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せっかくの優良記事でも「有料記事」となると、読めない現実にイラつく(続)(やい朝日新聞、だから売れないんだ)
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「悲惨すぎる」と連載に異論も ジャンプ編集長が「ゲン」続けた理由
https://www.asahi.com/articles/ASR5835SMR4DPTIL00F.html?oai=ASR5D5JFRR4XPTIL001&ref=yahoo
> 6歳で被爆した中沢啓治さんは、母親の死をきっかけに、27歳で初めて原爆をテーマにした漫画「黒い雨にうたれて」を描いた。
> 大手出版社はどこも載せてくれず、漫画はほこりをかぶった。
> しかし、原爆への怒りは収まらなかった。
> 数年後。中沢さんは被爆2世を主人公にした漫画の粗原稿を描き上げ、娯楽漫画を掲載してくれていた「週刊少年ジャンプ」の編集部に持ち込んだ。
> 中沢さんの自著によれば、編集長だった長野規(ただす)さん(故人)が読んでくれた。
> 「グシュン! グシュン!」
> 緊張しながら反応を待っていると、長野さんは鼻をかみ、泣いていた。
> 「20ページ追加! 80ページで描けっ!」
> そして、自伝的な漫画も描くよう勧めてくれた。
> 「恥ずかしい」という中沢さんを、長野さんが「かき残してください。言いたいことはまだいっぱいあるでしょう」と背中を押した。
> 「漫画でかけるのは、中沢さんしかいないんですよ」
> こうして1973年6月4日号から、「はだしのゲン」の連載が始まった。
あまりにむごい「はだしのゲン」 手伝った妻が知ったそれ以上の現実
https://www.asahi.com/articles/ASQ7M55CTQ6FPTIL021.html?oai=ASR5D5JFRR4XPTIL001&ref=yahoo
> 今も読み継がれる中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」。むごい絵を見て連載打ち切りを心配したという妻のミサヨさんに啓治さんはこう言ったそうです。「これでもセーブして描いているんだ」
> 73年、週刊少年ジャンプ(集英社)で連載が始まり、掲載誌を変えながら、85年に完結しました。
> 全10巻の単行本は670万部超のロングセラーになり、学級文庫に並んでいるのを覚えておられる方もいると思います。
被爆後の長崎、「イズヲクダサイ」の声 美輪明宏さんの消えない記憶
https://www.asahi.com/articles/ASR595328R51PITB01M.html?oai=ASR5D5JFRR4XPTIL001&ref=yahoo
ゴルバチョフ氏が冷戦後、被爆地・広島、長崎で残した言葉とは
https://www.asahi.com/articles/ASQ8061BMQ80PTIL00B.html?iref=pc_rellink_03