オウム風情が霊長類同士の戦いにクチバシを挟むな。
こいつがお〇んなら、ここで行われている話は自己否定に繋がるが?
彼が自分の弱さを認め、受け入れる姿勢を見せているなら話は別だが…
おそらくあのような流れからこういったメタ発言は彼の力量ではできない。
というわけでようやく古参水入らずで話ができそうなので本題に入らせてもらおう。
喧嘩界におけるゼロサム理論を問題視するなんて10年越しの議論だと思うが
ユーザーには議論を深化させるための対話的姿勢が求められます。
それと同時にテーマに対して適切な意見を述べるための知識と論理性が求められます。
これを急進的に行うとどういう事が起こるかというと、上記が達成できないユーザーは残酷にも排除されます。
コレ。
おっしゃるとおり。
では俺から逆に聞きたい。
俺や詠み人やお前もそうだが、言論サイトに対する考え方や価値観の違いがあるにもかかわらず
「排除されないユーザー」が一定数存在しているのはなぜだ?
今こうしてお前がトピックを立てて、俺に対して異議を唱えた事実がここに存在している。
具体的にはそのユーザーの意見に対する反応がなくなります。
ということを見越してこの話を展開しているのでは?
言い換えればメタ視点を有しているユーザー、もしくはそういった話題が興味の対象外である大半のユーザーが占めているであろう現状の喧嘩界に甘んじているとも言える。
お前が「真面目な話」ができるのもこういった目に見えない住み分けがなされていることの裏返しとは思わんか?
心理的コストが高い
いいじゃないか別に。
コミュニティ単位で「衰退」の一途をたどったとして
それになんの問題がある?
お前ら
知らず知らずのうちに洗脳されてるようにも見えるぞ。
ここを作ってから半年が経過しようとしているが
俺は喧嘩界を盛り上げようなんて思ったことはたったの一度もない。
もし俺一人になったとしても、他所から気兼ねなくお話ができるユーザーを勝手に引っ張ってきて
俺がしたい話をしてるだけだろう。
それに
上記のような志向を標榜しているのにも関わらず、マウンティングを取ろうとするものが必ず現れます。
こういう存在がそう簡単に駆逐されるとも思ってない。
それはそれで喧嘩界の風物詩として楽しめばいいじゃないか。
なのでお前の心配はどの観点から見ても杞憂だ。
純粋に知的好奇心を満たそうとするユーザーは離れます。
あるいはそのような”良いユーザー”がマウンティングを取り合う土俵に引きずられる場合もあります。
悪意がウイルスのように蔓延して、もはや弁証法など何処吹く風の論破合戦に発展するでしょう。
たとえば地政学のプロが持っている知識は貴重な財産だが
「マウンティングを取り合う土俵に引きずられる」程度の人物なら
それは喧嘩界において“いいユーザー”だと俺は思わん。
そういう人が活躍できる場や、趣味の範囲で利用できるサイト、対話相手は別に存在してるんじゃないかとすら思うよ。
悪意あるものに対する耐性
それも加味して格付けを行っているとしたらどうかな?
その他の匿名ベースのコミュニティがこのように”荒れて”しまった場合、
自浄作用が働くことはなく運営が介入せざるをえません。
そのための運営だろう?
質問の回答になってない。
お前自身がどう思っているのかを聞いているんだよ。
しかもお前が現れるまで問題なく運営はされてたわけだ。
このようなコミュニティは個人運営レベルではクローズドな場でしか成立し得ないことが分かります。
「クローズドな場」で何が問題なんだ?
「オープンな場」であるべきという考えなのか?
"プレイヤーは勝とうと負けようと必ず戦闘前より良い状態になる"というデザイン
言ってることはわかるが、弱者や初心者の救済措置をしろという話ならその意見には肯定できない。
プラスを加えることは別に構わんが、マイナスを無くすところまで運営側が面倒を見ろと?
アホらしい。それこそコスパが悪すぎる。
そもそも
マイナスのない勝負事の何がおもしろい?
運動会で順位付けをやめろ、子供たちがかわいそうだと言うようなモンスターペアレントと同じようなこと言ってるぞ。
喧嘩サイトの持つ悪意への耐性が幅広い表現を受け止める自由さとして、カジュアルに自己表現できる掲示板とシナジーを生むことで、相手を貶め合う喧嘩サイトとしての側面を持ちつつも、
書き込めば書き込むほど”何かが起こる”そして”新しい誰かとつながることができる”というインセンティブをもたらしていたのです。
平成喧嘩塾を美化しているところ悪いが、今のここと大して変わらん。
相当にフランクな言い方をするとキ印の受け皿になっていたということです。
千尋をアク禁にした時点で同意しかねるが(苦笑)。
相当にフランクな言い方をするとキ印の受け皿になっていたということです。
ついでに、コンテンツとして”ランキング”を作らずあえて”人物紹介”に留めていたことも勝敗に固執させない土壌づくりに役立っていたのかもしれません。
ただしこれは管理人が相当の時間的コストをかけて、それこそ流入するほぼ全てのユーザーと交流を持ち、
ユーザー間をつなげるためのハブ的役割を担うことで実現されていました。
その末路は?
横のつながりが増えて、Skypeで気の知れたメンバーと戯れるようになった。
それで平成喧嘩塾はどうなった?
コミュニティとしてまともに機能しなくなったわけだ。
つながりを持つことは原始的な欲求を満たす行為です。
ここにしかない「つながり」ってのもあるだろ?
それで十分俺はこのサイトを楽しめてるが、お前は違うのか?