話は聞かせてもらった
「おばちゃん! イカダッシュアップルひとつ!」
「アゲアゲバサミサンド一つお願いします」
元気な声と落ち着いた声に、あいよぉ、と穏やかな声が返される。しばしして、紙袋に包まれたサンドとビニール袋に入れられたジュースが大きな手にそれぞれ渡された。
「いっつもそれ飲んでるな」
「ギア作りたいからね。君こそいっつもそれ食べてるね」
「カネ無いからな」
バイトやればいいのに。あそこ殺気立ってて嫌なんだよ。分かる。軽口を交わしながら、少年と少女はそれぞれの食べ物に口を付ける。チュゥ、と可愛らしい音。バリン、と豪快な音。あれほど賑やかだった二人の空間は、咀嚼音だけになってしまった。
少年は丁寧に下処理された有頭エビにかぶりつく。バキン、ボキン、と固い殻を鋭い牙で噛み砕いていく。食べ慣れた、否、食べ飽きた味だが、不味いわけではない。食事のスピードは上がるばかりだ。大きな口と成長期の食欲によって、あれだけ巨大なサンドはあっという間に姿を消した。ごちそうさまでした、と呟きつつ少年は包み紙を丁寧に畳んだ。
ミッ、と短い悲鳴があがる。次いで、びちゃ、と何かが床を打つ音。耳慣れたそれに、少年は眉を寄せる。口を拭っていた紙ナプキンを手早く畳み、音の方へと視線をやる。そこには、予想通り繭を八の字に下げた少女の姿があった。
「またこぼしたのか……」
「……慣れないんだもん」
ミィ、と少女は鳴き声をあげる。少年は引き結んだ口元をほどき、はぁ、と溜め息を吐いた。
彼女は食べるのがとても下手くそだ。サンドを食べれば中身をこぼし、ジュースを飲めば逆流させてストローから噴射させる始末である。おそらく、力の入れ方が悪いのだろう。それにしても下手くそだが。
あぁもう、とまた溜め息。少年はポケットに手を入れた。取り出したのは、シンプルな青いタオルハンカチだ。洗濯され清潔なそれを、少女の口元へと伸ばした。
「また口の周りベトベトじゃないか」
うー、と小さな呻り声を上げながら、少女はされるがままに口を拭かれる。垂れる雫を丁寧に拭い、水分と砂糖のねばつきを取り除いていく。最後にぐぃ、と強く拭い取り、少年は汚れたハンカチを手早く畳む。
「いつになったらこぼさず飲めるようになるんだ」
「注意はしてるんだよ? でもこぼしちゃうんだよねぇ」
なんでだろ、と少女は手にした袋を眺める。赤いイカのラベルが貼られたそれは、中身が三分の一程まで減っていた。もちろん、それほど飲んだのではないことは明らかだ。
彼女との付き合いはかれこれ半年ほどなる。この店で食事を共にしたことなど、両の手足の指ではとうに数えられなくなったほどだ。だというのに毎回こぼしているのだから呆れたものである。
「まぁ、君が拭いてくれるしいいんじゃない?」
「すぐ人に頼るんじゃない」
にへらと笑う少女に、少年は眉根を寄せる。常に二人揃っているわけではないのだ。他人に頼り切りの現状は非常に良くないことである。いい加減独り立ちしてほしいものだが、と子どもらしくもないことを考えた。
「え? でも私ハンカチ持ってるよ?」
ほら、と少女はハーフパンツのポケットからなにかを取り出す。ベージュ色の小ぶりなタオル、つまりはハンカチである。予想だにしていないものの登場に、少年は目をぱちくりと瞬かせた。
「持ってるなら自分で拭けばいいだろう」
「いつも拭く前に君が拭いてくれるんだもん。使う暇無いよ」
きょとりとした顔で返す彼女に、少年の目がまたぱちりと瞬く。つまり、彼女が自身で処理する前に己が拭いてしまっているのだ。それが当たり前のように。当然のように。事実に、まだ丸い頬にさっと朱が散った。
「……今度からは自分で拭けよ」
ふぃと目を逸らし、少年はぶっきらぼうに言う。はーい、と気の抜けた返事が返された。
ジュゴォ、と残り少ないジュースが飲み干される音が人の少ないロビーに響いた。