仏教のお話

Rの会:無量義経 / 62

77 コメント
views
0 フォロー
62
ダルマ太郎 2024/04/02 (火) 15:10:29 >> 21

輪廻は有るのか?

釈尊が、死後の世界をどのように説かれていたのかは分かりません。経典を読めば、悪業を重ねていると死後に地獄・餓鬼・畜生の世界に趣くと説かれていますが、それは事実を説いているのか、方便なのかが分からないのです。死後の世界は未知ですから、誰も知る者はいません。釈尊でさえも、死後の世界についての事実は分からないでしょう。謎の世界です。仏は、神通力を持っており、凡夫が知り得ない死後の世界のことも把握しているという方もいますが、本当に神通力を使えたのかは不明です。

仏は、相手に応じて教えを説きます。当時のインドの人々は、業報による輪廻を信じていましたから、仏はそれを否定せずに受け入れて輪廻を説いていたのかも知れません。悪いことをすれば地獄に堕ちるという話をすれば、人々は道徳・倫理を護って人の道を行くでしょうから。しかし、仏教徒として修行を続けている人たちには、輪廻を否定しているようです。何にせよ、存在を肯定すれば執着につながりますから、そうならないように輪廻はない、と説いています。たとえば、サンスクリットの法華経の如来寿量品には、「輪廻はない」(アサンサーラasaṃsāra) と説かれています。なぜか鳩摩羅什訳の妙法蓮華経にはこの経文はありません。

さらに修行を積んだ人には、「輪廻は想いの中にあるけれど、事実としては存在しない」と教えます。仮には有るけれど実体としては無いのです。そして、最終的には、「非有非無の中道」を説きます。「有ることの否定、無いことの否定という中道」です。輪廻が有るということを否定し、輪廻が無いことを否定して、有無両辺への執着から離れさせるのです。無執着へと導く仏教においては、死後の世界・輪廻は、思惟の対象にはならないということでしょう。

輪廻肯定派は、断固として輪廻が有ると主張します。輪廻が無いと都合が悪いのでしょうか? 執着すれば、無分別の境地には入れませんから、修行の妨げになると思うのですが。輪廻するのなら、何が輪廻するのでしょうか? 仏教では、無我を説いていて、個の主体・本体・実体は否定されています。我が無いのに何が輪廻するというのでしょうか? Rの会では、魂が輪廻すると教えているようですが、それだとヒンドゥー教的な思想ですから、仏教とは言い難いです。

通報 ...