「新しい発想を持つことを批判してる」ってどの辺で?
140文字の文章や当たりまえ名言から新たな発想を持つのは大変よろしいが
「どこまで昇華したか」について錯覚を起こし傲慢な解釈を抱くのはいけません、と言っている。
そして、軌道修正というのであれば話を一番最初(>> 27あるいは大元のネタ)まで遡らせてもらうけど
ベースにあるのは文字喧嘩界隈で武功を挙げるにあたり求められる文章力や文才の話であって、そのテーマを承前する形で書き込んだ「140文字界隈の特徴が濃く出ている知性なき奴ら」という括りには、ツイートをバズらせる人物とか偏差値40のCM視聴者とかは特に含めてないんだよな。
だからこそ、あくまで喧嘩オタク目線での考察だよ?と何度も念押ししたんだが。
- 一般的に文章ってのは特定の個人に宛てたものではなくその文章を目にするであろう不特定多数の読者を意識して書かれている
- 「相手がどのくらいの予備知識を持っているか」なんて書き手は把握しきれないので、読み手の層を広めに見積もっておく必要がある
- わざわざ狭い範囲の人しか理解できない文章を書かなきゃいけない理由なんてない
この辺を踏まえたうえで
(文字喧嘩の過程で)「分かりにくい」とか「文章が長すぎ」とか「余計な説明しすぎ」みたいな指摘(をするやつ)は(喧嘩オタク目線で見るなら)マジで知性低いな~と思う
twitterとかいう140文字の世界にドップリ浸かりすぎた弊害かな?前頭葉が委縮してるのでは?
という結論に結び付けているわけだ。
喧嘩界隈で見かける知性の低いヤツに見られる傾向を一部のtwitterユーザーと重ね合わせているのであって、名言ツイートや当たりまえ体操から学びを得ている非傲慢なtwitterユーザーをアホ喧嘩師と同じ枠に放り込んでいるわけではないぞ?
とどのつまり「アホは喧嘩やめろ」というふうにも受け取れるけど?
まぁそういう言い方もできるけど
他にも「アホから脱しろ」や「アホだと自覚したうえで喧嘩しろ」という言い方もできる。
喧嘩オタク目線で言うなら
「予備知識が足りていない自覚がある読み手は理解の及ばない文章について喧嘩すべきではないし、足りていないにもかかわらず足りていると錯覚して喧嘩しちゃうのは上から目線で傲慢な姿勢」
ってのはその通りじゃね?俺は喧嘩するとき上記のような(予備知識の不足や錯覚の露呈に関する)指摘をなるべく受けないよう注意を払いながら活動してるし、喧嘩のスタイルにもよるだろうけど基本的には留意すべき、オーソドックスでクラシックな喧嘩師的課題と言えるのでは?
かといって、それが出来てないヤツやそいつの界隈参入について「良く思ってない」なんてことはないぞ。
言い方は悪いけどカーストの下層であったとしても界隈全体の多様性が保たれるからな。
「喧嘩オタク目線での批判」と「歓迎の度合い」は別に直結してないです。
初学者が簡単な参考書から手をつけようとしてるのにいきなり外国語の高度な内容を厳正に扱う専門書を読んでも馬の耳に念仏だよ。
それはそいつにとってダメな文章って言える。
これも、喧嘩オタク目線で言うなら「念仏がダメなのではなく、そいつが馬なのが悪い」ってことだ。
初学者だから~なんて免罪符にならんよ。
「馬は喧嘩やめろ」
「馬から脱しろ」
「馬だと自覚したうえで喧嘩しろ」
どれでもいいけど、とりあえず「馬(鹿)を相手に念仏を唱えた側が悪い」ってのは喧嘩オタク的にありえねーわ。
勿論ここでいう念仏ってのも>> 27の内容(不特定多数の読者を想定、相手の予備知識の程度は不明、etc)を踏まえた話だぞ。