:
②一法門の行を答える-2
:
経:菩薩、無量義を
:
論:菩薩が無量義の教えを学ぼうとするのなら、すべての事象は、過去においても、未来においても、現在においても、真理・事象は空であり、涅槃であると知る必要があります。自然にそのようになっています。よって、事象には大小はなく、生じるとか滅するということもなく、とどまるとか動くということはなく、進むとか退くということもありません。虚空のように一法です。
龍樹の中論には、「不生・不滅。不常・不断。不一・不異。不来・不出」が説かれ、般若心経では、「不生不滅。不垢不浄。不増不減」が説かれています。ものごとの両辺を否定することによって、一切を否定する表現です。真諦(真実)へと導くために説かれる場合、このような否定形がよく使われます。真諦は、言葉では表現できないので、このように否定することによって導きます。つまり、ここでは真諦について述べています。
:
:
経:しかるに諸の衆生、虚妄に、これは此、これは彼、これは得、これは失と横計して、不善の念を起し 衆の悪業を造って六趣に輪廻し、諸の苦毒を受けて、無量億劫自ら出ずること能わず。
:
論:人々は真理について無知なので、誤って世間を見ます。ものごとを分けて考え、損得で判断します。悪意をもって、悪事を行い、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道を輪廻し、様々な苦を受けて長い間自力で出ようとはしません。
ここには、真理を知らない者が苦しむことが説かれています。十二因縁にあるように、無明(真理を知らないこと)の者は、誤った意志によって分けて認識するため、自他を分け、個々を分けます。その結果、自分を可愛がって我執が強くなり、ものを区別するために差別します。自分が得することを優先するために、欲が強くなり、執着が強くなって、煩悩が増大します。そのために、悪事を行って、迷いの世界を輪廻し苦しみ続けるのです。
:
:
一法門の行を答える-2
:
:
:
六道輪廻について
:
六趣輪廻ともいいます。真理を知らない人々は、悪業を積んで、死後、迷いの世界を輪廻するといいます。輪廻はバラモン教の時代に浸透した思想ですが、六道輪廻は仏教からです。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天のことで、苦しみの度合いが最も重いのが地獄であり、最も軽いのが天上界です。地獄・餓鬼・畜生は、三悪道といわれます。
地獄とは、罪人の牢獄だといわれます。地中深くに八つの熱地獄と八つの寒地獄があり、生前の罪によって堕ちる地獄が異なります。獄卒として鬼がおり、罪人を様々なやりかたで苦しめます。針山、釜、炎、溶けた金属、煮え湯などで痛めつけられますから罪人はすぐに死んでしまいます。死んでもすぐに生まれ変わり、何度も何度も地獄で苦しみます。しかし、キリスト教の地獄と違って、いつかは地獄から他の境地に生まれ変わることができます。つまり、永遠に地獄にいるわけではありません。
餓鬼とは、飢餓に苦しむ鬼です。インドで鬼というのは、日本でいう幽霊のようなものです。喉が渇き、お腹がへっても、水や食料を口に入れると燃えてしまうので飢えた状態がずっと続きます。餓鬼は、地獄の近くにある餓鬼界や人間界、天上界に住むと言います。
畜生とは、動物のことです。人間界と同じ場所に住み、人間が認識することができます。本能のままに生きていますから、食べたいときには他の動物を殺してでも食べ、交尾をしたいときは、相手が親兄弟でもします。弱肉強食なので、いつも死が間近にあります。智慧のない状態です。
修羅とは、阿修羅のことで、もとは天上界に居た神です。争いを好み、帝釈天と戦って負け、海中に落とされました。修羅界とは、争いの世界です。
人間とは、私たち人類のことです。人間界に住んでいます。六道の中では、天上界の次に苦しみの少ない世界です。心が散乱で落ち着かず、まわりの変化に惑わされます。影響を受けやすいので倫理・道徳を学べば善を行いますが、誘惑によって悪をする傾向があります。善い縁があれば、成仏への道を進みます。
天とは、天上界のことであり、そこに住む神々のことです。バラモン教では、天上界は輪廻から解脱してから趣くところだといわれていましたが、仏教では迷いの世界だといわれています。神であっても、寿命があるために、死ぬ前には苦しむからです。死後は、六道を輪廻しますからゴールではありません。
:
:
六道輪廻について
:
: