名もない管理人
2024/04/05 (金) 09:11:27
232d8@32905
岩のようなものに、赤いものが流れているように見える。
それが血管か、筋肉の束か、血を宿した他の何かであるかは分からない。
なので、これを赤いものと呼ぶのが良いだろう。
動くたびに赤いものが握りしめた四つの岩が、危うげに揺れる。
相変わらず目玉を転がしているけれど、もう動くものすらなくなったためか、(目が)合わさる事も無い。
代わりに、それは握りしめたもの(を)振り回すばかりだ。
二、三個振り回す時もあるが、四個の石を一度に振り回す事もある。
その数は自分で考えているものであろうので、私はそれがまだ生きていだろうと思う。
言い換えれば、私も生きているのだ。
ただ口惜しいのは、その石ころがもはや浮遊していない事だ。
あの細い者が重い岩を支える様子は、まことに不思議な事だが、赤いものと岩が地面を支えているとなれば至極当然、もはや浮遊しているとは言えない。
翼が無くても浮遊していた者が地面に落ちた。
そうして赤いものが揺れるままに、岩も力なく揺れているのだ。
姿は変わっても、その石ころは依然として怠惰な生命である。
それならば、変わらない事を誓うのは勤勉であるのかも知れない。
変わる事は怠ける事で、変わらない事は怠けていないのかもしれない。
おかしな詭弁だ。
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