竣工時は扶桑型と同じ様に3-4.5インチ?の艦首尾装甲帯があったらしいが、図面では100mmの艦尾装甲帯しか確認出来ないから大改装での貼り換えにあたり艦首装甲帯を撤去した可能性がある。あとゲームでは残ってる後部構造物の交通筒(通報筒)も撤去したらしいよ。本来薄くなったと言えるのはこのあたりかな。他は増強したかそのまま。
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竣工時は扶桑型と同じ様に3-4.5インチ?の艦首尾装甲帯があったらしいが、図面では100mmの艦尾装甲帯しか確認出来ないから大改装での貼り換えにあたり艦首装甲帯を撤去した可能性がある。あとゲームでは残ってる後部構造物の交通筒(通報筒)も撤去したらしいよ。本来薄くなったと言えるのはこのあたりかな。他は増強したかそのまま。
二次・三次資料だから根拠になるかは怪しいけど一応見た図面貼っておくね。問題あるようなら消します。重かったらスマン
ちなみに1番砲塔の甲板傾斜部は32mmではなく56mmだと思う。学研歴史群像伊勢型に記載されている航空戦艦時代の断面図(戦後作図?)においてもここは56mmとあり、6番砲塔横と同じく舷側装甲帯に守られてないから他より厚くされてると考えるのが自然
その図面が記載されている本は何て言う名前の本ですか?
「図解 日本帝国海軍全艦船1868-1945 戦艦・巡洋戦艦」竣工時と航戦時の側面断面装甲図の記載もある
ありがとうございます
ん?よくみたら最下甲板のところに165nmVCって書いてない?
というか所々装甲の厚さが全然違う場所があるような?