人間はあらゆる物事を概念化してゆきそれを記憶に留めていく生き物です。
その人間の「概念」に対し仏教では物事の「真理」を説きます。
「人間の概念」は所詮人間が造り出すものであり、それが果たして信ずるに値する「真理」たり得るかと言えば、そうではない事が多々あります。その時はそれが「正しい」と思っていても振り返ってみると「間違い」だったという事は良くある事です。例えば昨今の教科書から坂本竜馬が外されましたが、時代の時々によって人物の評価は変わっていきます。世の中は流動的に常に変化しておりますので、その世界にあって変わらずにあり続ける「正しさ」というものは、実はあり得ないんです。
なのに人々は「全体的な正しさが有る!」と思い込むんです。
この全体的な正しさが「有る!」と主張する行為は、物事を「有る無し」で見ている外道の見解にあたります。外道と言いますと「私は外道なんかじゃありません!」と激しく抗議されそうなので言い方を変えます。物事を「有る無し」で判断する行為を客観認識法と言います。
今の世の中、どれだけ人々が「全体的な正しさが有る!」と思い込んで生きているかというお話をわたしの大変愉快な体験談を通して紹介して参ります。
最初のお話は、今年33になる私の長男に関わるお話です。
彼が中学3年生の時、高校入試で希望の高校に受験しにいった時のお話です。
同じ高校を受験する友達数名で、地下鉄の駅まで自転車でいって、受験を終えてその駅に帰って来たら、皆が止めていた自転車が全て撤去されていたんです、市の役人の手によって。
止めていた場所が駐輪禁止場所だったみたいで、結局子供達は罰金2,000円を各々が払ってそれぞれの自転車を返してもらって帰宅したんですね。
帰宅した息子からその話を聞いた私は、速攻で市役所に怒鳴り込みに行った。
そして市役所の地域整備課の課長を相手に私は言いました。
「収入のない未成年のしかも中学生から、罰金2,000円を徴収しただと!」
「おまえら、バカかぁー!!」
あたり一面に響き渡るその怒声に驚いた役人達が、一斉に私に向けて視線を集中させた。
私に罵倒された課長さんは、その視線の集中の中、次のような事を私に偉そうにのたまわった。
「我々は、市の条例に従って任務を遂行したまでです。」
「条例には違反者から罰金2,000円を徴収するとありますので」
それを聞いて更に呆れた私は、星一徹ばりにちゃぶ台返しまではいかないまでも、思いっ切りテーブルを両手で叩いて、
「お ま え は バカかぁー!!」
と再び怒鳴りつけた。
そして、その課長さんに諭すように言った。
「叱られると思って親に言えない子や、お金のない子は、どするかとか、あんた考えた事あるか?」
なかには、こっそり親の財布からお金をかすめたり、他の子からカツアゲしてお金を用意しようとする事だって十分考えられます。市の役人がとった行動が〝因〟となって新たな犯罪を生み出す可能性が十分に考えられる訳で、それよりも、何をおいても〝私が最も激怒した理由〟は、高校受験という子供達にとって、一世一代の大事な日にお前達〝大人〟は、何をしでかしてくれたんだということです。
中には、試験の出来が良くなくて落ち込んで帰宅の途にあった子だっていたはずです。
「そんな子からあんたらはよくもヘイヘイと罰金2,000円を徴収だと、ふざけなさんなよ」
と意見する私にその課長さん、何て言い返したと思いますか。
「我々には関係ありません。文句があるのでしたら条例を作った人達に文句言われてください」
と、いけしゃーしゃー(って方言?と思ってしらべたら違った)と、あくまで自分達は間違った事はしていませんよーと、ふんずり返かえってやがった。
あきれ果て、完全にブチ切れた私は、
「よし、解った!」
と言い残して家に帰り、知り合いの市議会議員(当時は学会員でしたので公明党の議員に)に連絡し、事の次第を伝えました。すると議員は、
「申し訳ありません。確かに法介さんが仰る通り、この条例は、未成年者に対する配慮が欠けております。お恥ずかしい限りです。直ぐに議会にかけて条例を改正します。」
と真摯な対応をしてくれた。
違反者が〝未成年者〟の場合、その〝保護者〟から徴収する、が正しいありかたです。
そんな事も気づかない〝まぬけな役人達〟は10年以上、このおかしな条例にもとづいて〝子供達〟から〝お金〟を徴収し続けていたのです。子供の保護者も含め、誰もおかしいと気づかすに、、、、。
