言葉を使えば必ず「解釈の余地は生まれちゃう」のよww
そんなことはわかりきったうえで
アバウトな表現を避けたほうが解釈の余地はなくせるというのは一般的なことだよ。
「そこのあれ取って」
よりも
「課長の机の上に置いてある茶封筒に入った株式会社パルス様宛の見積書を取って」
このとき、「そこのあれってボールペンのことか?」という解釈の余地は消えるわな。
というように、解釈の余地をなくせることは説明したよね。
「アバウトな表現」、つまり、ここで言えば>> 115で挙げた「俺は誰かに勝ちたいとか人間だから多少なりとも思いはする」がこれにあたる。
この文章の俺の解釈の妥当性についても、>> 115で明確に説明済みだ。
むろん、「アバウトな表現」であっても問題ないケースもあるだろう。
しかし今回は、「見やすさ」についての話なのだから、「誤解を生むような言い方、間違えた言い方」などについては批判されて然るべきだろうね。
新参と古参の「喧嘩」に対する認識の相違はさておき。
論理の破綻という不都合な未来の予測
こういうのがまさしくアバウトな表現だ。
なんの説明もない。
これについても、具体的に「どこでどのように終わっているのか」という説明がない。
説明がないのだから、理解のしようがない。
実にアバウトな表現と言える。
こういうのを俗に「一方通行」と言う。
「以下余談」がどうしてオメーの余談に回答してるように思ったんかが謎なんだけども。
もちろん、それは俺が余談として質問していたからに決まってるんだけど。
関係してるというのは俺の余談のお話なんですけど。
ほう?w
俺が投げかけた余談の話とはまったく関係がないと?
そのうえで自らの思考のスタンスを話し始めたことに関係があると?
別にそういうことにしてやっても構わんが…
だとするなら、>> 82は「ほとんど聞いてもない自己紹介を勝手にし始めただけ」ってことになってやはり「一方通行」ということになるが…w
オメーの余談に関しては別枠として回答したやんけ。
別枠?その回答とは?
俺は一貫して「俺の質問の答えになってないこと」を説明し、「どうでもいいというのも>> 105まで言われておらず、初耳だ」と説明したはずだが。
オメーが定義付けした「表現方法」を批判していたにも関わらず、オメー自身がその表現方法をやってたって、何事なんけ??
俺が定義付けした「表現方法」とは?
「アバウトな表現をすること自体への否定」は行ってないんだけれども。
そんなの時と場合によるでしょう。
では、今回はどうであったか?
「論理的な昇華」を目的としていると言質が取れているパルスくんにとって、なおさら「誤解されるような言い方はダメなのでは?」と問題提起しているわけです。
これは俺の定義というよりむしろ、パルスくんのスタンスの話が自分の言動とぶつかってないか?という話なんだよ。