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Rの会:妙法蓮華経方便品第二(後半)
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Rの会では、一大事因縁のところまでを前半にしていますが、話の流れでいくと五仏章までを前半にしたほうがいいように思えますので、このブログでは、そのようにしました。
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偈頌
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経:その時に世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく。
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太郎訳:その時に世尊は、これまでに説いてきた内容を詩にして、繰り返して説かれました。
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五千人の退席
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経:比丘・比丘尼の
増上慢を懐くことある
優婆塞の我慢なる
優婆夷の不信なる
是の如き四衆等
その数五千あり
自らその過を見ず
戒に於て欠漏有って
その
この小智はすでに出でぬ
衆中の
仏の威徳の故に去りぬ
その人は福徳少なくして
この法を受くるに堪えず
この衆は枝葉なし
ただ諸の貞実のみあり
:
:
R訳:すると世尊(釈尊)は、以上の意味を『偈』を以って重ねて説かれました。
先に五千起去した者たちは、まだ悟っていないのに悟ったと錯覚し、慢心が強く、自分のあやまちに気付かず、そのために戒律を守ることができていない者たちです。その者たちは、自身の欠点を知っておきながら、そのことに向き合うこともなく妥協して、目先のことしか考えないその場しのぎ、易(やす)きにつく身勝手な精神の持ち主でした。それゆえ、仏の境地があまりにも高いため、その教えに堪えることができずに去って行ってしまったのです。この者たちは過去において積んだ徳が少ないために、この『最高の教え』を受け止める力が不足していたのです。しかし、今、ここに残っている人たちは、それに耐えうる実力のある人たち、要となる人たちです。枝葉の人でなく幹の人です。
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:
太郎訳:男女の出家修行者たちの
増上慢を持つ者
在家の男性修行者の高慢な者
在家の女性修行者の不信の者
そのような者たちが五千人あって
自分自身の過失を見ず
戒律において漏れがあり
その欠点を隠す
そのような智慧の足りない者たちは
すでに出ていきました
この会座においては、値打ちのない者です
仏の教えが あまりにも高いので去っていきました
この人たちは まだ過去の徳積みが足らず
最上の教えを受けることが耐えられないのです
:
:
五千人の退席
:
:
:
人・天の開会-5
:
経)
もし人 散乱の心に
乃至 一華を以て
画像に供養せし
漸く無数の仏を見たてまつりき
或は 人あって礼拝し
或は また ただ合掌し
乃至 一手を挙げ
或は また少し頭を低れて
これを以て像に供養せし
漸く無量の仏を見たてまつり
自ら無上道を成じて
広く無数の衆を度し
無余涅槃に入ること
薪尽きて火の滅ゆるが如くなりき
:
:
太郎訳)
もしある人が
心が定まっておらず乱れていても
一本の花を仏画に供養したならば
無数の諸仏に出会うことができました
または ある人が仏塔を礼拝し
または ただ合掌し
または 片手を挙げ
または 少し頭を下げて供養した者は
無数の諸仏に出会うことができて
自らが成仏し 広く無数の人々を救い
真の涅槃に入る様子は
薪がなくなって 火が消え絶えたようでした
:
:
人・天の開会-5
:
:
:
人・天の開会-6
:
経)
もし人の散乱の心に
塔廟の中に入って
一たび南無仏と称せし
皆すでに仏道を成じき
諸の過去の仏の
現在 或は滅後に於て
もし この法を聞くこと有りし
皆すでに仏道を成じき
