少し話が逸れるが木が言うようにどっちも似た増加装甲だから両者ともメインで運用されてたアフガニスタンでの戦訓での改修なのかなと思ったけど確かにT-62Mはアフガニスタン侵攻中に被る時期に開発されたようだけどT-55AMは60年代前半には開発されてたみたい。ムジャヒディンが頻用したRPG-7あたりの対戦車火器には既存のT-55AM相当の改修が有効と判断してその方向性を踏襲してT-62Mが開発されて、そしてT-55AMには先のRPG-7あたりには増加装甲より更に有効と思われたドローストAPSに換装してAMD-1、って感じの流れなのかな?詳しい人いないかな
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T-54M/AMの解説と混ざってない?それ
露ウィキペディアではちゃんとT-55A近代化の項目でこういう記述だった。所詮ウィキペディアなのでどこまで信用していいかはわからんが。
案の定露語wikipediaだったか。おそらく1981年を1961年と誤記入されているのを真に受けただけだと思うけど。
多言語のウィキペディアだと55AMの項目はあっても露ウィキ以上の情報が書いてないな。もうちょい探るとロシアの愛国者公園(直訳)公式サイトにはT-55AMの生産開始は1958年からとなっているけど58年はT-55Aの生産開始年だよなぁ…。AMはいつからなんだろう
やっぱり81と61の誤記入かな、58年に生産開始した新型のT-55Aがわずか3年ほどでAMに改修、は考えずらいし、よく考えると60年代に55AMは世界的に見ても抜きん出て強すぎるからどう考えても不自然だ。
T-55AMが58年に生産開始されたという記述は、改修元のT-55が58年に生産開始された訳だから記述としては間違ってない…のか?T-72B3を85年生産開始の戦車と言うのと考えれば…。