二項対立ってなんかあれこれ考えるときに便利だと思うんです。
例えば・・・
原因療法⇔対症療法、長期的⇔短期的、根源的⇔派生的、理学⇔工学
など。
例えばあなたが知人にウゼェことを言われ、帰り道でモヤモヤしているとき。
あなたは脳裏に浮かんだ以下の手段のうち、いずれかでウゼェという感情に対処するとします。
①知人がいかにウザかったか、他の知人に共有し、共感を得る
②知人本人に直接、こういう点がウゼェから改善願いますと伝える
③zawazawa喧嘩界でストレス発散や!😡
どれが適切か見極めるために選択肢を整理するとき、二項対立を用いれば、
②は原因療法で①③は対症療法だと二分することができます。
そして、対症療法を採用した場合、同様の症状に何度も苦しむ羽目になることが予想できます。
したがって、長期的に考えると原因療法である②を採用することがあなたの幸福度を最も高めるだろうと結論することができます。
よろしければ、あなたが日々の思考でよく使う二項対立を置いていってください。
これマジ便利っすよ、とか、あ~言われてみりゃこれよく使うな、とかありましたら是非よろしくお願いします。
できれば一言解説も加えていってください。(自分は一つしか解説しなくてすんません)
サンプル
内発的動機づけ⇔外発的動機づけ
コントロールする相手に対して行う手段を整理するときに使う。
長期的に相手の行動を変容させたいときは内発的動機づけ、
その場だけ変容させたいときは外発的動機づけ。
止揚⇔対立
人と人、すべてにおいてわかり合う必要はないが、長期的な関係になるとわかっていれば、止揚によって
意見の対立の解消を目指す時がある。
ミクロ⇔マクロ
自分のやっている仕事が近視眼的になりすぎてないか、身につけようとしている知識がどう役に立つのか、確認するのに用いる
【 ※ 性同一性障害ってエロくね?】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〈安心〉⇔〈興奮〉
↓
〈自分〉⇔〈他人〉
なぜ L G B T の人は自身の肉体では〈興奮〉しないのか?この疑問を〈安心〉⇔〈興奮〉の二項対立で捉え次の〈自分〉⇔〈他人〉に当て嵌めてみると理由が見えてくるのではないか?
つまり、自身の肉体とは自分であるだから〈安心〉する。
つまり、他人の肉体とは他人であるだから〈興奮〉する。
自身とは安心であり。
自身であるから
興奮しないのでは?と言えると思う。
分析⇔総合
バランスよく動けるように。
>> 4
逆に性的興奮の観点から、自と他を区別するって中々思いつかなかったです。
ノード⇔パス
ちょうどこのトピックのタイトルを考えていたとき、
頭の中に「対義語」という単語がノイズとして浮かんできました。
なぜ対義語ではなく二項対立という単語を選んだか。
対立する意味を持つ言葉の組み合わせを集積していくだけなら、
「対義語保管所」でもよかったはず。
僕が二項対立という単語を選んだのは、
対立する概念そのものではなく、
概念を対立させるという論理的操作に価値を感じたからです。
概念そのものは、ノードであると解釈できます。
一方で、概念と概念との論理的関係(ここでは対立関係)がパスであると解釈できます。
概念と概念とのパスを見出し、整理することで日々のモヤモヤをより的確に読み解けたらいいな~と考え、こんな感じのタイトルにしました。
嘘です。ほんとは語呂がいいかな的な感じでつけました。
よいお年を。
>> 4
実に自然な論理的操作だと思います。
以下は、僕が言及すべきことではないような気もしますが、
折角当トピックに遊びに来ていただいたのでちょっとしたゲーム程度に・・・。
この二つの対比を二項対立とすることに特に異論はありません。
しかし、この二つの二項対立を無条件に重ね合わせることは、
論理的必然性に欠ける操作だと指摘される恐れがあります。
世の中にはこんな人がいるようです。
女装した自身の肉体を鏡で見て性的興奮を覚えるのだとか・・・。
この事例については、〈自分〉かつ〈興奮〉を満たす反例と見なすことが可能かと思います。
この事例を提示されたとき、、(あろく信者)さんから可能な反論は大きく分けて以下の二つでしょうかね。
〈興奮〉の対象となっているのは〈自分〉ではなく〈他人〉である
オナニー者は、鏡に映る〈自分〉を〈他人〉として認識しているため、〈興奮〉することが可能となっている。
したがって、当該事例は反例とはならない。
当理論には適用の対象範囲が存在し、あたおかは対象外である
「また精子をブッかけた場所に自分の顔が映るようにすると、顔射された感じに!」
プリクラのデコレーションみたいなノリでこんなことを平然と口にする人物は紛れもなく対象外であり、当理論で想定している一般的な人間には該当しない。
したがって、当理論に欠陥はない。
ちなみに・・・、(あろく信者)さんの理論に沿うと、
当該事例において〈興奮〉が生じていることは確定できるとして、〈自分〉or〈他人〉に議論の余地があると思い、反論①を考えました。
また、理論には〈対象内〉⇔〈対象外〉という二項対立が想定できるため、反論②を考えました。
そして、反論①も反論②も、どちらを提示しても議論は平行線になり得ると僕は考えています。
、(あろく信者)さんは「認識」という観点で〈興奮〉の対象が〈他人〉であると論じるわけですが、「物理(肉体)」という観点で考えたときは〈興奮〉の対象が〈自分〉であると言えてしまうわけです。
じゃあ、どちらの観点が妥当なのか?という論争に発展しかねませんね。
このとき、>> 4の説明では〈自分〉⇔〈他人〉という二項対立を「認識」という観点で定義しているのかどうかが分かりませんので、付け込まれる隙があるかと思います。
明示されていない前提を共有できなかったとき、どちらが悪いのか?