:
:
太郎訳)
もし ある人が
心が定まっておらず乱れていても
仏塔やほこらの中に入って
南無仏と一度でも唱えた者は
皆 すでに成仏しています
過去の諸仏の在世の頃
または 滅後において
もし この教えを聞くことがあれば
皆 すでに成仏しています
:
:
人・天の開会-6
:
:
:
万善成仏
:
太郎論:すべての善行は、成仏に通じるということが説かれています。過去の出来事なので、「皆すでに仏道を成じき」という表現になっています。ここで説かれている成仏の縁となる善行は八つです。
①六波羅蜜
②教学
③仏塔
④仏像
⑤仏画
⑥供養
⑦礼拝
⑧南無仏
:
:
万善成仏
:
:
:
第三未来仏章
:
開三
:
経)
未来の諸の世尊
その数量あることなけん
この諸の如来等も
また方便して法を説きたまわん
一切の諸の如来 無量の方便を以て
:
:
太郎訳)
未来の諸仏は
その数無量です
この諸仏も また方便で
教えを説かれるでしょう
一切の諸仏 無量の方便によって
:
:
開三
:
:
:
顕一
:
人一
:
経)
諸の衆生を度脱して
仏の無漏智に入れたまわん
もし 法を聞くことあらん者は
一りとして成仏せずということなけん
:
:
太郎訳)
多くの人々を救い
仏の智慧を得るように導きます
もし この教えを聞く者は
一人として成仏しないということはありません
:
:
行一
:
経)
諸仏の本誓願は
我が所行の仏道を
普く衆生をして
また同じく
此の道を得せしめんと欲す
:
:
太郎訳)
諸仏の本の誓願は
自分が実践した仏道を
広く人々に伝え
自分と同じように仏道を
得させることです
:
:
人一
:
:
:
教一
:
経)
未来世の諸仏
百千億 無数の諸の法門を
説きたもうと雖も
それ実には一乗の為なり
諸仏両足尊 法は常に無性なり
仏種は縁に従って起ると知しめす
この故に 一乗を説きたまわん
:
:
太郎訳)
未来世の諸仏は
無数の様々な教義を説くのですが
そのすべての教えは 一乗のためです
諸仏は一切の事物・現象には実体はないのだから
仏になることは 縁によって起こると説かれます
この為に一乗を説かれます
:
:
理一
:
経)
この法は法位に住して
世間の相常住なり
道場に於て知しめしおわって
導師方便して説きたまわん
:
:
太郎訳)
この真理は 確実であり 継続し
世間において不動で常にあります
この世界で 仏は方便によって説くことでしょう
:
:
教一
:
:
:
仏種は縁に従って起ると知しめす
:
太郎論:仏種は、ブッダ・ヴァンシャ buddha-vaṃśa の訳です。仏陀の系譜、系統、血統、種族、家族などの意味があります。カースト制度では、バラモンの子はバラモン、クシャトリア(王族)の子はクシャトリア、シュードラ(奴隷)の子はシュードラというように、生まれによって身分(種族)が決まりました。しかし、仏教では、カーストを否定して、生まれでなく、行為によって種族を為すと説いています。善行によって仏に成れるのです。
行為を起さしめるのは縁です。善い縁によって正しい者となり、悪い縁によって正しくない者になります。よって、相手を正しく導きたいのなら、まずは自分が正しくないといけません。仏教では、善い縁となる人を善知識と言います。善知識になることが、法華経においては重視されます。仏陀は、最高の縁を結ぶために、一仏乗を説くのです。
サンスクリット本には、「仏種は縁に従って起ると知しめす」にあたる文はありません。鳩摩羅什が加えた文なのか、鳩摩羅什の使った底本にはあったけど、現在残っているサンスクリット本にないだけなのかは不明です。仏種という言葉は、法華経で三回使われていますが、三回ともに、サンスクリット本には、それに当たる言葉がありません。仏種を仏性のことだと解釈する人もいますが、仏種という言葉はサンスクリットの法華経にはありません。
:
:
dharmā-mukhā koṭi-sahasr'aneke
prakāśayiṣyanti anāgate'dhve/
upadarśayanto imam eka-yānaṃ
vakṣyanti dharmaṃ hi tathāgatatve||101||
sthitikā hi eṣā sada dharma-netrī
prakṛtiś ca dharmāṇa sadā prabhāsvarā/
