もし、このスレで一番負けた場合、喧嘩ランキングで最下位に固定してほしいです。
2019/12/19
重力おにぎりさんに負けました。完敗です。
2019/12/21
霧雨さんに負けました。惜敗です。
2019/12/22
Emperorさんに負けました。惨敗です。
2019/12/22
重力おにぎりさんに負けました。連敗です。
最弱を名乗りたいです。譲りたくありません。
文句がある人はかかってきてください。
考えてかかってきてください。
いや、まって。そもそも考えるってなんですか?
もし、このスレで一番負けた場合、喧嘩ランキングで最下位に固定してほしいです。
2019/12/19
重力おにぎりさんに負けました。完敗です。
2019/12/21
霧雨さんに負けました。惜敗です。
2019/12/22
Emperorさんに負けました。惨敗です。
2019/12/22
重力おにぎりさんに負けました。連敗です。
あっ…バンドルカードだ…
ぼくきのうバンドルカードに3000えんチャージしちゃったの。そしたらてかずりょうで500えんかかるなんてちらなかったの。
ぼくバンドルカードにたまされた。
まさかあんなてふにっくをつかっておちちいれるなんて…
うあ…バンドルカードがまたはなちてる…
こわい…バンドルカードがひとになってはなちてる… しかもちゃんとにほんこはなちしてる…
ぼくちゃんとにほんこはなちぇないのに…
にほんこがはなちぇるバンドルカードはもうぼくよりもあたまがいいんだね…
ぼくまたまけちぇったぇ…
>> 21
あぁ?ばぁ?ぶ?
たんた?たんたぁ!
ちゅっちゅっ
のんたぁも?
ままー!まま!
けんちゃん!わぁ!
でんま!でんま!
ちゅぅうううう!
ゅうううううう!
なンか…きュうにぼクがきテカらあカちゃンみタいにシてあそバれテるよ…
アれ…?
ンかはナなくなッキチタ…
....、..。.....。
。、、、。。。、、。。
>> 23
よければ
>> 22
縦読み頂けると幸いです。気づいてたらごめんなさい。
逆に私が>> 23読み取れてないかも…
なんかもどれたァ…あれ?なんかまたかな…きのう、へんなあリさんたべたったからかなあ…ガんばってなおさないト…おいちかった…
うえかいてよおお…(´;ω;`)
ぼくのなまえはえむぺろおおおおおおだからね!
えむぺろおおおおおおにまけまちたってきりしゃめくんとかとおなじようにかいてね!!!
わんぱんでちたって!!!
>> 27
Emperorさん、ありがとうございました。
正直、割と考えました。危うかったです。
トピの所に追加で書かせてもらいます。
こちらこそありがとうございました〜
まあ、ああなればどうすることも出来ないと思ったので笑笑
また何かあればよろしくお願いします〜
>> 29
どうもー!わー、お返事が来た!
休みはゆっくり過ごせましたか?
続きをやって、私が負けたら私の2連敗って認めてもらえると幸いです笑
ちょっと考えますね
あぁ考えろ
>> 30
わかりました、その答えに近づけるようにがんばります。
私は「私」をわからないし、その「私」が「考える」ということについては、もっとわかりません。
だから他者のことや、宇宙があること、なんてもっともっとわからない。
そもそもとして、わからないということが何なのかすら、わかっていないのです。
だって、わからないの主語ですら「私」なのですから。
大体、「私が考える」ことなんて後からしかわからない。
考えていたと感じられるから、主語に私が付くのであって、
考えている自分など、どこにいましょうか。
走るという行為を一つとっても同じこと。
走りたいと思って、走らないこともできるし、走ることもできる。
結局、どうにかして走っている。
走るを思うことと、実際に走るのには大きな壁がある。
私を走らせているのは誰か?
人は時に、「考える」という行為をシナプス信号のやり取りだと表現します。
しかし本当にそんなことを意識して、行動あるいは考える人などいるのでしょうか?