文章力不足 vs 読解力不足のありがちバトルになり、平行線になるかと。
オナニー者が本当にあたおかであるかどうかは断言できないかと思います。
なぜなら、女装オナニーの経験者が少ないだけで、一般人もやってみたら普通にハマっちゃう可能性があるからです。
その可能性を否定できない以上、オナニー者が実は一般的な人間である可能性を否定できないことになり、無批判に「対象外」とすることはできません。
ここでは、オナニー者を「対象外」とできるかどうかが論点となり、
決着にはデータ(例えば、オナニー者の100%が知的障害を有している等)が必要となるでしょう。
そんなデータは流石になさそうなので、こちらも平行線になるかと思います。
以上、こんな流れになるかな~と思いますが、異論(漏れはここでこう切り返すぜ!等)がありましたら是非聞かせてください。
ちなみに、僕は元ネタのトピックをちゃんと読んでいないので、内容重複・前提のズレ等ありましたら適宜読み飛ばしてください。
モチベーション⇔インセンティブ
◆ヘビースモーカーにタバコを辞めさせたい場合◆
モ)タバコは害があるから辞めなよ。
イ)タバコを辞めてくれたら結婚してあげる。
どちらも同じ《動機付け》であるが、より効果的なのはインセンティブであると言われている。
>> 8
ボクらの対象は生まれ持ったものである様に
こんな人の生まれ持った対象も自身へと向かっているのでしょうか?
〈対象が向かっている〉⇔〈対象が向かっていない〉↩
〈生まれ持っている〉⇔〈生まれ持っていない〉↩
〈自然的〉 ⇔〈人工的〉
彼の話を吟味すると「鏡✨ 女装 👧 メイク💄」が必要とのこと。しかし、肉体に興奮するのであれば生まれ持った感覚でもあるはずです。
とすれば道具が無くても興奮するのが〈自然〉ではありませんか?正反対に作為的なものは〈人工的〉ではありませんか?
さらに一般人でもやってみたら○○にハマっちゃう可能性(近親相姦にハマっちゃう可能性とか)その不自然な現象も〈人工的〉で説明が付きませんか?
と書いてみましたが・・・
正直よくわかってないんですよね;;;
>> 10
なるほど、>> 4の理論に「生まれ持った」という前提条件を付与するわけですね。
僕のスタンスを示しておきます。
>> 8は、、(あろく信者)さんのトピックで僕がぼやいた喧嘩シミュレーションを自ら実践してみたという、試験的なレスです。
テーマ「性同一性障害ってエロくね?」の元ネタとなるトピックは喧嘩トピックだったと記憶しているので、喧嘩であればこんな展開になるかな、と予想してみた次第です。
喧嘩シミュレーションを続行するのであれば、>> 10に対しても>> 8の
、(あろく信者)さんは「認識」という観点で〈興奮〉の対象が〈他人〉であると論じるわけですが、「物理(肉体)」という観点で考えたときは〈興奮〉の対象が〈自分〉であると言えてしまうわけです。
じゃあ、どちらの観点が妥当なのか?という論争に発展しかねませんね。
このとき、>> 4の説明では〈自分〉⇔〈他人〉という二項対立を「認識」という観点で定義しているのかどうかが分かりませんので、付け込まれる隙があるかと思います。
明示されていない前提を共有できなかったとき、どちらが悪いのか?
