ダルマ太郎
shumi
2024/04/26 (金) 20:41:20
Sさん
質問者2024/4/23 9:11
わたしがカウシータキの成立年代を初めとする事実認識について確認したのは、ダルマ太郎さんの論旨が、「ブッダ以前に業報輪廻説がインド社会に浸透しており、身分制度と結びついて人々を苦しめていた」ということを前提としているように見えるからです。
しかし、パーリや阿含のような初期経典で明確に伝えられているのは次のことです。
%%{fg:blue}1. ブッダは止観の実践によって自ら輪廻を如実知見した
- そのメカニズムというべき業報という理についても完全に把握した
- さらに、行による智慧の開発によって業報を止滅させることに成功した
- これら一連のことを人にも説いたことによってブッダと称えられるようになった%%
これは私の解釈ではなく、多くの経典に書いてあることであり、仏教の根本的な教義ですから、是非ご自分でお読みになって確認してください。
そして、ダルマ太郎さんの論旨は、この仏教の伝統的なブッダ観を真っ向から否定しています。ですので、その立論の根拠を伺ったわけですが、どうも断片的な情報を元にした推測の域を出ないようなので、論理として脆弱、もっといえば成立していないように思われます。
問題は、ダルマ太郎さんの論理が正しいなら、初期経典の多くの記述と矛盾するのですが、そのことに一見仏教に詳しそうなダルマ太郎さんが全く気づいていないということと、その点を指摘されても、脆弱な根拠しかないのに、自身の説を再考することがないのは何故かということです。
それは見取(見解への執着)ではないのでしょうか?
そうでないなら、その考えを一度手放して、初期経典を読んで見るなりの努力は何故されないのでしょうか?
大乗仏教は初期経典を否定したのではなく、それを受け継ぐことを自負していた人たちによって始められたのですよ。
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