>> 110まで遡らせてもらうけど…
言葉の深みが1~10まであるとして、ソクラテスの言葉を機械的に解釈すると情報的な価値ってほぼ限りなく1に近いよな。だいたいの人は、ソクラテスに言われるまでもなく予備知識として5くらいまでは心得ている。
言われなくても分かるようなことをあえてボカして詩的にする。結果、その名言を聞いた人たちは『1を聞いただけなのに10まで悟らされた』と錯覚してるんだよ。
錯覚ではない(そこから着想を得て新たな発想を得る)場合もあるって話をしてるんだよね。
この言い方だと「1の名言を知性なき者が見たら錯覚する」としか捉えられないんだけど。
反対意見として別のケースを提示してるわけじゃん。
こっちは詠み人のこの文脈に沿って話を展開してたのに、途中から「傲慢だから」という条件付けがなされてズレたとしか言いようがない。
新たな発想持つ奴が傲慢だとは思わないけど、だからと言って新たな発想持つ奴が錯覚してるとは限らないから「1の名言を知性なき者が見たら錯覚する」ってのは言いすぎじゃね?って話をこっちはずっとしてるんすわ。
さすがにもう理解したよな。
「どこまで昇華したか」について錯覚を起こし傲慢な解釈を抱くのはいけません、と言っている。
ということにしたいのはわかるが、話変わってるから。
気付いちゃうから。残念ながら看過できないから。
潔く自分のミスを認めてくれヤ…。
ホント物は言いようだな。
多様性とか便利な言葉使って
クソ中のクソを正当化するんかい。
喧嘩ヲタク的に言わせてもらえば
多様性があるからと言って界隈の品質を下げるなら淘汰されて然るべきじゃないの?
生かしておく必要ある?なくね?
もちろんクソではない多様性については歓迎するけれども。
「馬は喧嘩やめろ」
「馬から脱しろ」
「馬だと自覚したうえで喧嘩しろ」
どれでもいいけど、馬であることは必ずしも傲慢に直結しないってことだぞ。