翌日、あの課長さんからお詫びしたいので役所まで出向いていただけませんかと連絡が入った。昨日とは別人のように態度が一変した課長さんは、へこへこ私に頭を下げて謝罪した。
私はいってやりました。
「私に謝るんじゃなくて、これまで徴収してきた子供達全員に謝んなさい」
と。流石にそんな事は出来るはずもなく、
「任務を遂行するあなた達がまず一番に気づかなくちゃいけないでしょうが」
と滾々と説教して私は帰りました。
次は、「道路標識は絶対に守りましょう!」と言い張るまぬけな警察官達のお話です。
うちの近所に↓このような
二つの交差点が連なっている場所がありまして、車線1を左側から走って来た車がB交差点で下方向に左折しようとした場合、車線1は直進禁止、左折のみと標識がなっておりますので、一旦車線2に車線変更し、A交差点を通過した後に再び車線1に戻ってB交差点で左折しなければなりません。
私は、この場合標識を無視して車線1のままA交差点を直進し(標識では直進は禁止です)、車線変更することなくB交差点まできて下方向に左折していました。
いつもそうしていました。
間違いなくそうしていました。
助手席の妻が毎度のように「お父さん、また違反しよる」って言うんですが、私はおかまいなしに、
「ここは標識がおかしいっちゃけん、これでよかと」
といって標識に従わずにいました。
ある日いつものようにその交差点を通過した時、けたたましくサイレンが鳴り響き、
「前の車! 左に寄せて止まりなさい!」
とパトカーから警察官が叫んだ。
そう、前の車とは間違いなく私の車です^^
車を左に寄せて止めると、パトカーから若い警察官が二人降りて来て、
「お父さん、ここは直進禁止ですよ。免許書見せて下さい。」
と窓越しに言ってきた。
私は、車から降りてその警察官に言った。
「私が何の違反をしました?」
目が??になった警察官が、
「今、そこを曲がらずに真っすぐこっちに進んで来たでしょ!」
「はい」と答えた私は、さらに「それがなにか?」と警察官にお尋ねした。
「お父さん。解りますか、あなたは標識に従わずに直進したんです!」
おかしな事を言う警察官に私は言いました。
「その標識、絶対に正しいとあなたは思ってます?」
警察官はこう答えました。
「間違ってるとかじゃないくて、我々は決められたルールに従って違反者を取り締まっているんです。」
と。
それが自分達の任務だと。
そこで私は更に質問した。
「ではお伺いしますが、今まで直進出来る道路のど真ん中にビルが建って、変りにう回路で右に曲がる新しい道路が出来たとしましょう。」
しかし、工事の際うっかり標識を書き換える事を忘れてしまい、標識には今まで通り直進の指示がなされています。その場合、
「あなたは、標識が直進指示になっておりますので、取り合えず直進して一旦ビルに激突してください。」
「とでも言うのかね?」
「あんたのモノの言いようでは、そういう事になりますが?」
警察官は言い返した。
「その場合、状況に応じた安全運転をしなくてはいけないでしょう。」
でしょうに。真っすぐ直進出来るにも関わらず進路変更してまた進路変更してもとの車線に戻る事は、それだけ危険性が増すというもので、私もこの場合、標識に従わず直進する方が安全だと状況判断したからそうしたまでだと説明した。
が、しかし
我々は・・・と市役所の課長さんと同じで、果てしなくゆゆしきバカなのだ。
仕方ないので取り合えず切符は切らせてやった。
が、しかし
あくる日、警察署の交通課に「ゆゆしきバカ共」を退治しに行った。
交通課には、「道路の標識がおかしい所がある」という苦情を言いに来たという設定にした。違反切符を切られたとか言おうものなら奴らはそれに対して難癖をつけに来たぐらいにしか受け止めない。
で、
交通課の受付の若い兄ちゃんに、こうこうこうであれなんで、もうちょっと話の解るあんたの世話役人あたりを呼んで来て欲しいと言い、相談室に招待された。
最初に応対したゆゆしき奴は、応万な奴でむかついたので思わず言ってしまった、、、。
「おまえはバカか!」
と。すると何事かと奥から親分肌のゆゆしき奴がさっそうと登場した。
こやつはやるな・・・
雰囲気で瞬時に覚った。
如何にも話が解りそうな対応をみせるが、肝心なところでは
「いや、おかしくないですよ~」
切れてな~い、切れてないですよ~と言ってた芸人みたいなフレーズで話をごまかそうとする。場所が場所だけにこちらも慎重な態度でのぞまねば、下手をしたら奴らの思うがままだ。
