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あわてない、あわてない。一休み、一休み。(おしゃべり専用) / 5178

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SAS999C6248(デーモンコア withクレア) 2022/02/23 (水) 01:08:32 修正

久々に舩杉力修さんの名を見たと思ったら、とんだ食わせ物だとは(識者ではなく、史実を捻じ曲げる曲学阿世の徒w)

> 鬱陵島への渡海は1696年以降に禁止されており、舩杉准教授は「渡海禁止後も、竹島に関しては日本領だという認識が続いていたことがわかる。日本の主張を補強する証拠としての価値は高い」としている。(ゴミ売り新聞)

→ は? 寝言は寝て言えってw 「日本領だという認識」ではなく「航路の座標として使えるという認識」じゃねーかよw
  この記事や絵地図のどこをどう読めば「日本領だという認識」が出てくるのか(そんな言葉は絵地図に出てこないし)
  島の自然について「正確な知見を持」っても「日本領と認識していたことの裏付けになる資料」にはならないのにw
 (それで領土になるならシーボルト以後の日本は植民地として扱われて良いわけだなw)↑ アカイアカイアサヒアサヒ
  領土という概念が江戸時代にあったのかも疑問だし、誰も住んでいない島を江戸時代の人が領土と思うのかも疑問だw
  もっと言えば、朝鮮側に伝え合意を得たわけでもないw 要は「日本領ありき」の舩杉氏の確証バイアスに過ぎないw
  (もちろん朝鮮の領土でもなく、国際的には「リアンクール岩礁」なのだが)こんな暴論が学説になってはヤバいねw
    しかも「2月22日(島根県が制定した「竹島の日」)に合わせ、島根大学の准教授サマの名で新聞記事にしてやがるw
  何としても竹島を日本領とせねば気が済まない連中に媚び諂(へつら)い阿(おもね)るマジで精神の腐った御用学者めw
    ↓
竹島を記した江戸期の公的地図、初めて発見…専門家「幕府は日本領と認識」
https://news.yahoo.co.jp/articles/66c191aae8765db150f9a71d2c8d74efc1cf9ff8
 2/22(火) 7:18配信    読売新聞オンライン

江戸後期に長崎奉行が作成したとみられる航路図に、現在の竹島の記述が見つかった。島根県が定めた「竹島の日」(22日)を前に、領土問題などを研究する「日本国際問題研究所」(東京)が発表した。同研究所によると、竹島の記述がある当時の公的地図が発見されたのは初めてで、調査した研究者は「当時の幕府が竹島を日本領と認識していたことを示す史料だ」としている。(竹内涼)

 調査したのは、研究所の委託を受けた島根大法文学部の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授(歴史地理学)。2018年10月、東京都内の古書店で航路図を購入した。

 舩杉准教授によると、航路図は縦102センチ、横137センチ。江戸後期の長崎周辺では密貿易(抜け荷)が横行し、密貿易の拠点や注意書きが地図上にあることなどから、取り締まりに当たった長崎奉行が1820~30年代に作成した可能性が高いという。

 地図には北海道南部から種子島や屋久島までが描かれている。現在の竹島を「松嶋」、韓国・鬱陵島(ウルルンド)を「竹嶋」と記し、長崎へ向かう昆布船が波風を避けるため、両島近辺の航路を使うようになったとあり、竹島について「草木無之、岩斗之小嶋ニ御座候(草木がなく、岩ばかりの小島である)」と説明されている。

 鬱陵島への渡海は1696年以降に禁止されており、舩杉准教授は「渡海禁止後も、竹島に関しては日本領だという認識が続いていたことがわかる。日本の主張を補強する証拠としての価値は高い」としている。

 航路図は、同研究所のホームページで公開している。県竹島資料室などでの展示の予定はないという。

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竹島を含む江戸後期の航路図見つかる 識者「幕府は日本領と認識」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e085afbac072886e090bfdd7bcc7b35f5f076b3
 2/20(日) 9:30配信    朝日新聞デジタル

 公益財団法人「日本国際問題研究所」(東京都)は18日、日韓両国が領有権を主張する竹島(島根県隠岐の島町)を記載した江戸時代後期の航路図が見つかったと発表した。長崎奉行による作製とみられ、竹島が記された江戸後期の公的地図の発見は初めてという。

【写真】発見された航路図には、隠岐諸島(手前)から順に竹島、鬱陵島が記載されている=2022年2月18日午後0時9分、松江市殿町、清水優志撮影

 研究所は2018年から島根大学の舩杉力修(ふなすぎりきのぶ)准教授に依頼し、竹島関係の古地図を調査している。今回の航路図(縦102・5センチ、横137・5センチ)は、舩杉准教授が18年10月に東京都内の古書店で購入した。

 1820~30年代ごろに長崎奉行が密輸取り締まりのために作らせたとみられ、九州を中心とした密貿易の状況や場所がまとめられている。幕府が竹島を領土と認識していたことを示す資料という。

 隠岐諸島の北西には、現在の竹島を示す「松嶋」と現在の韓国・鬱陵島(ウルルンド)を示す「竹嶋」の記載があり、松前(北海道)と長崎を結ぶ航路が鬱陵島北を通っている。竹島が草木のない岩ばかりの小島であるという認識のほか、長崎へ向かう昆布船が風や波の障害が少なく便利で両島の近くを通るルートを使うようになったことなども注記として書き込まれている。

 舩杉准教授は「幕府が竹島に関する正確な知見を持ち、日本領と認識していたことの裏付けになる資料だ。江戸時代の領有権を語るうえで大きな意義がある」としている。

 研究成果は研究所ホームページ( https://www.jiia.or.jp/ )で公開している。(清水優志)

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