文章力不足 vs 読解力不足のありがちバトルになり、平行線になるかと。
と同様、>> 4で十分な前提を明示していなかったことを責めて、
読解力不足 vs 文章力不足のドッカンバトル(ドッカイブンショウバトル)に持っていくことが可能だと指摘します。
議論であれば、僕は>> 4にも>> 10にも概ね同意しています。
ヒトは、本来的には〈他人〉に興奮する生物で、〈自分〉に興奮するためには「鏡✨ 女装 👧 メイク💄」であったり、意識付けなどの特定条件が必要だと考えています。
ヒトが〈自分〉に興奮するという機能が、自然選択において有利になるという可能性は考えにくいですからね。進化の過程でちゃんと〈他人〉に興奮するよう矯正されると考えるのが妥当でしょう。
まあ、この辺の内容は、当該テーマの発案者の方も内心同意しているところだと思いますが。。。
議論において僕が付け加えるなら、
>> 4の理論は性的興奮の原理の一側面を表したものではありますが、原理の全容を網羅できてはいない、という点ですかね。
確かにヒトは、〈他人〉に興奮する性質を持っていると思いますが、〈他人〉であっても興奮できない場合があり、そこにはまた別の原理の存在が考えられますからね。
例えば、佐藤健さんに性的興奮を覚える女性は多いと思いますが、黒川明人さんに性的興奮を覚える女性は少ないと思います。
恐らくは、〈イケメン〉⇔〈ブサイク〉や〈息が臭くない〉⇔〈息が臭い〉という二項対立において、それぞれ前者の方が性的興奮しやすいといった原理も存在するのでしょう。
個人的には、それらも含めて原理を網羅的に記述したいものだしん。
まあ基本的には、〈他人〉のうち、自然選択において自己の遺伝子を有利にするような相手に性的興奮する、といったところなのでしょうが・・・。
funny⇔interesting
どちらも日本語では「面白い」と表現されますが、それぞれ意味するところが異なりますね。funnyは可笑しい、interestingは興味深い、といった意味合いです。
日本語でも上記のように使い分ければコミュニケーション上の齟齬が防げると思うのですが、使い勝手が良いのか、「面白い」というラベルが蔓延しちゃってますよね。
他にも、中にどの概念が入っているのか分からないラベルとして、
「コミュニケーション能力」
「頭がいい」
などが挙げられます。
個人的には、異なる概念には異なるラベルを使用するほうが、
コミュニケーション能力の向上につながる頭がいいやり方だと思うわけですが、
そういう点を考慮しない日本の人々は本当に面白いと思います。まあ、概念を特定できる文脈を用意してるならいいんですけどね。
〈優位⇔劣位〉 〈勝者⇔敗者〉 〈天使⇔悪魔〉 〈上位⇔下位〉
〈内容⇔形式〉 〈中心⇔周縁〉 〈ハレ⇔ケ〉 〈現実⇔虚構〉
〈本物⇔偽物〉 〈文明⇔野蛮〉 〈知性⇔感性〉 〈理性⇔野性〉
〈正常⇔異常〉 〈作者⇔読者〉 〈健康⇔病気〉 〈ホンネ⇔タテマエ〉
〈生産⇔消費〉 〈売り手⇔買い手〉 〈音声⇔文字〉 〈正統⇔異端〉
〈帝国⇔植民地〉 〈自己⇔他者〉〈問い⇔答え〉 〈コピー⇔オリジナル〉
いろいろあるけど、この中からチョイスするなら
が一番おもしろい(※)と個人的には思う。
これは便利とかいう話とは少し脱線するかもしれないけど、状況に応じてどちらを優先するかって話。
たとえば、お酒の席で「政治」「宗教」「野球」とかの話はタブーだったりするけど、思想の違いが色濃く表出してしまう(最悪それが理由で人間関係にヒビが入るリスクがある)テーマについては「内容」よりも円滑に話を進める「形式」を優先するとかね。
つまり、〈ホンネ⇔タテマエ〉とか〈理性⇔野性〉とかにも言えてくるかな。
いわゆる処世術ってヤツ。
それって日常会話だけじゃなくて、議論に置き換えても「どっちを出し入れしたほうが満足のいく自己表現・コミュニケーションができるか」って観点で考えたら言葉のキャッチボールがより豊かになるってのはあるかもしれない。
たぶんやってる人は意識的にでも無意識的にでもやっちゃってるんだろうけど、あえて書かないとか。
行間を読ませることに一種の娯楽性を見出すとか。
でもそういうアソビが自然にできる人ってほぼいないと思う。
思考が直線的っていうのかな?
野良は奇麗な曲線描いて満面の笑みで着地決めたりするけど。