viditva buddhā dvi-padānam uttamā
prakāśayiṣyanti mam' eka-yānam||102||
:
:
訳)
未来の世において 如来たちは幾千コーティもの
多くの法への入口を説き示されるであろう
如来の本性において この一乗を説き明かしつつ
まさに法について語られるであろう
この真理を見る眼(法眼)は、常に確かに存続していて
あらゆるものごと(諸法)の本性は常に光り輝いている
そのことを知って 両足で歩く者の中で最上であるブッダたちは
私のこの一乗を説き示されるであろう
:
植木雅俊の訳を参考にしました。
:
:
仏種は縁に従って起ると知しめす
:
:
:
第四現在仏章
:
施化の意を標す
:
経)
天人の供養したてまつる所の
現在十方の仏 その数恒沙の如く
世間に出現したもうも
衆生を安穏ならしめんが故に
また 是の如き法を説きたもう
:
:
太郎訳)
天上界の神々や地上界の人々が
供養しているところの
現在の十方の諸仏は
その数は無数です。
人々を涅槃へと導くために
また この教えを説かれています
:
:
顕実
:
経)
第一の寂滅を知しめして
方便力を以ての故に
種々の道を示すと雖も
それ実には仏乗の為なり
:
:
太郎訳)
最上の涅槃を説き明かし
方便の力によって
様々な修行法を示されましたが
それはすべて実は
一仏乗のためです
:
:
施化の意を標す
:
:
:
開権
:
経)
衆生の諸行 深心の所念
過去所習の業 欲性精進力
及び 諸根の利鈍を知しめして
種々の因縁 譬諭
また 言辞を以て
応に随って 方便して説きたもう
:
:
太郎訳)
人々の様々な行為 深い心からの想い
過去に造った宿業 欲望 性格 続ける力
および 教えを受ける力の度合いを知って
様々な体験 譬え話 語源によって
相手に応じ 従って
方便の教えを説かれます
:
:
開権
:
:
:
第五釈迦仏章
:
略して開顕を頌す
:
経)
今 我もまた是の如し
衆生を安穏ならしめんが故に
種々の法門を以て 仏道を宣示す
我 智慧力を以て
衆生の性欲を知って
方便して諸法を説いて
皆 歓喜することを得せしむ
:
:
太郎訳)
今 私もまた
過去・未来・現在の
諸仏と同じように
人々を安穏の境地に導くために
様々な教義によって
仏道を説き明かします
私は 智慧の力によって
人々の性格や欲望を知り分け
方便にして様々な教えを説いて
皆が歓喜するようにと導いています
:
:
略して開顕を頌す
:
:
:
犛牛 の尾を愛するが如し蔽 い
広く開顕を頌す
:
五濁の開三
:
経)
舎利弗 当に知るべし
我 仏眼を以て観じて
六道の衆生を見るに
貧窮にして福慧なし
生死の険道に入って
相続して苦断えず
深く五欲に著すること
貪愛を以て自ら
盲瞑にして見る所なし
大勢の仏
及び 断苦の法を求めず
深く諸の邪見に入って
苦を以て苦を捨てんと欲す
この衆生の為の故に
しかも大悲心を起しき
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
私が仏眼によって
迷いの世界を輪廻する人々を観察すれば
心が貧しく福も智慧もありません
現象に振り回されて 険しい道を歩み
いつまでも苦が絶えません
深く五感の欲に執着しており
まるで尻尾を愛してやまないヤクのようです
欲に執着して 自分の智慧に蓋をしているために
真実を観る眼が閉じています
諸仏と苦を断つ教えを求めません
深く様々な誤った思想を持っていて
苦によって苦を捨てようとしています
このような人々のために
私は大慈悲心を起こすのです
:
:
五濁の開三
:
:
:
化を方便で施す-1
:
経)
我 始め道場に坐し
樹を観じ また経行して
三七日の中に於て
是の如き事を思惟しき
我が所得の智慧は
微妙にして最も第一なり
衆生の諸根鈍にして
楽に著し 痴に盲いられたり
斯の如きの等類
云何して度すべきと
:
:
太郎訳)
私は 菩提樹の下で悟りを開いた後
しばらく悟りの座に坐っていました
菩提樹の樹を仰ぎ見て
またはゆっくりと歩いて
二十一日の間
このようなことを思い考えました
私が得た智慧は
正しく優れていて
最も第一です
人々の機根は鈍っていて
快楽に執着し 無知によって真実が見えていません
このような人々を
どうやって救ったらいいのでしょう?