考える主体はどこか。
行動する主体は誰か。
私という存在は、何か。
結局、走ろうとして走っている。考えようとして考えている。
そこに矛盾がないから、主語が当たり前に思えている。
だとしても、考えるのも、走ろうと思うのも、行動の要因がある。
最近太ってきたな、走ろう。
問題が山積みだ、考えよう。
そうです。認識の問題になってくる。
何を認識するか。
どこかの民族は、私たちが一色だと思っている色を何色にも分けて考える。
確か、その色の細かい判断によって自分たちの生活が左右されるからだと聞く。
私たちは認識を元に、行動を決める。
しかしながら、その認識は果たして「私」のものなのか。
社会が形成したものではないのか?私はどこからが私なのか。
私、その存在の脆弱性、曖昧さ
ゆえに弱い。自らを疑いたくて仕方がない衝動、よって最弱を目指しているつもりです。
まぁ長くなりましたが、
誰でもよかったらご意見寄せてください。ではでは。
わからないをわからないままにしなければ宇宙を語れない
人間が宇宙について知ってることは全体の1%だと聞いた
ただその1%も宇宙空間を知れば知るほどエントロピー増大の法則で限りなく0に近づくと
科学が進歩し宇宙を知れば知るほど宇宙の真理から遠ざかっていく
人間は何もかもが遅すぎる光速を遥かに凌ぐスピードを得なければ結局何もわからない
だが人間には質量があるのでそれは叶わない夢物語
ある時こんなことを考えた
百億光年の長さがある棒を無限大の力で押したら棒の伝達速度は光を凌駕すると、、
だがそれも電子振動の伝達速度が光を超えられないので反対側の棒が動くのは結局百億年以上かかってしまう
我々の見て触りそこに有るモノ全てが原子でできている
簡単に言うと原子が関わると質量が生じ質量が有れば光速は超えられないという理屈だ
その百億光年の棒が原子と関わらない完全物質というモノであれば光速の百億光年倍の速度で棒は動くというのもわからないが事実である、、多分
質量を持たない身長1京kmの存在の一歩は光速を超えるだろう
超光速故に我々に見えないだけなのかも知れない
と、お前が宇宙とか言うから敏感に反応してしまった
尺度を変えよ
人間は無限に広がる宇宙と比べればその片隅を彷徨う無にも等しい存在だが1匹のノミと比べれば無限に巨大な存在でもある
つまりお前だけじゃない人間は無限と無という2つの間を漂う不安定な中間者的存在
だが人間の思考は世界、いや宇宙空間の全てを思考の対象にできる
バンドルよ
おまえとのコミュニケーションで俺達の求める最弱は分かれた
おまえの求める最弱は前衛的で高尚なモノ
それに比べて俺の求める最弱は>> 7の怠惰を貪りたいがための退嬰的な代物だよ
おまえとのコミュニケーションを経て俺は敗北を認識したよ、、、
笑
>> 34
まだまだ、ですよ。
>> 33
こちらのご意見が反論として機能していることも、知ってのことでしょうに。
パスカルの考える葦ですよね?
たしかにその通りです。矮小である自分の存在を嘆くのではなく、怠惰に擬態しながら宇宙を想うあなたの前向きな姿勢。
感服致しました。
改めて私の完敗にございます。
なんで2人ともそんな気難しい話をしとるんだい?
