仏教のお話

問答 輪廻について / 26

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ダルマ太郎 2024/04/26 (金) 21:52:41

Sさん

質問者2024/4/23 23:26

prajñaptiに関する最後の文章は中論の24章を意識しているのだと思いますが、「実体は無くても、名前として、概念としては有ります。」と言ったら、何もないのに言葉だけがあるような意味になりますが、そうではないでしょう? 因縁によって生じた何かがあって、それに仮の名前をつけるというのがprajñaptiでしょう。

例えば、生まれてきた赤ん坊がいるから太郎と名付けます。太郎は仮の名前ですが、その前にそう名付けて呼ばなければならない個別の存在、現象があるわけです。それが仮設、すなわち因縁所生法ということです。私は現代人にわかりやすいように「現象」と呼んでいますが。

太郎という名前だけ、概念だけがあるのではなく、それが指し示す対象があるのです。「輪廻」というのも言葉で、概念ですが、概念「だけ」があるのではなく、そうした概念で把握されている因縁による現象があるということです。

概念としてのみ有るとか、幻だといったら、それは要する因縁所生法としても存在を認めないということになりませんか? それでは非有非無ではなくて、非有だけの無見でしょう。

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