:
:
化を方便で施す
:
:
:
化を方便で施す-2
:
経)
その時に諸の梵王
及び 諸の天帝釈 護世四天王
及び 大自在天
ならびに余の諸の天衆
眷属百千万
恭敬 合掌し礼して
我に転法輪を請す
:
:
太郎訳)
その時に梵天王が現われ
また 帝釈天が現われました
世界を守護する四天王と大自在天と
さらに多くの天上界の神々が現われました
集った神々は合掌をし
尊敬を持って礼拝し
私に教えを説くようにと請いました
:
:
化を方便で施す-2
:
:
:
化を方便で施す-3
:
経)
我 即ち自ら思惟すらく
もし ただ仏乗を讃めば
衆生苦に没在し
この法を信ずること能わじ
法を破して信ぜざるが故に
三悪道に墜ちなん
我 寧ろ法を説かずとも
疾く涅槃にや入りなん
尋いで過去の仏の
所行の方便力を念うに
我が今得る所の道も
また 三乗と説くべし
:
:
太郎訳)
私は深く考えました。
もし ただ成仏の教えを讃えても
人々は苦の中にあるために
この教えを信じることが出来ません
愚かな者たちは 私の説いた教えに対して
罵りの言葉を吐きかけ 信じることがないため
地獄・餓鬼・畜生という悪い境遇に墜ちるでしょう
私は むしろ教えを説かない方がいいのであり
すぐにでも涅槃に入るべきかも知れません
過去の諸仏が
方便力を使って導いたことを想い
私が今得ることの出来た仏道も
過去の諸仏に倣って
仮に三つの道として
説き示すことにしましょう
:
:
化を方便で施す-3
:
:
:慰諭 したもう
化を方便で施す-4
:
経)
この思惟を作す時
十方の仏皆現じて
梵音をもって我を
善哉 釈迦文 第一の導師
この無上の法を得たまえども
諸の一切の仏に随って
方便力を用いたもう
我等もまた皆
最妙第一の法を得れども
諸の衆生類の為に
分別して三乗と説く
少智は小法を楽って
自ら作仏せんことを信ぜず
この故に方便を以て
分別して諸果を説く
また三乗を説くと雖も
ただ菩薩を教んが為なり と
:
:
太郎訳)
このように決意をした時
十方の諸仏が私のまわりに現われて
清らかな声で私に告げました
素晴らしいことです
この世界で第一の導師である釈迦牟尼仏は
無上の智慧を得ましたが
一切の諸仏に倣って
方便力を使われようとしています
私たちも皆 最も優れた第一の真理を得ましたが
人々のために分別して三乗を説きます
智慧が少なければ 小さな教えしか求めず
自分が成仏できることを信じません
このために方便によって分別し
それぞれの修行の結果を説きます
また 三乗を説くと言っても
ただ菩薩を教化しようとしているのです と
:
:
化を方便で施す-4
:
:
:
化を方便で施す-5
:
経)
舎利弗
当に知るべし
我 聖師子の 深浄微妙の音を聞いて
喜んで南無仏と称す
また 是の如き念を作す
我 濁悪世に出でたり
諸仏の所説の如く
我もまた 随順して行ぜん と
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞き下さい
私は 諸仏の深く浄い優れた声を聞いて
南無仏と称えました
また このように想いました
私は この濁った悪世に出現しました
この恐ろしい時代の中での私の役割は
苦に満ちた人々を救うことなのです
諸仏が説いたように私も諸仏に倣って
方便の教えを説きましょう と
:
:
化を方便で施す-5
:
:
:音
化を方便で施す-6
:
経)
この事を思惟しおわって
即ち波羅奈に趣く
諸法寂滅の相は
言を以て宣ぶ可からず
方便力を以ての故に
五比丘の為に説きぬ
これを転法輪と名づく
便ち 涅槃の
および 阿羅漢
法僧差別の名あり
久遠劫より来
涅槃の法を讃示して
生死の苦 永く尽くすと
我 常に是の如く説きき
:
:
太郎訳)
このことを思惟した後
ヴァーラーナシーに向かいました
すべての事物・現象が
既に涅槃の境地にあるということは
言葉で説明できません
方便力によって
五比丘のために教えを説きました
この時に教えが
車輪のように転じ始めました
涅槃の境地に至る道を説き
その道を究めた者を阿羅漢であると説きました
こうして 涅槃という名前 阿羅漢という名前
そして 仏・法・僧という名前が生まれました
私は 長い間
涅槃の教えを讃え示して
涅槃こそが 輪廻の苦を滅した境地であると
常にこのように説いてきました
:
:
化を方便で施す-6
:
:
:
実を顕す
:
人一
:
経)
舎利弗
当に知るべし
我 仏子等を見るに
仏道を志求する者
無量千万億 咸く恭敬の心を以て
皆 仏所に来至せり
かつて諸仏に従いたてまつって
方便所説の法を聞けり
:
:
太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
私が仏子である菩薩達を見るとき
仏道を求める無量の者は
