「土の中に日本があった」…考古学ブームけん引した大塚初重さん死去
https://news.yahoo.co.jp/articles/6773cb7e5f321c6f6ff5ec3331884346657ca6eb
> 東京生まれ。専門は弥生・古墳時代。戦後初めての大規模な発掘調査として知られる登呂遺跡(静岡市)の発掘に参加し、その後、金銅製の冠が出土した三昧塚(さんまいづか)古墳(茨城県)や、鮮やかな彩色壁画が見つかった虎塚古墳(同県)など、東日本の古墳を中心に、数多くの発掘を手がけた。
> 明治大学文学部長や、日本考古学協会長を歴任した。一般向けの書籍も多く著し、考古学ブームを引っ張った。2007年には、作家の五木寛之さんとの共著「弱き者の生き方」で、戦時中に海軍軍人として乗った船が撃沈されて九死に一生を得た体験を明かし、話題となった。
※以下、SAS999C6248(デーモンコア withクレア)コメント
95歳で大往生。考古学人生の原点は、18歳で海軍にいた時にさかのぼる。魚雷で船が沈没するとき、大塚さんは船倉にいて、上からぶら下がった鎖につかまりよじ登ったのだが、他の戦友が足にしがみつくのを文字通り足蹴にして命からがら脱出した。生前「私は人を殺して生き延びたのです」とおっしゃっていたのは、この壮絶な体験と、軍国主義と表裏一体の皇国史観を否定するべく考古学による発掘・実証という学問的意義と、この両面があってのことだった。
とはいえ、多くの古墳(特に、巨大なもの、陵墓あるいは参考地とされるもの)は、今なお宮内庁の管理下にあり発掘が認められていない。しかし本当は、遺跡や文化財は主権者たる国民共通の財産である。政府は今すぐ全ての古墳や遺跡の発掘を認めるべきだ。(まァ個人的見解としては、皇室なんて無用の長物、さっさと廃止して「日本共和国」にすべきだ。)
もし箸墓・大仙・誉田山その他の重要古墳を発掘できれば、大塚先生が主張していた「邪馬台国畿内説」の当否も解明できるかもしれない。それこそ後進による先生への供養になるだろう。