仏教のお話

Rの会:無量義経 / 72

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ダルマ太郎 2024/04/18 (木) 20:49:08 修正 >> 10

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菩薩の敎化方法
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経:微渧(みたい)先ず堕ちて以て欲塵を(ひた)し、涅槃(ねはん)の門を開き解脱(げだつ)の風を扇いで世の悩熱を除き法の清涼(しょうりょう)を致す。次に甚深(じんじん)十二因縁(じゅうにいんねん)を降らして、用て無明(むみょう)・老・病・死等の猛盛熾然(みょうじょうしねん)なる苦聚(くじゅ)の日光に(そそ)ぎ、(しこう)して乃ち(おおい)に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬(にんし)し、善の種子を布いて功徳(くどく)(でん)に遍じ、(あまね)く一切をして菩提の萌を発さしむ。智慧の日月方便の時節、大乗の事業を扶蔬増長(ふそぞうちょう)して、衆をして()阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成じ、常住の快楽(けらく)微妙真実(みみょうしんじつ)に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。
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R訳:あたかも乾いた土に一滴の「しずく」が落ちると、そこには砂ぼこりが立たなくなるように、まず些細な教えから入って行き、数多い欲の中でわずか塵ほどのものを鎮めていきます。そして、悟りへ門を開き、解脱へと誘って行きます。それはまるで涼しい風をそよがせて熱を取り除いて冷めさせるように、人々を苦悩の熱から救って行くのでした。次に深遠な「十二因縁」の教えを説いて無明の状態から解き放ちます。それはまるで照りつける灼熱の太陽に苦しむ人が、雨を得て蘇生の喜び得るようであり、そのうえで無上の教えである「大乗の教え」を説いて、人が本来具える「善の根」に潤いを与えます。さらに善行を呼び起こす「善の種」を蒔いて、ついにはあらゆる人びとに仏の悟りの「芽生え」を起させるのであります。菩薩たちの智慧は、太陽や月のようにすべてを明らかに照らし出し、しかも人々を導く手立ては、手段も時節も的確です。大乗の救いを進めて、その成果をどんどん上げて行き、すべての人を仏の悟りへと真っ直ぐに導きます。菩薩はいつも智慧を具えていますので、限りない大悲の心を注ぐことができ、それによって苦しみ悩む無数の衆生を救っていくのです。
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自利
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経:是れ諸の衆生の真善知識(しんぜんちしき)、是れ諸の衆生の大良福田(だいろうふくでん)、是れ諸の衆生の(しょう)せざるの師、是れ諸の衆生の安穏(あんのん)楽処(らくしょ)救処(くしょ)護処(ごしょ)大依止処(だいえししょ)なり。処処に衆生の為に大良導師・大導師と作る。能く衆生の(めし)いたるが為には而も眼目を作し、(りょう)()()の者には()()(ぜつ)を作し、諸根毀欠(しょこんきけつ)せるをば()具足(ぐそく)せしめ、顛狂荒乱(てんのうこうらん)なるには大正念(だいしょうねん)を作さしむ。船師・大船師なり、群生(ぐんじょう)運載(うんさい)し、生死(しょうじ)の河を渡して涅槃の岸に置く。医王・大医王なり、病相を分別(ふんべつ)薬性(やくしょう)暁了(ぎょうりょう)して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。調御(じょうご)・大調御なり、諸の放逸(ほういつ)の行なし。(なお)象馬師(ぞうめし)の能く調うるに調わざることなく、師子の勇猛(ゆうみょう)なる、()衆獣(しゅじゅう)を伏して沮壊(そえ)すべきこと(かた)きがごとし。菩薩の諸波羅蜜(しょはらみつ)遊戯(ゆけ)し、如来の地に於て堅固にして動ぜず、願力(がんりき)に安住して広く仏国を浄め、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成ずることを得べし。是の諸の菩薩摩訶薩皆(かく)の如き不思議の徳あり。
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R訳:菩薩は、まさに人々にとって「善き友」であり、幸せを育てる「良い田畑」であり、招かないでもわざわざやって来てくれる「有難い先生」であります。私たちにとっては「心の安らぎ」を与えてくれる存在、人生の「大きな支え」となる存在、私を「守ってくれる」存在、「依り所」となる存在です。菩薩は私たちを正しく導く師であり、目、耳、言葉の不自由な人にとっての目、耳、口となる方です。心が乱れ、荒み切っている時は、心を安定させ、正気を取り戻させてくれます。まるで優秀な船長ようで、人生途上で襲いかかる様々な「変化・異変」の荒波を乗り越えさせてくれ、安穏な境地へと誘ってくれます。病に応じて的確に薬を与える名医だとも言え、どんな猛獣をも従わせる優れた調教師のようです。菩薩は、仏の悟りに至るためのあらゆる修行・菩薩行を自由自在に行なえ、一切衆生救済を願う仏の力を信じていますので、「大安心」の心境で法を説くことができます。これらの菩薩は近い将来、仏の悟りに達する方々であり、以上のような大徳を具えています。
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菩薩の敎化方法
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