>> 37
簡単な話だと思っていたら、難しかったということですかね。ただまとめると簡単です。
私「わからないことばかりだ、人間は曖昧だ」
おにぎり「でも人間は何でも考えることができる」
私「そうだね、それは自由だね」
っていうお話でした。
そーだね。
ただ、人間がなんでも考えられるのだとしたら借金も犯罪も侵さないと思うけどね。
まともな思考能力を失っているからしてしまうこと。
それはなんでも考えることにはならないと俺は思うけど、どうかな。
そういう面ではバンドルくんの言う曖昧というのは正論だと思うが。
考えるのは自由であってもその何でもというのはおかしな話だと思うよ
>> 40
犯罪
逮捕された犯人に対してよくテレビのコメンテータが
「何が一体彼をそうさせたのでしょう」
というようなコメントをすることがありますね。
この時点で犯人の彼は何かに操られて犯行に及んだ人形に早変わりです。
まさに。自殺についてもそうですが、心療内科の先生などは
「それ(死ぬ)しか選択肢がないという頭になっている」というような表現をします。
ひるがえって、
こちらのコメントに答えるとするなら、
誰かが何かを考えることは自由(勝手)だけれど、その誰かは自由に考えられる(可能)とは言い切れない。
先の私のコメントの通り、私たちの認識は自由だとは言い切れません。
ゆえに認識に基づいて思考を巡らせたとしても、その思考が自由かどうかもわからないと思うのです。
それにしても、いぃいいいいコメントしますねぇええ。
なんてクリティカルな質問するんですか。アへ顔が止まりません。
ひとまずここまでにします。いい質問が思いつきませんでした。。。
正常な判断・1つのことしか考えられないということは人間何でも考えることは出来ないという所を理解してくれててとても嬉しい。
中には馬鹿みたいに自殺者は、死ぬ・死ぬ方法とか何個も考えてんジャーンとか言うやつ居るけど、それは複数に値するものでは無いからね。そーゆーの聞くとビックリしちゃうからね。
まあ、1つしか考えられてない例はまだ他にあるけどね。
>> 42
「認識や経験、状態に基づいて」という前提ありきで「何でも考えられる」と言えるのかもしれません。
しかしながら、シュルレアリスムという芸術活動では思いもよらない組み合わせが重要視されていました。このことは、先の前提をある意味覆すことが目的にもなっていました。
そのために、ドラッグや睡眠薬を飲むことでトリップし、芸術活動することもあったそうです。しかし、このトリップにより思いついたアイデアが本当に個人の経験や認識に基づいていないかは不明です。
あけましたが、何もおめでたくはありません。
なんなら、あけなければよかったのに。
あけてなにになるというのでしょう。
何があけるというのか。年号という数字が加算されるだけのはなし。
愚痴ってしまってごめんなさい。
よかったら年明けがてら、どなたか脳みそでも溶かしませんか?
最近考えておりますのは、すべてが自動化された先、
人と人が対話することに何の意味があるのか?ということです。
娯楽以外の何になるというのでしょう・・・対談?議論?知的好奇心?
そもそも今ですら話していることが、我々の生活に何の価値をもたらしているのか疑問ですね。
新年が明けたところで、人としての閉幕を希望したいところ。さて、どなたかおめでたき新年を終わらせませんか?
>> 44
あめころ~!(あけおめことよろの意、発音はIKKO氏のギャグを参照)
まあまあ、数字が加算されるということは、それだけ歴史が積み重なり人類の英知が築かれるということで、おめでたい連中を許してやってください。
「人と人が対話すること」は「すべて」に含まれていないという前提で考えてみます。
ありとあらゆる生産が人工知能によって自動化された世界。人と人は生産のために対話をする必要がなく、各自が部屋に閉じこもって体育座りしていれば生涯を全うすることができる。
そんな世界を想像しながら以下を述べます。
実は僕も以前から同じようなテーマが気になっていて、ネットサーフィン中にこんな記事を見つけました。
記事に登場する精神科医曰く、
とのことです。