最終的に奴は、
「確かにおっしゃられている事にも一理ありますね」
と言って、一応公安委員会の方に市民からこのような相談があったと報告しておきますと言って話は収まった。
が、しかし
翌日ピンポ~ンとチャイムが鳴った。
玄関の扉を開けると私に切符を切った若造の警察官二人がそこに立っていた。
昨日、違反現場で切符を切った警察官が、書き損じがあったようで、切符を切りなおさせて下さいと言って来た。
違反切符の切り直しだと、、、、、。
そんな間抜けな警察官、私は今、初めて目の前に見る。
しかし、昨日の現場の状況を思い返してみれば、私はかなり警察官に圧をかけて抗議していた訳で、確かに若造警察官は二人してかなり動揺してはいた。
動揺のあまり書き損じたのであろう、仕方ないので二人を家に入れ、お茶でもだそうかと
「まー。二人ともまずはそこに座んなさい」
とダイニングのテーブル&チェアーに招いた。
が、しかし
二人が言うには、
「我々は勤務中なので立ったままで構いません」
と言う。言われてみれば確かに警察官が勤務中、公園のベンチに腰掛けてたり、食堂に昼飯を食べに来てたり、喫茶店でコーヒー飲んでたりなんて光景、あまり見たことがない。というよりそういう光景を想像すると滑稽でもある。
「なるほど、じゃあ好きにしなさい」
といって私は腰掛けて、コピー用紙と鉛筆を持ち出し、彼らに昨日より詳しく図解であの標識が如何におかしな標識であるかを解り易く説明した。
ちなみに、これがその現場の写真だ。
直進車はみな右の車線に入っている。左は左折レーンだからだ。
そこを私は真っすぐ直進した。実はこのA交差点の先のB交差点までの短い道路、以前は一車線だった。だから写真の標識のように真ん中の一車線のみが直進指示がなされていた。しかし数年前そこも二車線に拡張工事されて直進出来るように変わった。だが標識はそのままにされていて、ここは普通の優良ドライバーであったら普通直進する状況になっていた。だからここは、警察官側からしたら、違反者を捕まえる格好のテリトリーとなっていた。
未来ある若者達だけに私は彼らにあるべき正しい警察官の姿勢を語り出した。
「市民はみなあなた達が運転するパトカーを目にするとビクッてする」
「何でだと思う?」
「あんたら警察官は違反者を罰する事を目的に勤務してるだろ」
それがおかしいと気づかずに言われるまま切符を切られてきた市民も市民だが、取り締まる警察の方はもっと罪が重い。
先の市役所の件にしてもそうだが、どうして皆、おかしい事に気づかないのか。それはみな〝六根〟が濁っておかしなことをおかしいと判断することが出来なくなってしまっているからなのです。
視点を変える事の大事さを未来ある若者警察官に諭そうとわたしは言った。
「市民の皆さんの為に日々パトロールしているんだという視点にたてば、
真っ先にこのおかしな標識に警察官が気づかなきゃダメでしょう。
それをおかしな標識に従わなかった市民を罰するとは何たることか」
少々反省気味に私の話を謙虚な姿勢で受け止め出した若者に、
「あなた達も、お巡りさん、いつもパトロールお疲れ様」
って、市民の皆さまから言われたら方が働きがいもあるでしょう。と言うと
「確かにそうですね。そう言って頂けると本当にうれしいです」
と素直な返事が返って来た。
が、しかし
切符は切りなおされた、、、、。
そこのところは行政上どうしても融通が利かないらしい、、、、。
そういった経緯があって数か月後、
その場所を走ってたらふと気づいた。
↑標識が撤去され直進可能になっていた。
.
.
ありがとうお巡りさん^^
.
.
でもね、この話しには実はとんでもない後日談があるんです。
皆さん聞いて驚くと思います。
ある事(全く前回とは別の件で)で再び警察署に相談に行ったんですね。
で、結構な内容でしたのでわりと上層部の警察官の方が対応して下さったんです。
で、その道路標識の話が出て来て、
「実はあの場所、パトカーも違反切符切られてたんですよ。」
って、おまえら
どこまでバカなんだ、、、、。
私が、信じられなくて、
「え! そんな事があるんですか?
だれが、そのパトカー捕まえたんですか?」
と聞くと、助手席に乗っていた警官が切符切ったんですと。
それでもその標識がおかしいって気づけなかった警察官に
市民の安全を任せていいんでしょうかぁ!