ここでもさらっと触れてて、見てくれてるかもしれないけど、たしか論コミュのポイントって住民投票制だよね。
記憶違いならごめん…。
その通りです。
ただでさえ荒れやすい喧嘩サイトの性質上、なんとなく勝ちたいがために組織票や不正な連続投票なんてのもあったりするかもしれないし。
確かにそういうこともあったと思います。
しかし「メンバー登録の際に、管理人に承認してもらわなければならない」というコストが、参加者のフィルタリングとして働いていた部分があります。
「罵倒の良さ」や「論理性」、その他「ユーモア」や「オリジナリティ」など、ありとあらゆる観点から評価できてしまうんだよ。
おっしゃる通りですね。
逆に罵倒などが発言に含まれれば、マイナス評価になるので。
と触れてしまいましたが、罵倒を毛頭から否定しません。ユーモアやアイロニカルな罵倒というのは読んでいる人にとっても
心地のいいものだと思います。
そして参加者の評価が「悪い罵倒」ではなく、「良い罵倒」に集まると信じます。
「罵倒」や「勝敗」などのエンタメ性に理解を示してもらえてる
勝敗にこだわりすぎるのは、アレですが「ゆるくこだわる」ことは、主張に対する責任感にもつながると思いますので。
議論家は喧嘩の良さに歩み寄れんの?みたいな問いかけでもある。
議論という体で入ると「高尚なテーマ」で話したくなりますが、実際に「高尚なテーマ」が何になるの?というところから
「エンターテイメント性を交えた実際の話」に興味を持つようになりました。エンターテイメント性がなければできないデリケートな話が「できる」というのは一つの魅力だと思います。
「ラップせずに『韻』と書いたプレートの上で縄跳びをして踏みつける」
すばらしい。これは実にいいですよ。まさにそれが「気持ちのいい罵倒」です。
罵倒や皮肉は、すばらしいものでなくてはなりません。
むしろ罵倒や皮肉であるゆえに、高い技量が求められるのでしょう(わかりますか?)
ここからは私の意見です。
>> 40
において「勝敗を評価の基準としない」という旨の意見が見られました。少し賛成です。
しかし、私は「勝敗も評価の基準としたらいい」という意見です。すなわち、勝敗だけがすべてではないが、喧嘩という性質上ある程度その雰囲気に準じた戦い方を心得ていた方が楽しそうだと思ったのです。
(完全に感想ですが)
規制はかけるべきだと考えています。
ひるがえって
この情報、貴重です。一人の人間が大きな影響力があると見せかけることができるという具体的な例ですよね。
勝敗および、勝敗に寄らずとも、評価がある時点で人は必ずズルとしようとします。ズルい人がズルをしていると分かった場合は規制をかけてしかるべきかと。
もうすこし詳しい話をすると、
「ランキングが高い人が絶対である」という思い込みが評価を更に意識させているのだと思います。
「人と言い合いをするのが好きで、対した技量もないけど、居心地がいいから喧嘩界にいるユーザー」を想像してみてください。
なんてほほえましいのでしょう。
とは言っても、ここのランキングは非常にうまく機能していると言い添えたいです。
なぜならば、上記のようなユーザーもそれなりのランキングにいると見ています。
個人の実力を重んじながら、いかに楽しめているかも評価されているのではないかと思います。
この辺りの評価基準が新しい方には伝わりにくいのかもしれませんね。
王国に関しては許されるのであれば、将来、私が立ち上げたいと考えています。