昭和16年に出た正式な仕様書の基になる昭和15年の設計方針がベースだからなあ。この頃だと日中戦争の戦訓から、爆装減らしてでも速度を優先した結果なんだろう(昭和13年の方針だと正規750kg、過荷1tがそれぞれ500kg、750kgになる)。航続距離の要求も余裕時分が増えた位で大きな変化は無いし。爆装減らしたら飛行場攻撃の効率も悪くなるのに対しては30kg爆弾の装備を研究してるしそれで搭載数増やして対応するつもりだったように見える。完成する頃にはまあ役に立たない訳だが、上でも出てる通り魚雷積めるのが評価されて採用されたって感じ。それでも2000馬力エンジン2つ使ってこの程度なのは不満だったのか単発にしたキ119の試作指示出してるし。搭乗員からの評価はすこぶるいいから大陸方面だけで戦争してれば適材適所の名機扱いだったかもしれない
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