有為法である修業で無為法である択滅(涅槃)に至るのは矛盾がある訳ですが、その溝を埋めるために阿毘達磨の論師達が考えたのが「離繋得」なのでしょう。
有為法が何かしら作用するダルマとすれば無為法は作用しないダルマと云えるでしょが「離繋得」とは特定のダルマ、つまり煩悩のダルマのみを作用させないダルマと云えると思うんです。
有為法である修業で無為法である択滅(涅槃)に至るのは矛盾がある訳ですが、その溝を埋めるために阿毘達磨の論師達が考えたのが「離繋得」なのでしょう。
有為法が何かしら作用するダルマとすれば無為法は作用しないダルマと云えるでしょが「離繋得」とは特定のダルマ、つまり煩悩のダルマのみを作用させないダルマと云えると思うんです。
【心不相応行法】得と非得について
「離繋得」について概要は考察しましたが、少し深入りして考察しようと思います。
実際に『阿毘達磨倶舎論』を読みながら、また『成唯識論』や諸文献を参考にして。
先ずは『阿毘達磨倶舎論(以下、『倶舎論』)』の偈から。
>心不相応行 得非得同分 無想二定命 相名身等類
>得謂獲成就 非得是相違 得非得唯於 自相続二滅
>三世法各三 善等唯善等 有繋自界得 無繋得通四
>非学無学三 非所断二種 無記得倶起 除二通変化
>有覆色亦倶 欲色無前起 非得浄無記 去来世各三
>三界不繋三 許聖道非得 説名異生性 得法易地捨
>(第六章 心不相応業法 第二節 得と非得 より)
>心不相応行 得非得同分 無想二定命 相名身等類
(心不相応行とは、得と非得と同分と無想と二程と命と相と名身等との類なり。)
まぁ、此れについてはいいでしょう。
心不相応行法の種類の説明ですから。
>得謂獲成就 非得此相違 得非得唯於 自相続二滅
(得とは謂わく獲と成就なり。非得は此れと相違す。得と非得とは唯、自相続と二滅に於いてあり。)
「得」とは、新たにものを得る事や得たものを具有する事、また「非得」とはその逆ということでしょう。
「自相続」とは自身を構成するダルマをいい、「二滅」とは択滅と非択滅を云います。
>三世法各三 善等唯善等 有繋自界得 無繋得通四
(三世の法に各三あり。善等には唯善等あり。有繋には自界の得あり。無繋の得は四に通ず。)
ここでの「三世」は未来・現在・過去をいい、夫々に未来・現在・過去の得があるとされます。
善には善、不善には不善、無記には無記夫々の得があり、「有繋」すなわち有漏である欲界・色界・無色界も夫々の界と同じ得(自界の得)があり、「無繋」すなわち無漏法では四つ(欲・色・無色界繋或いは無漏)の得があるとされます。
>非学無学三 非所断二種 無記得倶起 除二通変化
(非学無学のは三なり。非所断のは二種なり。無記の得は倶起す。二通と変化は除く。)
ここは内容が煩雑なので表形式にまとめます。
先ず「非学無学三」ですが、
1.有学の法の得は有学
2.無学の法の得は無学
3.非学非無学の法の得のうち
①有漏法は非学非無学
②非択滅・有漏道によって得られた択滅の得は非学非無学
③有学の聖道によって得られた択滅の得は有学
④無学の聖道によって得られた択滅の得は無学
有学とは、初果より四果向までの聖者を云います。
無学とは、第四果の羅漢を云います。
択滅とは、智慧によって煩悩を断滅(涅槃)した事を云います。
次に「非所断二種」ですが、
1.処断のうち
①見処断の法の得は見処断
②修処断の法の得は修処断
2.非処断のうち
①非択滅の法の得は修処断。
②有漏道のよって得られた択滅の法の得は修処断
③聖道によって得られた択滅と聖道の法の得は非処断
処断とは、有為法を云います。
非処断とは、無為法を云います。
見所断とは、見道にて断じられる煩悩を云います。
修所断とは、修道にて断じられる煩悩を云います。
次に「無記得倶起」ですが、
1.未来・現在・過去の無覆無記の表色の法の得はそれぞれ未来・現在・過去。
2.未来・現在・過去の有覆無記の表色の法の得はそれぞれ未来・現在・過去。
表色とは現認される現象を云います。
次に「除二通変化」ですが、
二通と変化の法の得は未来・現在・過去の三世に亘るとされます。
二通とは、天眼通・天耳通を云います。
変化とは、神通境の果として身を種々に化ける時の心を云います。
ここで、なぜ無覆或いは有覆無記の法の得が其々なのに対して、二通と変化が三世に亘るのかですが、それはそのダルマの勢力の強弱なのだと説かれております。