仏教のお話

Rの会:無量義経 / 5

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ダルマ太郎 2024/03/20 (水) 19:15:56 修正 >> 2

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法華経に説かれていること
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法華経は一切経の精髄
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① 宇宙の本当の(すがた)はどうであるか?
② 人間とはどんなものか?
③ 人間はどう生きねばならないか?
④ 人間と人間との関係はどうあらねばならないか?

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これらのことが、法華経で説かれている、ということですが、果たしてそうなのでしょうか? 宇宙の相は明かされていないし、人間とはどういうものかも説かれていません。人間はどう生きねばならないかについては、あくまでも仏教的解釈です。人間と人間との関係についても同様です。これらのことは、Rの会で説かれることなので注意が必要です。
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仏はいつもいる すべての人に仏性(ぶっしょう)あり
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① 仏はいつもそばにいて、われわれを導いてくださる
② すべての人に仏性(ぶっしょう)あり
③ だれでも努力次第で仏の境地に達せられること

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「仏はいつもそばにいて、われわれを導いてくださる」というときの仏とは、肉体を持った釈尊のことではなく、真理を体とする法身仏(ほっしんぶつ)のことです。このことは、難しい内容ですので、じっくりと学ぶ必要があります。「すべての人に仏性あり」ということは、法華経には説かれていません。法華経の後につくられた『涅槃経(ねはんぎょう)』で説かれたことですので、法華経に仏性という説はありません。仏性という言葉もありません。「だれでも努力次第で仏の境地に達せられること」(皆成仏道(かいじょうぶつどう))は、法華経に説かれています。
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仏性(ぶっしょう)とは
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仏性とは、ブッダ・ダートゥ Buddha-dhātu の訳です。ブッダとは、仏陀のことで、仏ともいいます。最高の覚りをひらかれた人のことです。ダートゥとは、生物が生存し輪廻(りんね)する空間を意味します。フィールド、世界、要素などの意味もあります。よって、仏性とは、「仏の境界」のような意味です。衆生は、生まれもって仏と同じ境界を持つということです。または、ダートゥには、原因という意味もありますので、「仏に成る原因」「仏に成る可能性」の意味としても使われます。
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解釈本を読むと、仏性とは、「仏の性質」の意味で解釈していることがあります。私たちの心には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という迷いの境界と声聞・縁覚・菩薩・仏陀という聖なる境界があり、誰もが仏と同じ性質を持つというのです。この意味での仏性を自覚するということは、我を意識するのと同じで、空なるものを有ると観ることにつながります。無我に反しています。ヒンドゥー教的な思想です。日本では、仏性とか、如来蔵に注目する傾向が強く、そのことが執着につながることに無頓着です。
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仏性を「仏に成る原因」「仏に成る可能性」の意味として使うことは問題ありません。法華経で、声聞たちが授記(じゅき)されるのは、仏に成る可能性があるからです。授記とは、将来成仏することの予言です。可能性があるから、皆成仏道(かいじょうぶつどう)が説かれています。
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法華経に説かれていること
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