仏教のお話

問答 輪廻について / 2

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ダルマ太郎 2024/04/24 (水) 00:58:50 修正 >> 1

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答 2)
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大智度論の最初の讃仏偈
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経)
智度大道佛從來 智度大海佛窮盡
智度相義佛無礙 稽首智度無等佛
有無二見滅無餘 諸法實相佛所説
常住不壞淨煩惱 稽首佛所尊重法
聖衆大海行福田 學無學人以莊嚴
後有愛種永已盡 我所既滅根亦除
已捨世間諸事業 種種功徳所住處
一切衆中最爲上 稽首眞淨大徳僧
一心恭敬三寶已 及諸救世彌勒等
智慧第一舍利弗 無諍空行須菩提
我今如力欲演説 大智彼岸實相義
願諸大徳聖智人 一心善順聽我説

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訳)
般若波羅蜜多の大道は 仏だけが よく来られました
般若波羅蜜多の大海は 仏だけが 極めつくされました
般若波羅蜜多の特徴は 仏だけが とらわれがありません
般若波羅蜜多を成就された 比類なき仏に 敬意を表します
有無の二つの思想を滅して余すことがなく
諸法実相は 仏の所説です

・・・略・・・
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これは、龍樹が大智度論を論じるに先だって、釈尊を讃嘆している偈です。この中に、「有無二見滅無餘」という文がありますので、これに注目したいと思います。見とは思想のことです。仏は、有無という二つの思想を滅し尽くした、といいますから、仏教において、有無を否定することは、基本的な立場だということが分かります。
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有見とは、「すべてのものには実体が有ると考え、実体に執着する思想」です。無見とは、「一切は無であると考え、そのことに執着する思想」です。仏教では、縁起を説いて、有無二見を否定しました。「すべてのものは因縁によって仮に有るので実体は無い」ということから、仮に有るので無を否定し、実体が無いので有を否定しました。非有非無の中道であり、これを空ともいいます。
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有見は常見とも呼ばれ、ものの実在に固執する見解です。無見は断見とも呼ばれ、虚無にこだわる見方です。インドの宗教の多くは、アートマン(自我)は実在し、常住すると考えています。死んでもアートマンは常にあると観るので、常見といいます。業報輪廻は、この常見が土台にあります。アートマンが有ることを前提にしています。アートマンが業報を積み、アートマンが輪廻し、アートマンが解脱をすると考えます。よって、アートマンを否定して、無我を説いた仏教は、常見を否定していることが分かります。
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一方、断見とは、死ねば断滅して、再び生まれ変わることはなく、業報・輪廻・解脱など無いとする思想です。仏教は、この思想だという誤解を持つ人が多いのですが、仏教は、断見を否定します。釈尊は、因果の法を説き、因縁にはそれに相応しく果報があると説いたのですから、今世の因縁は、来世に果報として受け取ると教えています。これを相続といいます。特徴を受け継いでいくから相続です。アートマンが有るから輪廻するのではなく、特徴を受け継いで輪廻するのです。このことから、釈尊や龍樹の説く輪廻は、世間一般的に言われている輪廻とは異なることが分かります。アートマンが輪廻するとはいわないのです。
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龍樹は、中論の最初でも、帰敬序という讃仏偈を読んでいます。
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経)
不生亦不滅 不常亦不斷
不一亦不異 不來亦不出
能説是因縁 善滅諸戲論
我稽首禮佛 諸説中第一

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「不常亦不斷」とありますので、常見と断見を滅した仏を讃えていることが分かります。このように、非有非無の中道、非常非断の中道は、釈尊と龍樹の思想の根底にあることが分かります。
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