恭敬の心によって 皆 仏のところに参りました
このことは かつて諸仏に従って
方便の教えを聞いた因縁によります
:
:
人一
:
:
:
理一
:
経)
我 即ちこの念を作さく
如来出でたる所以は
仏慧を説かんが為の故なり
今正しく これその時なり
舎利弗 当に知るべし
鈍根小智の人 著相憍慢の者は
この法を信ずること能わず
:
:
太郎訳)
私は このように想っています
如来が世に出現した理由は
仏の智慧を人々に説き明かすためである
今は、まさしくその時である
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
機根の低い人 智慧のない人
現象に執着する人 憍慢の者は
この教えを信じることが出来ません
:
:
理一
:
:
:
行一
:
経)
今 我喜んで畏なし
諸の菩薩の中に於て
正直に方便を捨てて
ただ無上道を説く
菩薩この法を聞いて
疑網皆すでに除く
千二百の羅漢
悉くまた当に作仏すべし
:
:
太郎訳)
今 私は喜んでおり
畏れはありません
諸々の菩薩たちの中において
正直に方便の教えを捨てて
ただ成仏の道を説きます
菩薩たちは この教えを聞いて
疑惑の心は除かれたことでしょう
千二百人の阿羅漢の皆さん
全員が まさに成仏してください
:
:
行一
:
:
:
正直捨方便 但説無上道
:
太郎論:「正直に方便を捨てて ただ無上道を説く」というこの文は、日蓮系では有名です。無量義経の「四十余年未顕真実」と「正直捨方便但説無上道」を合わせて、「釈尊は、説法を始めてから四十余年、方便の教えしか説いておらず、真実を顕していない。今、この法華経の説法においては、正直に方便を捨てて無上の道を説く」というように解釈しています。つまり、法華経以前の教えは方便であって、真実は説いていなかった。しかし、今、この法華経において真実を説きましょう、というように解釈をしています。このように解釈をし、自分のところの宗派や教団内で噛み締めるのは問題はありませんが、この解釈を他宗・他教団にぶつけて、「法華経以外は方便である」とマウントをとるのはやめたほうがいいでしょう。
方便品を最初からきちんと読めば分かりますが、釈尊がこれまで妙法について説かなかったのは、人々の機根が高まっていなかったからです。「舎利弗 当に知るべし 鈍根小智の人 著相憍慢の者は この法を信ずること能わず」とあるように、機根が鈍い人、智慧が小さい人、執着の強い人、驕り高ぶり、思いあがっている人は、この教えを説いても信じることができないだろうと言います。それだから、機根を高め、智慧を深め、執着から離れさせ、おごり高ぶりを無くすことが先決です。そのために、分かりやすい教えから順に説いてきました。小学生にいきなり相対性理論を説いても分かりません。最初は、数字を覚え、足し算・引き算を覚えて、徐々にレベルを上げていかないとついてこれません。仏教もそれと同じです。
方便品の最初で、釈尊は説法をためらいました。それは、聞く人が受け入れきれず、驚き怖れ疑うことになるからだと言います。また、増上慢の人は、地獄に堕ちることになるからだとも言います。譬諭品第三には、「おごり高ぶっている高慢な者たちやすぐに怠けて修行を続けられない者たち、自己中心的な者たちにはこの教えを説かないでください」と告げます。教えを拒否する人に説いてもいいことがありませんから、慈悲があるのなら説かないようにしなさいと告げています。今、この会には、教えを受けるのに相応しい者たちが集まっていますから、釈尊は、「如来出でたる所以は 仏慧を説かんが為の故なり 今正しく これその時なり」とおっしゃり、ついに機が熟したことを悦んで無上道を説かれるのです。
:
サンスクリット本では、次のように書いています。
:
viśāradaś cāhu tadā prahṛṣṭaḥ
saṃlīyanāṃ sarva vivarjayitvā|
bhāṣāmi madhye sugat'ātmajānāṃ
tāṃś caiva bodhāya samādapemi ||132||
:
また その時
すべての臆する心から離れ
躊躇せず 愉快であり
仏子の中で説き
彼らを覚りへと教化します
:
このように、サンスクリット本には、方便と訳される言葉はありません。捨てるのは、「臆する心」です。人々の鈍根・小智・執着・慢心の状態を観て、妙法を話しても大丈夫だと思ったから、躊躇せず、悦んで説法をするのです。
:
:
説法はすべて方便
:
「法華経以前の教えは方便であり、法華経において初めて真実が明かされる」という解釈がよく為されています。仏教用語の真実とは、「絶対の真理」のことです。よって、真実とは、真諦・第一義諦・勝義諦・妙法と同義です。真諦は、言葉では表現できない絶対の真理ですから、言葉によって説かれている経典には、真実は書いていません。法華経も言葉ですので、真実は書かれていません。方便品を読めば分かりますが、真実を覚った釈尊は、言葉では伝えることのできない真実をあえて言葉で説こうとしました。それが方便です。方便とは、「近づける」という意味であり、仏教の場合は、「真実に近づける方法」という意味で使われます。釈尊は、真実そのものを説こうとしたのではなく、方便によって、人々を真実に近づけさせようとしたのです。それは、釈尊が真実を覚っているからできることです。
:
:
正直捨方便 但説無上道
:
:
:興出 したもうこと
懸遠 にして値遇すること難し
正使 世に出でたもうとも
時時 に乃し一たび出ずるが如し
法の希有を讃歎する
:
経)
三世諸仏の 説法の儀式の如く
我も今また是の如く 無分別の法を説く
諸仏 世に
この法を説きたもうこと また難し
無量無数劫にも この法を聞くこと また難し
よくこの法を聴く者 この人 またまた難し
譬えば優曇華の 一切皆愛楽し
天人の希有にする所として
法を聞いて歓喜し讃めて 乃至 一言をも発せば
則ち為れすでに 一切三世の仏を供養するなり
この人甚だ希有なること 優曇華に過ぎたり
:
:
太郎訳)
過去・現在・未来の諸仏と同様に
私も今このような無分別の教えを説きます
諸仏が世に出ることは稀であり
出会うことは非常に難しいものです
たとえ世に出られたとしても
真実の教えを説かれることは
めったにないのです
無量の時間の中に於いても
この教えを聴くことは
非常に稀なのです
こうして この教えを聴く者は
聴くことの難しい教えを
聴いているのです
譬えば 優曇華の花は
誰からも愛されていて
天上界の神々も地上界の人々も
珍しい花だと知っているのですが
三千年に一度だけ咲く様なものです
教えを聴いて歓喜し
たとえ一言でも讃えれば
そのことは 過去・現在・未来の諸仏を
供養することと同じです
この人は優曇華の花が咲くよりも
稀有な体験をしているのです
:
:
法の希有を讃歎する
:
:
:
不虚
:
経)
汝等 疑あることなかれ
我は為れ諸法の王
普く諸の大衆に告ぐ
ただ一乗の道を以て
諸の菩薩を教化して
声聞の弟子なし
汝等 舎利弗
声聞 及び 菩薩
当に知るべし
この妙法は
諸仏の秘要なり
:
:
太郎訳)
皆さんは疑いを持たないでください
私は様々な教えの王なのです
広く人々に告げます
私は ただ 一仏乗の道によって
諸々の菩薩を教化します
声聞の弟子はいません
シャーリプトラよ
声聞 及び菩薩たち
よく理解してください
この正しく優れた教えは
諸仏の教えの奥義なのです
:
:
不虚
:
:
:
慙愧 清浄にして
衆を棟びて信を敦む-1
:
経)
五濁の悪世には
ただ諸欲に楽著せるを以て
是の如き等の衆生は
終に仏道を求めず
当来世の悪人は
仏説の一乗を聞いて
迷惑して信受せず
法を破して悪道に堕せん
仏道を志求する者あらば
当に是の如き等の為に
広く一乗の道を讃むべし
:
:
太郎訳)
五濁の悪世には
人々は様々な欲に
執着することによって
ついに仏道を求めません
これからの世界の悪人は
仏の説く一仏乗を聞いても
迷惑を感じ信受することなく
教えを罵って悪道に墜ちます
自分の過ちを反省して
清浄にして仏道を求める者があれば
この人々のために広く一乗の道を
讃えてください
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衆を棟びて信を敦む-1
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衆を棟びて信を敦む-2
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経)
舎利弗
当に知るべし
諸仏の法 是の如く
万億の方便を以て
宜しきに随って法を説きたもう
その習学せざる者は
これを暁了すること能わじ
汝等すでに 諸仏世の師の
随宜方便の事を知りぬ
また諸の疑惑なく
心に大歓喜を生じて
自ら当に作仏すべしと知れ
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太郎訳)
シャーリプトラよ
よくお聞きなさい
諸仏は このように多くの方便によって
相手に相応しい教えを説くのです
そのことを学んだことのない者は
この真意を覚ることが出来ません
皆さんは すでに諸仏の相手に応じた
方便の教えのことを知っています
様々な疑惑を持つことなく
心に大歓喜を生じて
自らまさに成仏すると知りなさい
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衆を棟びて信を敦む-2
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