Sさん
質問者2024/4/23 9:17
>生まれによって身分が決まるということは、業報輪廻説と融合
身分制度は必ずしも理論的根拠を必要としません。近代以前の社会ならどこにでも身分制度があり、それは血縁に基づいているだけです。武士の家に生まれれば武士であるように、バラモンの家に生まれればバラモンとされていただけです。
勿論こうした身分制度が人々を苦しめていたという現実もあると思いますが、少なくとも初期経典の中で、身分制度がクローズアップされて問題とされているような記述は読んだことがありません。シュードラやアウトカーストの人が輪廻による身分制度に苦しみ、それをブッダに訴えるという説話などありませんし、ブッダがそうした問題について言及していることもないのです。
考えれば当然のことで業報は身分に限らず人々共通の問題だからです。バラモンだからといって業の報いを避けることは出来ませんから、身分制度など本質的な問題ではないのです。
>本当にこのような超能力を釈尊が持っていたと思われますか?
止観の修習によって三明のような能力を開発するというのは仏教の修行論の柱ですよ。それは初期経典だけではなく成唯識論のような唯識の論書でも、現観荘厳論のような中観派系の論書でも説かれていることです。また、自分で禅定に入れるようになれば誰もがそうした能力の存在を知ることができます。
どうもダルマ太郎さんは座学に偏りすぎて、頭だけで理解できる範囲で仏教を理解されようとしているのではないでしょうか。もし論理の追求だけで仏教が理解できるなら、なんのために三学が説かれたのか自問されてみるべきではないでしょうか。
>その経典にサーリプッタ尊者は出ていますか?
大獅子吼経というのは同名経典が二つありまして、わたしが言及しているのは中部所蔵のほうです。