対話しなすぎるとヘラっちゃうってわけですね。
これを意味という形に読み替えるなら、人と人が対話することは「原始的な欲求を満たし、精神状態を健康に保つ」という意味がある、
ってとこでしょうか。
よく引き合いに出されるマズローの欲求階層説によると、帰属欲求や承認欲求は満たさなければフラストレーションを引き起こす「欠乏欲求」に分類されていますね。
欲求階層説に従えば、社会的に隔離され、欠乏欲求が満たされなさすぎるとフラストレーションで精神病んじゃうってとこでしょうね。
上記の記事ですが、イマイチ信用できなかったのでちょっと調べてみました。
無念にもどストライクな情報は得られませんでしたが、独居生活をしている高齢者に抑うつ患者が多いってのは真実みたいです(参考文献)。
まあ、現在の高齢者でそうだからといって一般化はできませんが・・・。(現在の高齢者はスマホ使わない、一人遊び知らない、とか様々な条件の偏りが考えられますからね)
これらの情報から、人と対話することは欠乏欲求を満たし、精神的健康を維持するという側面が強いのかな~と思ってます。
そうだとすれば、単純に「娯楽」で片づけられる話ではないと思います。
飽食の時代に生きる我々が、タピオカミルクティーの写真をインスタグラムに投稿した後、ちょっとだけ飲んで捨てるというのは「娯楽」だと思いますが、
喉が渇いたときに水分補給するのは欠乏欲求を満たす「健康維持」ですよね。
その行為をしなかった場合に実害が出るかどうか、という点で違いがあるかと思います。
遅ればせながら、お年賀として以下の画像をお贈りします。
人との対話がバンドルさんの希望となり、バンドルさんの心に初日の出が訪れることを切に願います。よいお年を。
でも暗い部屋でネットに繋がりこうやって見たこともない人と会話したり喧嘩したりする時代よな
さらに2020年5Gの足音がもう聞こえてる昨今
本来人間が欲する承認欲求という強い色の何もかもが技術進化といった大量の水で急速に薄められてる気がするよ
ふむ、薄められてるというイメージですか。
僕は、技術進化によって承認欲求の捌け口が形を変えていくだけで、承認欲求の量そのものはそれほど変わらないんじゃないかな~と思ってます。
twitterやFacebookといった技術の登場によって承認欲求の有り様はどう変化したのでしょうか。
SNSでは日夜、綺麗な夜景や美味しそうな食事の押し付けあいが繰り広げられています。
僕としては、むしろ色は濃くなってる気さえします。
まあ、色をどう定義するかによるのでしょうが。
5Gによってどのような社会が到来するのかは分かりませんが、人と人とがつながる社会であれば、人は自分を価値あるものとして見てもらいたがるのではないでしょうか。
個人の発信力が向上するなら、その見せたがり精神はさらに顕在化するように思えます。
あと、電気つけたほうがいいですよ。
そうだね承認欲求の色をどう定義するかによるね
俺が言った「薄められる」ってのは分かりやすく俺の実体験を交えて例えるとこうかな?昔話だけど昔の色濃さを感じてくれ
昔友達が回転寿司屋でバイトしててね。10人くらいでバイト先に凸して「この店で1番高いモノを出してくれないかね?」とか皆んなエエだけ調子こいて注文したんだよw
そして会計時
バイト友「600円になりマースw」
あれは俺ら一同大爆笑したわ百皿は超えてるのにw
そいつも今ではお堅いさんになっちまったが俺らからは10年以上経った今でも「寿司屋さん」って言われてる。たった1度のエピソードだけどな
後日談だがその会計も店長のはからいだったみたいだ
今ではこんなことしたら通報されて最悪逮捕だ
こんなことをSNSで晒して承認欲求を満たす人とそれを通報して悪人成敗の大義名分で承認欲求を満たす人。
承認欲求が滑稽に交錯してる
見栄を張りたいが為に高い服を買いSNSで晒してから一度も着ずにメルカリで売る人
タピオカを捨てる人
アンサーがなくなるのが怖くてそれをずーっと続けなくちゃならないある意味脅迫観念や疑心暗鬼に取り憑かれた暴食の豚
仕方ないよね。生の反応が無いのだから
それらを薄いと言いました
>> 45
(野良さんきたぁあああああああああああああ!)
人類の英知の名のもと、環境汚染は留まることを知らないわけですが、あえて言いましょう。そうですね、非常におめでたいことですね。
まずはボディブローをありがとうございます。ここ最近は、風俗業界のロボット化が進んだ場合、それでも人は生身を求めるのか考えておりました。しかし、前提に疑義を申し立てるつもりはありませんので。蛇足まで。
ありとあらゆる生産が人工知能によって自動化された世界。人と人は生産のために対話をする必要がなく、各自が部屋に閉じこもって体育座りしていれば生涯を全うすることができる。
そんな世界を想像しながら以下を述べます。
ご理解を示して頂き、ありがとうございます。私以上に、議題に対して真摯に理解されています。
人と対話することは、精神的な健康を維持する可能性があるとの主張。その主張の出所の一つとして精神科医の発言を例示頂きました。またその発言を裏付ける論拠として独居生活の高齢者が抑うつ傾向、また将来への不安を抱きやすいとのデータに基づく論文を頂きました。(本当にいい論文を持ってきてもらいました。ありがとうございます)
対して、私はまず、1つ意見を述べたい。
・論拠とする論文のこの議題に対する有効性の有無について、です。
こちらの論文内では、抑うつ傾向を図る”高齢者抑うつ尺度”という指標が採用されています。具体的には次のような質問項目への回答から点数を導くというものです。質問項目は全部で、15個です。またこの論文の場合は、6点以上で抑うつ状態とラベリングを行っています。
この中には「希望がないと思うことがありますか」や「将来の漠然とした不安に駆られることが多いですか」という内容の項目がございます。この質問項目自体、”自動化された世界”を前提としていないゆえ、個人の生活や金銭面に配慮した項目となっています。
問い直すことをお許しいただけるならば、金銭面と生活保障が約束された社会において、また労働の必要性がない場合、本当に孤独は苦痛なのでしょうか?
生きることが保証されているならば、やはり対話は娯楽なのではないかということです。
もう一つ意見があるとすれば、
・精神的な状態を肉体的な状態と同じと捉えていいのか、という点です
例えば麻薬にどっぷりはまったジャンキーが、麻薬を狂おしいほど求めるというのは脳に麻薬成分が欠乏していると考えることはできると思いますが、「精神が人との対話を欠乏している」というのはどういう状態なのでしょうか。逆にインスタグラムのためにタピオカミルクティーをちょっとだけ飲んで捨てるというのは、承認欲求が欠乏していたからと言い換えることもできるのでは?
精神にとってなくてはならないモノとはなんでしょう?
(肉体はエネルギーや、水分など具体的なモノが判然としていますが)
とは言っても、ここまで内容を深堀りできるのは、野良さんの理解力と説得性に依拠しています。まじでありがとうございます。
野良さんにおいても、私のようなひねくれた意見の持ち主にどうか実生活を左右されることのなきよう。返事はいつでもお待ちしております。
>> 48
なるほど、年を重ねて人類が前進しているとは限らないと。
それはまたディベータブルなテーマですね。
>> 48全体を通して、何やら誤解をされているような気がしたので、僕のスタンスを明示しておきます。
僕は、バンドルさんの意見を否定しようとしているわけではないのです。
ただ、こんな意見も考えられるんじゃね?と提言しているだけです。
今回のテーマは、決着にデータを必要とするテーマであり、多分世の中に十分なデータが存在しないために決着がつかないと思ってます。
ゆえに、僕は最初からバンドルさんを説得するつもりはありません。
飽くまで意見交換することを目的としています。
クリティカルシンキングに終始した収束的議論の結果、辿り着くのは平行線だと思いますよ。そうなったとき、僕の意見が破綻するのではなく、双方の意見が「真実とは言えない」となるだけです。
それよりも、折角面白いテーマなのですから、新たな発想や情報に触れられる拡散的議論のほうが楽しいと思います。「娯楽」としてね。
僕の意見を半ば強引にディベートのフォーマットに当てはめ、否定しようとしているように見えたので、先にお伝えしておきました。
この論文があるからこそ僕の意見は正しいんだ!勝ったな!ガハハ!😆
などとふんぞり返ったつもりはなく、論拠としてというよりテーマの関連資料として紹介しています。
当該論文がこの議題に対して仮に有効でなかったとしても、僕の意見に特に変化はありません。
しかし、折角わざわざご参照いただいたので回答させていただきます。
高齢者抑うつ尺度は“自動化された世界”を前提としてはいませんが、
この調査結果は、“自動化された世界”ではどのような精神状態になるのか、という予想の一助になると考えています。
独居生活の高齢者が体験する世界と“自動化された世界”には、他者との対話の必要性や機会が少ないという共通点があるからです。
勿論、前者の場合、金銭面等の問題が主原因で抑うつ傾向を示す可能性もありますので、高齢者抑うつ尺度の調査結果をそのまま“自動化された世界”の精神状態に当てはめられるわけではありません。
ただし、原因に不純物が混じってるから全く意味ねぇや!ってのもデータに対する謙虚さに欠けた態度と言えるのではないでしょうか。
テーマの関連データに乏しい状況であるなら尚のこと、データを大事にしたほうがいいと思いますよ。
同じと解釈することは可能だと思いますが、その解釈が妥当かどうかは分かりません。
この問題も、世の中にあるデータが乏しいため、どうとでも解釈できてしまう問題かと思います。
例えば、僕は唯物論的立場をとっているので、精神的な状態を肉体的な状態と同じように解釈しています。
人と対話しない状態が続くと、脳神経系で何らかの物質が欠乏し、うつや統合失調症などの精神症状が出てくると。
しかしそれは、僕が「そう思っている」だけで、真実かどうかは分かりません。
同様に、バンドルさんも僕が「そう思っている」内容を否定できるデータ、持ってないですよね。
それが真実かどうかは脳科学の進展によって明らかになるだろうと思ってます。
ちなみに、
この例示は、同じ「飲む」という行為を比較したときに、
前者は「娯楽」としての「飲む」であり、
後者は「健康維持」としての「飲む」である、
ということを示すのが目的でした。
前者の表現に不純物を混入させたため、「承認欲求」といった脇道的解釈に意識が逸れやすくなってしまいましたね。
まあ、前者の「全体としての行為」は承認欲求が欠乏していたからだと解釈できると思いますよ。
その場合、前者も「娯楽」ではなく「健康維持」ということになりますね。
だとしても僕の意見に何ら変化はありませんが・・・。
この例で示したかったのは飽くまで、「娯楽」と「健康維持」は別物と言える、ということです。
と、ここまで収束的議論に対して距離をとるような展開をしたわけですが、少し拡散的な展開もしてみます。
マズロー的解釈をするなら、「欠乏欲求を満たすこと」ってとこじゃないですかね~。
身の回りが安全でなかったり、どこにも属してなかったり、誰にも認められなかったりすると精神が飢えてイカれちゃうんじゃないですか。
まあこれも、マズローさんが正しければ、ですけどね。
僕自身、数年の間どこにも属さなかった経験があるんですが、特に精神イカれなかったのですよ。自覚がないだけかもしれませんが。w
あるいは、どこにも属していなかったが、どこかに属している感覚は存在した、という可能性も否定しきれません。
バンドルさんが僕のトピックで、ミクロ⇔マクロという二項対立を紹介してくださいましたが、この話にも適用できるかもしれません。
人間の普遍的性質というマクロな観点ではマズロー的解釈が当てはまるが、個人というミクロな観点ではあまり当てはまらない。
マズローさんが描いたピラミッドのうち、帰属欲求の層が極端に薄い、あるいは無いという野良人間もいるのかも?
>> 48の15質問項目を見る限り「最近足腰が悪くなった」?意外ぜんぶが何かしら経済的問題を孕んでる気がするよ
これからAIがどんどん職を奪って人余りの時代に突入しそうだしな
日本が誇る資源に「水」があるので
はやいとこベーシックインカム発動させてくれんかな